04 ここが異世界であること


 「──……──」

 「……──」



 ……うる、さい。


 近くで、話し声が聞こえる。

 やけに耳に付く、男の声。


 私の部屋に何で、男の声なんてするんだろう。

 ああ、そうか。姉さん、テレビの音うるさい。

 もうちょっと、小さくして。


 微睡む意識の中、何処かぼんやりとする頭で悪態を付く。


 そろそろ、起きなきゃ。

 でも、瞼が重くて開けない。

 疲れているんだろうか。


 「双黒色そうこくしきの女を渡せ」

 「……チッ、勝手にしろ! もう一人は下に居る。だが、どちらか一人だ。双黒色を二人も渡すものか!」

 「はいはい、と。じゃあ、下の連れてくぞ? お楽しみを邪魔しちゃ悪いからなぁ」


 そう、こくしき? 貰う?


 話し声は暫し言い争い、一人が折れて終わる。


 何のテレビを見ているんだ。

 ドラマか、アニメか。


 暗闇の世界の中、話し声をBGMに私は夢と現の狭間をたゆたう。

 また、眠くなる。

 何故か、分からないけれど、目覚めるのが酷く億劫であった。


 昨日は遅くまで起きていたんだっけ?

 あ、れ……でも、私、いつの間に寝た、の?


 はたと、気が付いた事実に肝を冷やす。


 私、寝た記憶ない。え、え……じゃあ、私……! 


 「おっと、起きたみたいだぞ」


 楽しげな男の声が響く中、慌てて重たい瞼を開き、瞬きを数回繰り返す。

 目を開き、最初に飛び込んできたのは、知らない天井。


 何これ、ここ何処。


 私は何故か、知らぬ間に眠り、知らぬ間に知らない部屋のベッドに寝かされていたらしい。


 お、思い出せっ。

 私は、意識を失う前、何処で何を、何をした?

 何をされた?


 「やっと、起きたか」


 妙に近い声に私は飛び起きて、視線をさ迷わせる。

 視界に映ったのは、小太りな親父と、とげとげの橙頭。


 誰っ?

 さっきの話し声は、テレビじゃなくてこの人達?


 私はまじまじと、訝しげに二人を見つめた。

 薄い色の茶髪、それと同様の髭に、暗い紺色の瞳に豪奢な赤い服のおじさんと、橙髪に、赤い瞳の裾の長い黒いコートの青年。


 橙って何だ、凄い髪色、不良か。


 「さ、てと……お嬢ちゃんが目ぇ覚ました事だし、邪魔者は退散するかぁ」


 橙頭の青年がひらりと後ろ手に左手を振って、部屋から出て行く様を、私は黙って見つめていた。

 状況がよく呑み込めない。

 目が覚めたら知らない場所とか、何のいじめだ。


 あれ、でも、つい最近もこんな事なかったっけ。


 「さて、邪魔者は居なくなった訳だ。こちらはこちらで宜しくやらんとな」

 「……っな、何なんですか、貴方」


 にや、と嫌らしい笑みを浮かべながら、じりじりと距離を詰めてくる小太りのおじさんに、私は身の危険を感じ、焦って後退して声を上げる。


 ひ、やめて、近付かないで。

 何で、こんな……あ、ああッ、お、思い出した……私、路地裏で目が覚めて、案内板見て、星羅が走り出して、追い掛けて、それで、変な人攫いの男達に捕まったんだ。


 気を失うまでの事柄が、唐突に思い起こされ、さっと顔が青褪める。


 これって、私、私達、売られたの?


 「くく……知っとるか? この世界、ステラシアで黒髪黒眼が持つ意味を」


 世界……? すてら、しあ……?


 聞きたくもなかった単語を告げられ、身体を硬直させ、放心する。

 ステラシア、DFWの世界名だ。


 本当に、異世界トリップしたの?


