虚妄の家 第4話(最終話)

---------晞光とは汝が家の五代前の当主じゃ。


 そう、深娜月に良く似た聲が僕の脳裡に響いた。その聲は続けて、

『昔、汝の家には白蛇の姿が浮き上がった蛇石というものが御神石として祭られていた。これは遠い昔に汝の先祖が、修行の旅路の折に、京都の賀茂川の川辺で見つけたものだ。彼はこの石に不思議な霊気を感じ、このやかたへ持ち帰ったのじゃ。』

 暗闇に浮かぶ白い蛇がぬめぬめと僕の脳裏をよぎっていった。白銀の光を帯びて、妙になまめかしいその姿---------。

 その直後、黒い翳が僕たちの回りをざわめきながら取り巻いてゆくのを感じた。

 竹の葉が風に揺れ、擦り合う音が不気味なほどの静寂をいざなう。ここはもはや現世うつしよの空間ではない。


 僕は、次第に空気の流れが陰鬱に変わってゆくのを感じていた。

『その写真の男、晞光は、当時、類い希な美貌と才気で世間の美丈夫の覚え良ろしかった。そしていつしかその美貌は白蛇の蛇石に宿る蛇神の御目に止まったそうだ。』


 僕は確かに知っている。

 しかし、何を?


 取り留めのない程の妖しい記憶と地の底から溢れ迫りくるどす黒い恐怖感が僕の胸中を襲い始めていた。

 今にも崩れそうな感覚、そう、押しつぶすような悔恨という感情。


『蛇神はミナヅキという名の女人となりて、晞光を己のものにしようと誘惑した。晞光は文も武も捨て、この女人に溺れた。』


---------ああ、そうだ。僕は知っている。


 女は、まだ齢十五に届いたばかりの幼い晞光を愛欲の鎖によってがんじ搦めにし、堕落と情念という深淵の中へ、引きずり込んで行ったのだ。晞光は女の強力な呪縛に、捕らわれ、逃れられなくなっていった、ちょうど、今の僕のように。

 このままではいけないと思いつつも、強い誘惑から逃げられずに泥沼にはまり込んで行く---------。

 思い余った彼は別宅の葉月の館へ女をおびき出し、そこで自身の「迷い」を断ち切るように女の首を絞め、殺害を図ったのだ。



 だが、その晞光とは何者なのだ?

 なぜ、僕は聞いたこともない彼のことを知っているのか?

---------葉月の館とは?

 この屋敷のことなのか。

 ああ、そうか、深娜月と僕が出会った頃の僕の年と晞光が見初められた年は・・・


---------晞光ハ僕、ナノカ?

 深娜月は静かに頷いた。

『オ前ハ、ワタシヲ殺シタ。』

---------そうだ。

 僕は過去の一切を思い出した。


 あの時、彼女は知っていた、全てを。僕が彼女を断ち切ろうと企てていた事を。

 しかし、僕の裏切りに抵抗する事もなく、彼女は全てを受け入れたのだ。

 苦しそうな喘ぎ声。彼女の儚げな白い手、白い顔が次第に冷たくなる。

 それでもなお、僕の事を信じているのか?


---------僕ノセイダ。


 深娜月の氷のような眼が妙に胸に重くのしかかるようだった。

『罪ハ償ワナクテハナラヌ。』

「どうやって償えば良いと?」

 深娜月はそっと崖の方を指さした。

 背後で風が騒いだ。

 竹筒が風にゆらされ、叩き合う音が天高く木霊した。そして続いて、ザザザッという竹の葉の触れ合う音。

 不気味な寂静。


 僕は蹌踉めくように席を立ち、薄く膜の張ったような白く濁った眼をして頷き、崖へと近づいていった。

---------この下には、あの深い堀がある。

 僕の全ては深娜月・・・彼女だけ。僕は彼女を愛している、彼女だけを。今でも。

 本当の彼女はこの水底に居るのだ。なぜなら、僕は遠い昔、この水底へ彼女を突き落としたから。そして、彼女はそこから出る事も叶わず、その水底で僕を待ち侘びている。


 彼女の魂は今、封印されている。

 あの、冷たく暗い水底で、たった独りで・・・。


 僕は深い深い堀を見下ろした。眼下のこの澄み渡った水の中に、僕は彼女の姿を追い求めていた。

---------永い事、待たせてしまったね。

 僕はゆっくりと、優しい水底へ身を預けるように崖の下へと身を踊らせた。

---------今、遭いに行く。


---------暗ク冷タイ奈落ノ底デズット貴方ヲ想ッテイタ。

 本当ハ・・・貴方ガ、コノ世ニ再ビ産マレ出ズルノヲ待ッテイタ。貴方ヲ愛スレバコソ、貴方ガ憎ラシクテ、イツシカ、貴方ヘノ愛ノ数ダケ、憎シミノ数ガ増エテ行ッタ。


 いや、本当は、それは僕自身だった。醜く歪んだ、僕の愛だった。それすら、君は受け入れた。この結果を望んだのは、僕自身だった。

 僕だけの深娜月が欲しかった、僕の自身の・・・。


 僕の耳元で、冷たく湿った深娜月の本当の聲がした気がする。


---------寂シカッタ・・・。

 薄れゆく微かな意識の底で、白い蛇が僕の身体に巻き付き、共に水底へ落ちてゆくのを感じていた。


 静の瞬間。


 白い水しぶきが水面を乱れ踊った。

 そして均整のとれた美しい波紋が広がってゆく。

 水は水底の浄土を映すように何処までも何処までも澄み渡り、深い碧の中に、幾枚もの光の鱗を水面に浮かばせ、ゆらゆら煌めいていた。

 いつまでも、いつまでも・・・。





【あとがき】

この作品は、年に数度の頻度で京都奈良を旅していた時に書いた物語です。拙く感じる表現も多く、特に前半の深娜月のセリフ回しも標準語になおそうかと検討したのですが、ちょっと雰囲気が変わってしまったため、今回はこのままとしました。


あやかしのうたシリーズ、次回の作品も引き続き、よろしくお願いします。


ご感想や評価をいただけると嬉しいです。今後の制作のためにも、率直な感想を頂けると有り難いです。

どうぞ、よろしくお願いします。

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