第6話 超能探偵アリス
「よく考えてください、長官。あの娘は危険です」
「わかっているさ。わかっているとも」
拘置所へ向かう黒塗りの車の中。ここが最後のチャンスと、秘書は必死で訴える。
「前政権が転覆したのも、我が国へのオリンピック誘致が失敗したのも、あの小娘が遠因ではありませんか」
「遠因どころか、原因そのものだろう。もちろん、知っているとも。主要閣僚の公職選挙法違反にIOCへの巨額の賄賂。叩かれるべくして叩かれた汚点だ」
秘書の苛立ちは頂点に達しつつあった。
「ご自身の身辺が完璧にクリーンだとでも思われているんですか。叩かれれば、相応の埃は出ますよ。そして、あの小娘に一切のごまかしは効きません。断言します。彼女の協力を仰げば、あなたは失脚します」
「君、確か二人目の息子さんが生まれたはずだったね。今、職を失うわけにはいかんよな」
突然の話題転換。秘書は動揺を取り繕い、なんとか言葉を返した。
「ええ、それがどうかしましたか」
「安心したまえ。幹事長に話を通して、次の選挙で出馬予定の候補の選対要員に君を推しておいた。一時は中央を離れることになるが、状況を考えればより安全だろう。君には、我々が下野したのちの、新たな執行部の支えとなって欲しいのだ」
「そ、それでは」
「明日付けで、君はクビだ。私は政界の暗部に長く浸かりすぎた。引導を渡されるのが、あの小娘ならば、それも小気味良い」
絶句する秘書。長官はくつくつと笑った。
「超能探偵アリス、だったか。思えばあやつも哀れなやつだ。あまりに良いことばかりするものだから、世界中に邪魔者扱いされて拘置所暮らしとは」
話している間に、車は見上げるほどのコンクリート塀の前にたどり着いていた。鈍重な門が開き、長官と秘書の車を招き入れる。二人が車を降りると、目に緊張感を漲らせた所長が出迎えた。
「ついに、彼女を解放する時が来ましたか」
「うむ。君も覚悟を決めたまえ」
「もちろん。お話をいただいてすぐ、辞表を用意いたしました。では、こちらへ」
所長の案内で、長官と秘書は拘置所の薄暗い廊下を進んだ。所長の革靴の音が、寒々とした空気にひどく響く。
「超能探偵アリスのデビューは、『神戸連続首切り殺人』の解決でした。この時、彼女は犯人逮捕のついでに、当時日本第二位だった造船会社社長による買春行為を暴露しています」
所長が淡々と話す。
「次に全国的なニュースとなったのは、大阪の『末吉ちゃん誘拐殺人事件』解決の時です。犯人は彼女の推理によって逮捕されましたが、現役最高裁判事の収賄が明らかにされ、司法は大混乱。『オリゴ製菓脅迫事件』では、時の政権与党による組織的な公職選挙法違反が暴かれて、政権交代まで起こる始末。『不忍池バラバラ殺人』に至っては、大臣とIOC理事の首が飛びました。大臣の方は、物理的に」
「次に飛ぶ首はどれかな。わしと君くらいで済めば良いが」
「もっと悪事を働いておけばよかったと、今更思っていますよ」
面会室にたどり着くと、長官はパイプ椅子にどっかりと座り、秘書はその後ろに立った。
「おい。なんなら君は退席しても良いぞ。彼女は見ただけで他人の罪を暴くとも言われとるじゃないか」
「いいえ、最後まで先生にご一緒させてください」
ふん、と長官は鼻を鳴らした。
ガラスで仕切られた面会室の反対側。扉がゆっくりと開かれた。刑務官と共に入ってきたのは、まだ10代なかばほどの少女。青白い不健康そうな顔の中、目だけが異様な精気を宿して、ぎょろぎょろと周囲を見渡していた。
「ようこそ、名探偵くん。今日は君に頼みがあって来たのだ」
少女は額にかかる長い髪を邪魔そうに払い、ハスキーな声で応じた。
「長官殿が4年前にやらかした交通事故未遂を黙っていてほしい、ということなら、お断りします」
自分を含めて数人しか知らないはずの事件について言及され、唖然とする秘書。長官は立ち尽くしている秘書から鞄をひったくり、中から捜査資料の束を取り出した。
「告発するならすればいいさ。だが、あんな事件だけでは満足できまい。ついでにこいつにも挑戦してくれんか」
資料のタイトルは『湾岸地区大量死体遺棄事件』。
「この事件は少々ヤバすぎる。わしや同じ穴の狢の二、三人など惜しくない。好きに暴れていいから、解決してくれ」
ガラス越しに資料の一ページ目をじっくりと眺めたアリスは、にんまりと笑った。
「お引き受けしましょう」
こうして、あらゆる意味で世間を騒がす「正義の味方」、超能探偵アリスは娑婆へと復帰した。
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