 嘘だと、頭から否定したかったけれど、心の何処かでやっぱり、と納得する自分が居る。

 おじさんが、何かを言いながら距離を詰めて、迫る。


 世界が遠い。声が遠くに響く。

 どさり──勢いのままに押し倒される。


 何なの。

 意味、分からない。

 分かりたくない。

 何でこんな事になってるの。


 頭の中が滅茶苦茶で、思考が纏まらない。


 私は何故、ここに居る。

 私は何故、襲われている。

 私は何故、何故……。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。気持ち悪い。怖い。

 触らないで、触らないで、触らないで……!


 頭の中を激しい警報音が鳴り響いた。


 「っいやぁ!」

 「っぐ、ぁう?!」


 べたべたと無遠慮に身体を触られ、嫌悪感から私はおじさんから逃れようと、必死に手を振り回した。

 手の平に唐突に硬い感触が触れて、私は力のままに振り下ろす。


 何を握ったのかは分からなかったけれど、今はそんなの考えていられなくて、無我夢中で腕を動かした。

 鈍い音と共に身体の圧迫感がなくなる。

 おじさんが呻き声を上げながら、後退し、私から離れていく。


 やだ、嫌だ。

 何これ、なんでっ。


 何が起こったのか理解しきれず、呆然と右手に収まったものを握り締めた。


 「き、貴様っ……何処からそんなものッ?!!」

 「し、知らないっ! 私、何もっ……やだ……!」


 いつの間にやら手の中にあったのは、鞘入りの片手剣で、私は目を白黒させる事しか出来ない。

 驚愕に声を荒げ、剣を凝視するおじさんと右手の剣を交互に見遣り、困惑に頭を振る。


 なんで、なんで何もない所から剣がッ……?

 分かんない、私、知らないっ。


 頭が追いつかない。

 色んな事が一気に起き過ぎて、頭の中がショートしそう。

 もう、泣きたい。


 恐怖、驚愕、困惑、様々な感情の波が入り乱れていて、今にも酔いそうだった。


 「くっ……さあ、大人しくそれをこちらに渡せ」

 「っ!」


 おじさんが苦い顔をしながら言う。

 私は逃げ出したい一心で、鞘に収まったままの剣を振り翳し、扉へ一直線。

 そのまま、剣を片手に部屋を駆け出した。


 し、下、とにかく下へッ!

 三人は多分、下にいるって、そんなような事をさっき聞いた覚えがある、から。

 だから、下にっ。


 私は、紅色の絨毯の敷かれた少し薄暗い廊下を無我夢中で走った。

 下に降りる階段を探して。




 「っはぁ、はぁっ……!」


 運良く、誰とも出会す事なく、探索していた私は、やっとの思いで階段を探しだし、たん、たん、たんっ、と急いで駆け下りた。

 息が上がり、心臓が激しく脈打ち、荒い呼吸を繰り返す。


 早く、早く、早くっ!

 逃げなきゃっ。

 逃げなきゃ、こんな所。


 「! 姉さん! 志乃! 星羅!」


 長い階段が終わりを告げ、階下の様相が目に映る。

 冷たい石の壁と床。

 並ぶ鉄格子。

 牢屋のような場所。


 その中で、格子の向こう側に三人の姿を確認し、私は一目散に駆け寄った。

 私を見た三人の声が、綺麗に重なる。


 「「「羽奏っ?!!」」」

 「無事?! 何もされてない?!!」

 「そ、それを言うなら羽奏こそ無事かよっ……?」

 「……だ、大丈夫。片手剣振り回して逃げてきた、からっ」


 格子を掴み、中に問えば星羅から問い返される。

 私はそれに途切れ途切れに返すと、三人の無事な姿にホッと胸を撫で下ろす。


 どうやら、引っ張り出されたのは、私だけみたいだ。

 良かった。


 姉さん達が酷い目に合っていたらと考えるとぞっとする。

 きっとこれは、私が無事で逃げられたからこその思考なのだろう。


 一人でなくなった事により、僅かに落ち着きを取り戻す内心で思う。


 「片手剣? て、それ無事なのっ?」

 「そ、そんな事はいいからっ! 早くここから出なきゃ!」


 口元を歪めながらも、志乃の言葉を流す。


 きっと、追い掛けてくる。

 折角、逃げたのに。

 今度捕まったら、次は……。


 ぞくり、と背筋を走る悪寒に、私は慌てて先程の出来事を掻き消すように首を振った。


 「早く、て言っても……鍵がないと……」


 っ鍵、鍵……。


 姉さんの言葉に、はっとして辺りを見渡すが、当たり前の如く、鍵らしきものは見当たらない。


 どうしたらいい?

