第33話「フィンランド・ユヴァスキュラ(4)」
部屋には光量を絞ったオレンジ色の照明が灯されていた。俺はそれを、穏和で暖かいものに感じた。心が救済を求めていたのかもしれない。
俺が部屋に入ると、ドアの前に立つ運転手は外へ出ていった。退室するとき、ヘイ、と、彼が初めて声を発した。俺は運転手を振り返った。
運転手は、廊下に立ったままのゼンを指して、俺に向かい小さく首をかしげた。相棒は中に入らないのか? と聞いているのだ。
俺の位置から姿は見えなかったが、ゼンはきっと廊下で待つつもりだろうと思った。運転手に、ドアを閉める仕草をしてみせる。彼は少しのあいだじっと俺を見つめ、それから、首を振って廊下へ消え、ロックを再び操作した。
ドアが、ゆっくりと閉まる。
俺はベッドのほうへ向き直り、近づいた。
ケンジは、やはりマナウスの男性と同じように、バスローブのようなガウンを着せられ、大きなベッドの中央に横たわっていた。
奇妙なことに、俺は幼なじみの懐かしい顔より、身につけている衣服に意識が向いた。それは淡いクリーム色をした、触れずともその柔らかな質感がはっきりイメージできる、恐ろしく高価そうなガウンだった。西洋人の体格に合わせて作られているのか、ケンジには少し大きすぎる気がした。
小さく寝息を立てて眠るケンジを眺める。その顔を見下ろしながら、早く話がしたい、という思いと、このままずっと目覚めなければいいのにな、という、矛盾した考えが頭の中で交錯した。
相反する二つの思考に決着がつかないまま、ただじっと、ベッド脇に立っていた。
やっぱり声をかけないとな、曖昧にそう決意したそのとき、気配を感じたのか、うう、と低く呻いて、ケンジが、そっとまぶたを開いた。
かなりの時間眠っていたのだろう、控えめに灯る照明をまぶしそうにしばらく見上げてから、ゆっくり、本当にゆっくりと眼球を動かして、そばに立つ俺を見た。
視線が合っているのか疑いたくなるほど長い間、ケンジは、夢の中にでもいるような表情を浮かべてこちらを見つめていた。
それから一度だけ大きくまばたきをし、唇を動かして、俺の名前を呼んだ。
うん、俺は声を抑えてそう頷いた。話したいことが多すぎて、かえって、何を言っていいかわからない。
ようやくの再会にも、ケンジは笑わなかった。嬉しさの笑みを浮かべたりせず、かすかに眉間にしわを寄せ、俺から目をそらした。
俺たちは、長いこと黙っていた。
やがてケンジが言った。
「会いたくなかったな」
俺は無言のままケンジを見ている。
「きっと、来ると思ってたよ、でも会いたくなかったんだ、わかるか?」
わかる、とも、わからない、とも返事をしなかった。
「俺はもう、前とは違う、俺は、あいつらの、仲間になっちゃったんだ、あいつらって、わかるか、ここの連中のことじゃないぞ、
あいつらってのは、バケモノのことだ、あの樹海の街の、黒い、ディアーボのことだよ」
誰かに喋るという行為を久しくしてなかったのだろう、ケンジの声はわずかにしゃがれていて、俺の知るよりもずっとゆっくりした口調だった。
「連れてこられて、はじめは、牢屋じみた部屋だった、それから、医者みたいなヤツらが代わるがわるやってきた、
脳波、っていうのか、頭やら全身にケーブルを繋いで、検査をやり始めた、他にもいろんな、実験のようなことを試していったな、
そういうことが、何日も続いた、カレンダーなんてないからな、実際は何ヶ月、何年続いたのかも、わからないよ」
ケンジは、異様なほど落ちついた口ぶりでそう語った。そこに、何の感情も読みとることができない。
「いつからか、この部屋に移った、いや、今と同じこの部屋じゃない、何度も破壊してるんだ、俺が暴れて、めちゃくちゃに壊すんだよ、そのたび、同じ内装の部屋に移される、もう何度それをくり返したか、知らない、
暴れた後は、ものすごく疲れるんだ、きっと部屋の空調から、ガスか何かが送られるんだろうな、気づくと、意識がなくなってる、暴れてるときも、意識は、ひどく曖昧なんだけどさ、
それで、目が覚めると、こうやってベッドに、寝かされてる、本当に、そのくり返しなんだ」
話しながら、ときおり天井や俺の全身に視線を移す。その素振りに不自然さはない。だがこの建物でケンジが強いられた経験は、異常で、醜悪で、不自然さと不条理にまみれている。
画面越しの老人は、ケンジがディアーボになった、と言った。目の前で体験を語る幼なじみは、人間の姿をとどめている。だが決定的に、何かが違う。
俺は言葉が出ない。
ケンジは喋り続けている。
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