変心成獣譚〜平安泰平戦記〜

第1話「鬼」

時は平安、この物語は都 平安京から少し離れたとある神社から始まる。


【丑の刻 帰路偸護神社】


満ち溢れた月の研ぎ澄まされた光、あまりにも研ぎ澄まされているので、まるで体につき刺さってしまうのではないかと疑念を抱いてしまうほどの光に照らされ、普段は青々しくそしてどことなく力強く茂っている竹林も今宵は薄白くそしてどことなく弱々しく茂っている。そしてその竹林とは対照的に、その一本一本の竹の下にはとても力強い、いやとても重々しい漆黒が影を成していた。

そんな竹林に囲まれた神社、『帰路偸護神社』の石段を急ぎ走っている男が一人、体格は高身長で細身、しかし身なりはとても綺麗とは言い難く、一枚の布に穴を開けそれを被るいわゆる貫頭衣のようなものを身に付け、頭には笠を被り顔を隠しているのだが、彼の身に付けているものはだいぶ生地が傷みそして劣化し、まるで戦に敗れ戦場から帰還してきた落ち武者のような無様なそして滑稽な格好をしている。

こうだらだらとそして長々しく説明をしているとそろそろ彼が石段を登りきるのではないかと思う方もいるかもしれないが、それはない。なぜかって?理由は至って単純である。ここの石段は千段以上もあり、いくら全力疾走したところで決してすぐには登りきることは到底不可能だからだ。

それに彼は正面を見据えて集中して走ればいいものの、まるで何者かに追われているかのようにしきりに後方を気にしている。だが彼はその行為が自分の走る速度を下げているなんて思いもしてはいないだろう。なぜなら彼は焦っているから、そして恐れているから。

そう彼は本当に追われている身なのだ。



【彼が登り始めて少し経った頃】



「ここか、あの俗悪な獣の逃げ込んだ神社というのは」

神社へ通じる石段の前に位置する大鳥居の前に男が一人、呟いている内容からして獣退治にでも来たのだろうか?

いや、おかしい。どうも彼が獣退治など出来るような人間には見えない。

彼を一言で言い表すと、『美しい』そうとしか言いようがないくらいに『美しい』。

位の高さを感じさせる装束、そして凛々しく薄い顔立ち、身なりでいえばどこをとっても非の打ち所がない。強いて言うなら辺り一帯を囲んでいる竹のように『弱々しい』ということくらいだろう。

彼の身なり体格から察するに彼のような人間は獣退治などしない、いや獣退治など到底出来はしないだろう。

しかし、どうやら彼は本当に獣退治に行くようで、その根拠として彼がその貧弱な足で千段以上もある石段を登り始めたことには正直目を疑った。



「ハァハァ...」

石段を登り終えた男はそう息切れを起こしつつ、急ぎ社の境内の方に走った。

おかしい。違和感を感じる。この男、先ほどまでは多少みすぼらしくても一応人間らしくはあった。いや、人間であった。がしかし、今現在どうしても彼が人間には見えない。倫理的にではない。物理的、外見的にである。

丸まった背中。四足歩行で野性的な走り方。傷んだ雑巾のような生地の貫頭衣からはまるで人ではない何か、いやまるで獣のような黒い毛の生えた恐ろしい腕が飛び出していた。

その彼、いや獣が社の境内にたどり着き社の入口の前に立った瞬間に彼は来た。

「もう追い詰めたぞよ。この俗悪な獣め」

男は獣に対し、そう言い放った。

「我は獣などではない!もし獣だとしても俗悪ではない!」

しかし獣は決して認めようとはしない。頭は隠せていてもその獣のような腕は、いや獣の腕は隠せていない。まさに頭隠して尻隠さず。

彼は続けてこう告げた。

「獣になる時点で俗悪ではないか」

「だから獣ではないと...」

獣はそう言いかけた瞬間口を止めた。

幻覚だろうか。妖術で幻覚を見せられているのだろうか。

獣の前には「鬼」がどっしりとそして堂々と座り込んでいた。


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