 力付くで、開くだろうか。


 牢を閉ざす錠前を触り、唇を噛む。


 「ちょっと、下がってて。……っ開けぇ!!!」


 私は意を決したように、痛む左手を添え、両手で片手剣を握り締めると、思い切り振りかぶり、錠前へと掛け声と共に振り下ろした。

 バキィン──と、激しい音と共に錠前が弾け飛ぶ。


 「っったぁッ?!!」


 じんじんと痺れる両手。

 それに加えて、鋭い痛みの走る左手に、思わず声を上げる。


 「ちょ、大丈夫……?」

 「っだい、じょぶ。開いたよ」


 心配げに問う姉さんに短くそう返し、錠前のなくなった牢の扉を開けて見せる。

 三人は躊躇いがちに、外に出て来た。


 「牢からは出たけど、後はどうしたら……?」

 「出口、探そう」

 「まあ、そうなるよね」


 困惑する志乃に、私が言うと、姉さんが苦笑気味に肯定する。

 ここまで来る道筋で、それらしいものは見当たらなかったから、ここは相当広いお屋敷なのだろうと思う。


 「……見つかる前に、早く行こ」

 「あ、うん」


 姉さんの腕を僅かに引っ張ると、四人で牢を後にする。

 行きは下った階段を今度は上って行く。

 先程まで走っていた廊下に出て、私達はきょろきょろと辺りを見渡した。


 確か、私は右から来た訳だから、左に行けば、少なくとも、あのおじさんと鉢合わせはしない、筈。


 「どっち?」


 星羅、左左、左でお願い。


 私は左を指さした。

 星羅が「左、な」と、呟いて歩き出す。

 私達三人も続き、周囲を警戒しながら、廊下を歩いて行く。


 人気はない。

 静かすぎて、何だか逆に怖い。

 見張りも誰も居ない。

 追っ手も居ない。


 私達、捕まってるんだよね?

 捕まったんだよね?

 警備ってもう少し……。


 「うあぁあぁあぁッッ……!!!」


 唐突に廊下の向こうから男の悲鳴が響く。


 な、今度は何ッ?!


 私達は一様にびくんっ、と大袈裟に肩を跳ね上げると、互いに顔を見合わせた。


 「どう、する?」

 「一旦、ここから離れようか」


 問い掛ける志乃に、姉さんが静かに答えた。

 それに同じくして、更に悲鳴が響き、廊下の向こう側、曲がり角から一人の男が現れる。


 あれは……。


 「ひいぃいぃッ……だ、誰か助けっ……!!!」


 ああ、見た事ある。

 この人は……この人だ。

 私達をここに連れてきたのは。


 みっともない声を上げながら、こちらに走ってきたのは、私達を捕まえた奴らの中の一人だった。


 私達をまた捕まに来た?

 でも、それにしたって様子が可笑しい。


 「──逃げるな」


 氷の様に冷淡で、刃物の切っ先の様に鋭い一喝。

 一瞬でこの場の空気を凍り付かせて、その人は現れた。


 きっと、この男を追ってきたんだと思う。

 ぶるり、と身震いして男とその人を交互に見遣る。

 その人は、白銀の鎧を身に纏い、右手には剣を持っていた。

 剣を男に向けたその人は、翡翠の眼を細め、横目で私達を見遣る。


 綺麗だった。

 ほう、と見惚れるくらい。

 眼と同様のセミロングの髪は、横髪を両端で纏め、後ろ髪も尻尾のように纏められており、顔は外国人寄りで、とても整っていた。

 物語に出て来るような騎士が今、私の目の前に居る。


 私は、この人を知っている──。



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