第13話「東京・恵比寿(1)」

 指定されたのは、恵比寿の住宅街にある、隠れ家のような料理店の一室だった。


 こじんまりとした和室で、部屋の壁には掛け軸と生けた花が置かれ、中央に木造りのテーブルとそれを囲んで4つの座布団があった。


 ゼンと俺は、奥の2つに座るよう促された。部屋まで案内してくれたエプロン姿の初老の女性は、気品のある落ちついた態度で俺たちにお茶を差し出した後、お店には私の他に誰もいませんから、どうぞご安心ください、とお辞儀して部屋を出ていった。飾り気のない服装と控えめな笑顔が、生前のおふくろと重なった。


 部屋の片隅には昭和の書斎を思わせる丈の低い古びた机と小さな本棚がある。机には何も置かれてない。脇の本棚に、文庫本や難解そうな分厚い書籍がまばらに並んでいる。

 そこからもっとも近い位置に座るゼンが、向かいの男と俺には構わずに、横を向いてそれらの本を眺めている。知った本を見つけたのか、ゼンは、おお、と呟いて片膝を立て、本棚のほうへ歩み寄ろうとした。


 そのとき、廊下から、お着きになりました、とさっきの女性の声がしてふすまが音もなく開いた。


 そこには、今、日本で誰よりも注目を集める男が立っていた。

 無言で室内の俺たちを見下ろすナガミネワタルには、ゼンとは異質の、過剰で、攻撃的な雰囲気が漂っている。


 ――今朝、群馬からアジトに戻ってから、ゼンの動きは早かった。インターネット上でナガミネに関する情報をあっという間に集めた。政治結社の事務所の所在地情報は、ナガミネの団体サイトにも、また総務省の政治結社一覧にも掲載されていた。

 だが、事務所の住所はどうでもいい、とゼンは言った。連日これだけ注目をされてるわけだからね、メディアや信者のようなファンが押し寄せてるはずだ、だとしたら規制のために警察もいるかもしれない、そんな場所にわざわざ出向く必要はない……


 ゼンはナガミネの行動を調べようとした。けど当たり前のことだがナガミネは日々のスケジュールを公開していなかった。SNSもやってないらしい。そこで、広報担当者に目をつけた。

 ナガミネらの団体に関する広報一般を引き受ける、堂場英治という男は、記者会見をはじめとする取材全般に対応していて、SNSでそうした情報を積極的に発信していた。

 その堂場を、俺たちは、誘拐したのだった。


 夜の10時を過ぎた頃、ある政治ニュース系テレビ番組の収録を終えた堂場英治は、赤坂のビルの地下駐車場で待たせてあった運転手付きの外車に乗り込んだ。テレビ局のため、地上のビル正面玄関は人の出入りが激しく、タレントのファンである一般人や、もちろん報道関係者なども群がっている。


 堂場はそれらの人目を避けて、地下の駐車場に車を停めておいた。主人を待つ車には、2人の男が待機していた。運転手と、ボディガードだ。テレビ局内ではガードは不要と判断したのか、それとも局から断られたのか、堂場は1人でビル内に入ったようだ。駐車場の車内で堂場を待つその2人を、ゼンと俺は襲撃した。

 

 俺は今回も、誰も傷つけないでくれ、と事前にゼンに頼んだ。だが保証はできない、と即座に言われた。俺は反論しなかった。しても無駄だとわかっていたからだ。

 

 今回のヤツの目的、快楽の核は、ナガミネと早く会うことなのだろう。


 だとすれば、その目的を果たすための手段に、前回のようにあれこれ面倒な制約を課すことには乗り気じゃないはずだ……俺はそう考えたのだった。


 堂場が駐車場に姿を見せ、奥に待機させてある車に向かい手を振った。運転手は小さく頷き、エンジンをかけ、車を発進させる。迎車のタクシーのように車が堂場のすぐ前に着き、後部座席のドアを開けて堂場が乗り込む。


 見落としていたのか、堂場は助手席にガードの姿がないことに乗ってから気づいた。――はどうした? トイレにでも言ってるのか? と運転手に聞いたのとほぼ同時に、彼がたった今開けたのと反対の後部座席のドアが開けられ、ゼンが音もなく乗り込んだ。


 俺はずっと、助手席の足元に身をかがめて隠れていた。本来そこに座るべき巨漢のボディガードは、ゼンに一撃のもとに気絶させられ、さるぐつわと後ろ手の拘束をなされたうえで、後部のトランクに寝かされている。

