第1話 身体障害者になった日
話の始めに、私自身の簡単な自己紹介をしたい。
私、越後亭耕太は、今年で三十九歳。身体障害者になったのは平成二十三年十二月のことである。よって障害者年齢(そんな言葉あるのか?)は六年となる。
障害名は「一下肢の股関節又は膝関節の機能を全廃したもの(右股)」と身障者手帳には記されている。簡単に言うと右足の一部が完全に機能しなくなった。といって良い。
その原因と治療を少々詳細に説明すると、右大腿骨を骨折し、検査の結果折れた骨の接続は不可能と診断され、大腿骨の股関節側の端(骨頭)を切除、代わりに人工骨頭を入れる「人工骨頭置換術」と言う手術を受けた。その日から自分の右足は、自分の骨で無く、人工物で構成されるものとなった。自分の骨が機能せずに切除された為、「機能を全廃したもの」となったのである。
なぜ大腿骨なんて所を骨折したのか?骨は何故接続できなかったのか?といったところは、説明しだすと長くなってしまうので後に記したい。
そうして、三十二歳で右足が不自由な身障者になった。
運命とは不思議な物である。私は十八歳から二十歳まで専門学校に通っていた。学科は社会福祉科である。卒業後は約八年間、障害者施設で介護の仕事をしていた。福祉の勉強をし、介護の仕事をしていた人間が、その後障害者となり、福祉の恩恵を受ける側になったのだから、これ以上の皮肉は無い。もっとも、過去の勉強のおかげで、身障者手帳の申請手続きなどは、スムーズに出来た。
さて、本題の就職活動である。退院後の予後検査やリハビリなどを経て、本格的に就職活動を始めたのは平成二十四年二月からである。まずは、ハローワークでの登録手続きから始めた。
一般的に求職者は、まずハローワークに求職者手続きを行う。雇用保険がある場合は、ここの段階で雇用保険申請の手続きも済ますこととなる。その点は、障害者でもほぼ同じである。違うのは申請用紙と記入欄が違う程度だろうか。こうした手続きは、以前に離職したことがあったので、自分がやる部分については簡単だった。
難航したのはハローワーク側である。どうも行政側では、健常者と障害者は別個に登録しているようで、職員が端末に情報を打ち込むのに苦労したり、今後の就職活動の説明がたどたどしかったりする場面が多少見られた。悲しいことに、私の住所はかなりの山間部である。こんな田舎では、障害者雇用の情報も少なく、ハローワーク側も「珍しい利用者」の対応に苦労したようだ。専門学校では、福祉の目標の一つとして、「障害者の社会参加を目指そう」と教わっていたが、現状はこの有様である。「障害者の社会参加」への壁は、まだまだ高いようだ。
身体障害者就職活動奮戦記 越後亭耕太 @etigoteikouta
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