第3話 夢のプリンセス ドリーミーマヤ
心を決めてしまうと、世界の全てがシンプルに見えた。連休を使い、私は部屋を綺麗に片付け、レコードや本、DVDを全て売り払った。少し迷ったが、車も売ってしまった。最後の出勤は、タクシーでいい。
意外にも、羽目をはずす気にはならなかった。日曜日の夕食を、ちょっと高級なイタリアンにしたくらい。ミシュランに載った店の鴨とワインは、確かに美味かった。気持ち良く酔い、帰りも横着してタクシーを使った。家に帰ると、酔い冷ましにコーヒーを一杯入れた後、いつも通り明日の準備をした。
書類とPC、ペンや時計、一式を机に並べる。全て、6年使い続けている鞄にきっちりと収まる。靴下、ワイシャツ、ハンカチ、財布。全てがいつも通り。
二つだけ、いつもは持っていかない物がある。一つ、真っ白なカードキー。もう一つは絵本。
カードキーは問題ない。自分のIDカードと一緒に、スーツの胸ポケットに入れておいた。絵本には困った。サイズも考えて選んだつもりだったのだが、これを入れると鞄が閉まらない。仕方がないので、百貨店の紙袋に入れていくことにした。見つかったとしても、さして怪しまれもしないだろう。
シャワーを浴び、一杯だけウィスキーを飲み、読みかけだったミステリを最後まで読んだ。読み終えると、ちょうど深夜一時。眠りにつくには良い時間だった。
ああ、なんて贅沢なんだろう。そう思いながら、私はベッドへと潜り込んだ。
「先生、おはようございます。その紙袋はなんですか?」
「知人から送られてきた紀要でね。今どき、随分と装丁に凝っていて、邪魔で仕方ないよ」
セキュリティは何の問題もなかった。施設に入ると、私は更衣室で白衣に着替え、白いカードキーを白衣のポケットに移した。紙袋はそのまま持って行った。すでに出勤していた部下に、現状の報告を行わせる。
「管理対象のバイタル、問題なしです。次のクールも、覚醒剤の配合はこのままでいけると思いますが」
「今日の診察後に決めるとしよう。が、私もそれでいいと思うよ」
午後の診察に向け、私と部下たちは準備を進めた。てきぱきと働く部下たちを眺めていると、寂しくもなった。だが、私は自分のやるべきことを定めていた。迷いはない。
「先生、調剤部から何かパッケージが届きましたよ」
「私の机に置いておいてくれ」
私は協力者から送られてきたアンプルを、部下の目を盗んで白衣の下に隠した。
地下へと続くエレベータ、三つの生体認証式ゲート。それぞれに銃を構えた歩哨が立っている。厳重なセキュリティを通過し、私は最深部のチャンバーへと入った。手には紙袋。ポケットにカードキー。そして、白衣の下にはアンプル。
その少女は、椅子に括られていた。髪は永久脱毛され、鉛色のヘッドギアが頭骨にぴったりとフィットしている。腕にはバイタルモニタと点滴機能を兼ねたポートが移植され、何本ものコードがそこに接続されている。筋肉は衰えているが、血行を維持する各種の手段によって、肌の色艶はいい。しかし、より管理しやすくするために四肢の切断手術が提案されていることを、私は知っていた。
部下たちは作業を進めている。モニタ機器のチェック、脳波レベルの測定、刺激に対する反応の確認。私も、ペンライトを取り出して少女の瞳に光を当てた。収縮する瞳孔。小さな声が乾ききった唇から零れた。
「 おねがい。 ねむらせて」
夢のプリンセス・ドリーミーマヤの存在が明らかになったのは、今から20年前。歳をとらず、気まぐれに現れては事件や災害に立ち向かう魔法少女の正体が明らかになった時、世界は震撼した。
曰く、この宇宙はドリーミーマヤが夢に見ている仮初めの世界だと。
この宇宙で観測できるドリーミーマヤが「眠った」時、レイヤーを異にする別の宇宙で、「本物」のドリーミーマヤが目を醒ます。たった一人の少女が眠り、目覚めるたびに、我々の宇宙は消滅と生成を繰り返しているのだ。
事実を知った人々は、罠を張ってドリーミーマヤを捕らえた。地下施設で監禁し、ありとあらゆる手段を用いて彼女の覚醒を維持することにしたのだ。大量の覚醒剤と、脳に移植したマイクロチップによる睡眠妨害。猛烈なストレス漬けとなり、それでも魔法と薬品の力によって死ぬこともできず、彼女はここで「目覚め続けて」いる。
検診が終わり、部下たちは機材をまとめて出口へと向かい始めた。私もそれに倣う、振りをする。わざとゆっくりと動き、ゲートに並ぶ最後尾へと着いた。
「先生、先にどうぞ」
私が後ろにいることに気づいた一人が、にっこり笑って場所を譲ってくれた。私は彼に笑い返すと、同時に彼の背を思い切り蹴り飛ばした。よろめく彼の背後でゲートを閉鎖し、白いカードキーをパネルに走らせる。仕込んでおいたプログラムが管理者権限を書き換え、チャンバーは瞬時に対テロモードへと切り替わった。
これで、少なくとも5分間は、外部からチャンバーへの侵入はできない。子供を寝かしつけるには、十分な時間だ。
私は少女のもとへと取って返すと、ヘッドギアを外してやった。腕のコードも全て外す。椅子をリクライニングしてベッドにし、タオルケット代わりに着ていた白衣をかけた。
少女は状況を理解できていないようだった。私はアンプルを取り出し、彼女の腕のポートへと接続した。入っているのは、投与済みの覚醒剤への拮抗薬。そして睡眠導入剤。
「おじさん。もしかして、あたしを眠らせてくれるの?」
薬が効いてくると、少女の瞳の曇りは徐々に消えていった。
「そうだよ。君は、ちょっと頑張りすぎた。そろそろ休んでもいい頃だ」
疲れ切った魔法少女は、安堵の大きなため息をついた。だが、すぐにこちらを見て、不安そうに言った。
「あたし、ちゃんと眠れるかな。まるで、眠り方を忘れてしまったみたいで」
私は紙袋から絵本を取り出した。
「これはね、私の妻が描いた絵本の一冊だ。読んであげるから、おとなしくしておいで。そのうち眠れるから」
少女は嬉しそうに笑い、体を覆う白衣を口元まで引き上げた。
「おじさんありがとう! みんな、あたしに意地悪して、起きたままにさせようとするんだもん。あたし、元の世界に帰りたかったのに」
「おじさんもね、その意地悪に参加していた一人だったんだ。そうしたら、妻に叱られてしまってね。まだ仲直りできてない」
「そっか。謝りに行かなきゃね!目が覚めたら、あたしも一緒に行ってあげる!」
やはり、この子は自分の眠りと目覚めが何を引き起こしていたのか、わかっていないかったようだ。
「嬉しいが、それは難しいね。妻はこの間死んだんだ」
絵本の最初のページをめくる。水彩で描かれた、安らかに眠る女の子の絵。
「むかしむかし、あるところに・・・」
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