 見るからに屈強そうなガードが一瞬でのされるさまを目の当たりにした40代後半と思われる細身の運転手は、目出し帽をかぶって突然現れたゼンと俺に心底震え上がり、俺たちの命令に従順な子供のように従うことを約束した。何も知らない堂場が駐車場へやってきたのは、それから40分後のことだった。


 ゼンは運転手に命じて駐車場から車を出させ、報道陣やファンの目を避けてビルを離れ、夜の国道を走らせながら、堂場に要求を伝えた。

 ナガミネとじっくり話がしたい、というそのリクエストを、堂場は飲むほかなかった。ゼンは、断った場合あんたの安全は約束できない、とあの獣めいた目つきで堂場を見て言った。

 

 獲物を狩るときのゼンのその表情と全身から発せられる暴力的な雰囲気は、どんな言葉よりも説得力を持つ。頭がよくハイクラスのエリートに違いないとはいえ、超人でも何でもない堂場がその空気に逆らえるわけがなかった。恐怖で全身を小刻みに震わせ、額や鼻の下に汗を浮かべ、何度もつばを飲み込みながら、弱々しい声で、わかった、と堂場は言った。

 そして車の中からナガミネに連絡を取り、15分後、折り返してきた彼の指定で、俺たちは恵比寿の店へと向かったのだった。


「それで、話っていうのは? N村の件らしいと堂場からは聞いてるが」


 俺たちの向かいの座布団に腰を下ろし、あぐらをかこうと足を組みながら、ナガミネはぶっきらぼうに言った。

 ついさっきまでそこに座っていた堂場は、ナガミネに命じられて席を外した。お前は先に帰ってろ、ガードの――がさっき目を覚まして、外の車で休んでる、まだ痛むみたいだが大丈夫だろう、お前も帰って酒でも飲んでよく休んでくれ、いいな……ナガミネにそう言われ、堂場は申し訳なさそうに無言で頭を下げて部屋を後にした。

 去り際に俺と目が合うと、慌てて視線をそらした。ゼンと俺はとっくに目出し帽を外してる。最初に俺が素顔を見せたとき、堂場は、信じられないという表情をした。自分を誘拐した1人が10代の若者だということにショックを受けたのだろう。堂場は、今日のことは、お前たちのことは、すぐに忘れる……そう言いたげな顔のまま、部屋を去った。


「ずいぶん、ものわかりがいい」


 よく冷えたお茶をひと息に飲み干したナガミネに、ゼンが言った。ナガミネは、当たり前だ、という顔をした。


「あいつは、堂場はな、アメリカの東海岸のなんとかって大学院で経営を専攻しててな、それで現地の大企業に入って長いこと……」


 そこまで喋って、ゼンの言葉が堂場を指しているのではないらしい、と気づいたのか、ナガミネは話をやめてゼンをじっと見た。


「俺が、ってことか?」


 そうだよ、とゼンが頷く。


「あんたは、率直で非常にスマートだ、想像したとおりだけどね、それに、冷徹で、残酷だ」

 

 会ったばかりの、それも、仲間を誘拐し自分との面談を強要してきたゼンがそう伝えると、ナガミネは怒った様子も見せずに、真剣な眼差しでじっとゼンを見返した。


「何でそう思う」

「気になるかい?」


 焦らすのを楽しんでいるのか、ゼンは心から嬉しそうな笑みを浮かべる。俺は室内の異様な雰囲気に息が詰まり、この場から逃げ出したいと思う。


「あんただろ?」長い沈黙の後、ゼンは身を乗り出しナガミネに顔を近づけて、言った。


「あんたが、あの集落の住人を、皆殺しにした」


 ナガミネはまったく表情を変えない。まばたきもせずに、ゼンを見ている。

 だが俺の目には、彼の口元が、ほんのわずかに動いて歪んだように映った。見ようによっては、笑っているようにも思えた。


 ふいに俺の中に、ある考えが浮かんだ。

 この状況を楽しんでいるのは、ゼンだけではないかもしれない。


 目の前に座る、ナガミネも、ゼンと同じ種類の人間――他の何よりも己の快楽の実現を優先する、危険極まりない男なのではないか。


 この2人の男の接触が、今後日本に、世界に、どんな混乱を引き起こすのか、俺に想像することなどできるわけがなかった。

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