楽しいけど・・ちょっとブルー ホーチミン
久しぶりのホーチミン。
空港からホテルへ向かう道は相変わらずバイク、バイク、バイク・・すごい数。聞けばバイクに免許はいらないとか。ナルホドね、というかホントかな。
タクシーは統一会堂の大通から右へ折れて ドンコイ通をサイゴン川方面へ。バイクの流れがふっときれたと思ったらそこがホテル・コンチネンタル・サイゴン。
市民劇場の前にあるコロニアル様式のホテルです。
ここは1890年操業の老舗。ベトナム戦争当時、各国特派員や外交官の拠点として使われココ から世界に記事が配信された現代史の舞台。高い天井の部屋や廊下の雰囲気、クラッシックでいいですね。
部屋の窓を開けると眼の前に市民劇場。ココはベトナム戦争当時の国会議事堂、当時は緊迫した空気が流れていたんだろうなあ。
ホテルを出てHクンと恒例の街ブラ。
ホーチミンの街は賑やかな屋台のすぐそばに洒落たテラスつきの建物があったり、東南アジアの雑然とした雰囲気に少しフランスのエッセンスも混じっていてなかなか魅力的。
ぶらぶら歩いてペンタン市場。その前は何本かの通りがクロスする大きな広場。
「イガラシサン、ここどうやって渡るんでしょう?信号もないし」
とH君。
なるほど、当然の疑問。交通量も多いしネ。
でも答えは簡単”郷に入れば郷に従え”。
つまり、現地の人と同じことをすればいいわけです。
現地の人たちは、車とバイクの波が途切れたりちょっと少なくなったら躊躇なく道を横断し始めます。広い道路なので 渡っている最中に次の波がくるのですがおかまいなし。
そうすると車やバイク(といっても、ほとんどバイク)は スピードを落としたりコースを変えたりして歩行者を避けます。
そして歩行者もバイクが避けてくれる前提で止まらず歩き続けマス。
どうやら、信号のない通りはお互いに微妙に 避けあってうまくやるのがローカル・ルール。以前の中国もソンナでした。
「大丈夫ですか?轢かれたりしませんか、チョット怖いなあ・・」
H君に説明すると少しビビリ気味。
まあそうだよね、慣れてないと。
ということで安全策”弾除け”作戦。
現地の人が渡り始めたら、一緒に後(正確には横)をついていくことに。現地の人を楯にして危険を回避しようという作戦。これがピッタリはまってH君ちょっとハイ。
「いや、けっこうスリルがあって面白いですね、コレ」
人間、大抵の事には慣れるもの。そうやって何本か通りを横断しているうちにH君”弾除け”不要に。
「コツが分かってきました。バイクはこちらが渡り続ける前提で避けるから、ビビって立ち止まったりすると逆に危険なんですね」
ピンポーン、H君すっかりロコ仕様。
「おもしろいなあ。観光するよりイイ思い出になりますよ、コレ」
いやコレも立派な観光だと・・。
夕食はペンタン市場横の屋台。
ここは通りの端から端まで、たくさんの屋台が並んでいます。その中の知人のオススメの一軒に。
ビールにちょっとした料理を何皿か、そして店のオススメの海老のグリル(まあ塩焼きデス)をオーダー。
この海老が予想外の大きさ。
車えびサイズを予想して いたのですがトンデモナイ、伊勢海老クラスがお皿にドーンと鎮座。いやあ、お腹一杯。
そして、これだけ飲み食いしても財布に優しいお勘定。さすがベトナムの屋台です。
食事の後はちょいとBAR。マジェスティックホテルへ。
ここは作家の開高健サンが朝日新聞の特派員時代に滞在していたことで有名、老舗の豪華ホテルです。こちらのスカイ・バーへ。
五階なのでまあ”スカイ”というほどの高さではありませんが、サイゴン川を見下ろしながらオープンエアーのスペースで飲むビールはなかなかゴキゲン。
夜風が気持ちよくて つい杯が進みマス。
開高サンもここで 憩のひとときを過ごしたのだろうなあ・・乾杯。
今夜も良く眠れそう。
明日はベトコンがジャングルに造った地下基地跡、クチ・トンネル観光。早起きしなきゃ。
でも、ホーチミンは変わったなあ。前はどこか戦争を引きずっているような 空気があったけど、今はずいぶん小洒落た雰囲気に変わって明るくなりました。
クチ・トンネルも すっかり観光地だし、ベトナム戦争も現実の世界から歴史の中へとほぼ移り変わって”今は昔”といったところなのかな・・。
「だけど、すごいバイクの数ですね・・」
クチ・トンネルへの道すがらH君。
「でもみんなウマクやってるなあ。信号も少ないし 警官もあまり見かけないのに」
そうだよね。
「いや、警官はたくさんいるのですよ」
ガイドさん、意外な言葉。
え?よっぽど大きな交差点でしか見かけなかったけど・・。
「建物の陰などに隠れて違反を見張っています」
「へえ、けっこうマメなのですね」
H君、感心。
「ハイ、とても商売熱心です」
商売・・熱心?
「ホーチミンでは、警官はとても儲かる職業です。数年やると家が建ちますから」
ということは・・。
「彼らは交通違反を見つけては”解決金”を 要求します。誰だって警察に連れていかれるよりお金で済ました方がいいですから」
まあ、どこの国でもよく聞くハナシ。
「ですから、じっと隠れて交通違反者を狙って いるのです」
うーん、確かに”商売熱心”。
「おいしい商売ですね。じゃあガイドさんも警官を目指したことあるのですか?」
H君の質問にガイドさん。
「いいえ。警察には大きなコネがないと入れませんからね。それに・・」
一瞬の沈黙、そして。
「私は警官とか役所とか、そういうちゃんとした職業には就けないのです。 私の父親がベトナム戦争当時アメリカ側に付いていましたから」
「戦争当時は、市民もアメリカ側と反アメリカ側に分かれて激しく反目し合っていました。終戦後すぐに、アメリカ側だった父は危険を感じ 私たち家族を連れて田舎に逃げたくらいです。その後、国の体制は当然ながら反アメリカ側の人間によってつくられました。ですから、私たちのような元敵側の人間には 今でも陽の当たる立場は与えられません。当時どちら側だったかは、現在でもとても重要な問題なのです」
何ということ・・。
「だけど、戦争終わって何十年も経っているし・・。しかも、お父さんのハナシでしょう?それで差別されるなんて」
H君、憤ってます。
「何十年経っても消えないものは消えません」
ガイドさんの重い一言・・。
ホーチミンの郊外。車の窓に広がるのどかな風景。どこから見ても平和そのもの。
デモ・・。
戦争の傷跡、それは目に見えるものより見えないモノの方が深くてやっかいのようです。
ガイドさんの子供さんの世代には、そんなことも消えているとイイナ・・。
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