第8話 喫煙魔法少女 ドリームハンターくらら
「緊急事態。『いつもの』をお願いできますか」
そんなメールが丑三つ時に届いた。僕は新しいカートンの封を切り、らくだの描かれた箱を4つほど掴んで、マンションの屋上へ向かった。携帯灰皿も忘れずに。
日付が変わる頃に降っていた雨は既に止んでいて、青黒い雨雲は西の空に掃き集められていた。水たまりに踏み込まないように気をつけながら、僕はソーラーパネルの間を進んだ。向かうのは、街の中心部を見下ろせる屋上の角。ガス管の間に隠しておいた折りたたみ椅子を取り出して腰掛けると、僕はタバコに火をつけた。煙は雨雲を追いかけるように、ゆっくりと西側のフェンスの向こうへと漂っていく。
メールの送り主は、1分経たずに現れた。長い黒髪を夜風になびかせながら、魔法少女くららは屋上に降り立った。つかつかと歩み寄ってくる彼女に、僕は無言で開封済みのラクダを差し出した。くららが一本抜いて口にくわえたら、すぐにライターで火をつけてやる。くららは、その一息でタバコの半分近くが燃えさしになるんじゃないかと思うほど、深々と紫煙を吸い込んだ。
「ニコチンチャージとりあえず終了。ありがとうございました。助かりました」
立て続けに5本のタバコを灰にして、くららはようやく言葉を発した。年にしては低い声。僕は彼女に椅子を譲り、自分はガス管に座った。くららが新しい一本をくわえたので、またすぐ火をつけてやる。
「今夜は悪い夢を見てる人が多いみたいですね。魔獣が多くて多くて。持ってた箱を全部使い切っちゃったんです」
「今日は涼しくて眠りやすいのになあ」
「でも、お兄さん起きてましたよね」
「昼間に寝ちゃったんだ」
今度はゆっくりと、旨そうに煙を吐き出すくらら。
「吸い殻、もらうよ」
「あ、すみません。ありがとうございます」
差し出したコンビニ袋の上で、胸から下げていたペンダントをくららが開くと、優に5箱分ほどの吸い殻がどさどさと落ちてきた。そのうち何本かのフィルタにに、うっすらとだが色が付いているのに気づいた。
「あ、わ、ちょっと、見ないでくださいよ!」
「もしかして、口紅とか試してみたの」
「リップクリームです!」
フリルのついた袖口で、くららはごしごしと唇を拭った。
「服が汚れるじゃん。そのままで良かったのに」
「うー」
「どうしたの。それ」
「友達がくれたんです。一本だけ。色が思ったのと違った、って言って」
「そっか。くららも、そういうのもっと欲しい?」
やたらと煙をふかしながら、くららは眉根を寄せた。
「正直、欲しいですけど。タバコにお金使わなくて済むようになったら、考えます」
「一本二本なら、買ってあげようか」
「え」
「明るいとこで見せてくれるなら」
「ならヤです」
「じゃあ、夜明けまでもうひと頑張りしてきます」
一箱をあっという間に吸い終えると、くららは立ち上がった。僕が渡した3箱は、腰のポーチに押し込んで、火を点けた一本を口にくわえる。吐き出した紫煙が渦を巻き、彼女の白い手の中で教鞭のような形のマジカルスティックに変わる。
「こんな遅くまでお疲れ様。明日って休みなの?」
「いいえ、普通に学校あります。大丈夫ですよ、保健室で寝ますから」
「でも、保健の先生にタバコの臭いのこと、言われたりしないの?」
「父がずっと吸ってる、って言ってます。実際そうですけど。今日は、家にいないんですけどね。だから、今夜は魔獣狩りをやれるだけやっておこうと思って」
じゃあ、と手を振り、魔法少女くららは屋上の地面を蹴った。自分の吐いた煙を突き抜けて、ぐんぐんと上昇していった彼女の姿は、すぐに夜空に溶けて見えなくなった。
一晩でタバコ1カートンを空け、魔獣を山ほど倒し、誰もいない家に帰る保健室登校の女の子。リップクリームが買いたい女の子。僕はタバコをふかしながら、彼女が将来どんな大人になるのか考えてみた。
子供にタバコを吸わせない、きちんとした大人になるといいなあ。
寒気がしてきたので、僕は部屋に戻ってシャワーを浴びることにした。
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