第7話 マジックトラベラー はずれちゃん

 その青い宝石は、手にずしりと重かった。少なくとも、ガラス製のまがい物ではない。複雑なカットのためだろうか。内側からぼうっと、青い光が溢れてくるように見える。


 傍らに座る少女を見た。ベンチの背に気怠げにもたれた少女は、同じような石をいくつか手の中でもてあそびながら、池の噴水をぼんやりと眺めている。


「きれいな石だね」


 わたしが言うと、少女はこちらを見ずに答えた。


「でも、いらないの」


「いらないからって、池に投げ捨てたりしちゃダメだよ。この公園は区が管理してるんだから」


「子どもの管理も、区の仕事なの?」


 減らず口。でも、考えてしまう。


「児童相談所ってのが、それぞれの都道府県にあるね。区市町村にも、窓口はあるらしいけど。関わった事がないから、詳しくは判らないな」


「そう」


「なにか、悩みでもあるの? 学校以外でも、今言った所とかで相談を聞いてくれるし、よければ僕も聞くよ?」


 少女は聞いているのかいないのか、変わらず噴水を見ているだけ。


「…学校はまだ休みか」


「明日から始まるよ」


 急に立ち上がると、少女はノースリーブの腕を回し、池に向かってまた一つ石を投げた。肘がしっかりと上がった、綺麗なフォームだった。


「あ、こら」


「この石はね、魔法を使うために必要な石なの」


 僕が苦言を口にするより先に、彼女は言った。


「小さな欠片だと、ちょっとした占いくらいしか出来ないけど、これくらい大きいのをちゃんとした魔法陣にはめると、ずっと昔の出来事を見聞きしたり、遠くの様子を探ったりできるの」


 彼女の考えた設定だろうか。とりあえず、聞きに回ることにする。


「石は王様が管理してる鉱山でしか取れなかった。代々の王様は、石を使った魔法で国民を監視するようなことはしたくないと言って、ほとんど魔法陣を使わなかったの。でも、貴族の1人がこっそりそれを悪用して、国を乗っ取った」


 情報を集める魔法、というのは、子どもが考えたにしてはうまいかもしれない、などと思う。


「わたしはね、この池の下流にある橋から飛び降りたの。夏休みの一日目に。そして、魔法の世界にたどり着いて、乗っ取られた国のお姫様と出会ったの」


 飛び降りた、の部分が引っ掛かったけれど、とりあえず黙っておく。


「いっしょにサーカス団に入って、いろんな所へ行ったわ。サーカスには占い師のおばあさんがいて、魔法の使い方を教えてくれた。一ヶ月間旅をして、最後はサーカス団みんなの協力で、お姫様は国を取り戻した。そして、わたしが元の世界に変える方法も見つけてくれたの。それが昨日」


 少女は僕に向き直った。


「ねえ、子どもが夜になっても帰ってこなかったら、普通どうする?」


「うーん。学校や友達の家に連絡してみて、それでもどうしても見つからなかったら、警察に通報するかな」


「そうだよね」


 少女は笑った。


「わたしが一ヶ月ぶりに家に帰ると、お母さんは言ったわ。『休みの間に帰ってきてよかった』って。で、台所のテーブルに千円置いて、すぐ出て行ったの」


 笑顔が消える。また、白い腕が振りかぶられる。


「もちろん、通報なんてされてなかった」


 キラキラ光る魔法の石は、見事な放物線を描いて、噴水の向こう側へ消えた。


「この石があったら、魔法でお母さんやお父さんの事、調べちゃうかもしれない。わたしがいない間、何をしてたか。わたしのこと、どう思ってるのか。だから、捨てるの」


 ぼくは返す言葉を失い、額の汗を手の甲で拭った。


「じゃあね」


 そう言って、少女は僕に背を向けた。全く日焼けしてないその背に向かって、僕はなんとか声をかけた。


「もう一度、魔法の国に行きたいとは思わないの? よければ、ぼくもその国への入り口だっていう橋に連れてってよ」


 振り返った少女は、最後に残っていた魔法の石を右目の前にかざし、その宝石越しに僕を見た。


「お兄さんがわたしと一緒に行きたいのは、魔法の国じゃなくて、彼女さんに内緒で買ったマンションの部屋でしょ? クローゼットに隠した服とランドセルと撮った写真、早めに処分しないと警察に捕まるよ」


 固まってる僕を尻目に、少女は石を池に投げ捨てると、8月の陽炎の向こうへあっという間に走り去っていった。

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