第303話・片端とのこと


 ニネミアがしでかしたことが、この議論と齟齬そごしていないとは言い切れない。

 しかし、VRギアを初期化フォーマットするという方法が、以前ビコウから教えてもらった方法しかないとすれば、一概のプレイヤーでしかないニネミアが、それと似たようなことをするにはやはりNODのデータサーバーをハッキングして、ウイルスを仕込んだアイテムファイルをVRギアのキャッシュフォルダに入れて、それこそ風邪をこじらせるようにウイルスを発動させるという考えのほうが腑に落ちる。


「ところでシャミセンさん――」


 と、ヒロトがオレに声をかけ、


「俺は自分の名前以外はほとんど覚えていないので、あまり役には立たないかもしれませんが――」


 神妙な声でそう言った。


「なにか引っかかることでも?」


 そんなヒロトに、ジンリンが首をかしげるように訊く。


「参考になるかどうかはわかりませんけど、シダさんから聞いたんですが、NODは星天遊戯よりも前から企画としてはあったらしいんですよ」


「星天遊戯よりも前から?」


 オレは、ヒロトの言葉をオウムがえしするようにシダさんを見すえた。


「つまり、セーフティー・ロングが本来配信しようとしていたVRMMORPGの配信順を直すと、『魔獣演舞』・『ナイトメア・オブ・ダークネスウィッチーズ』・『星天遊戯』ってことか」


「でもどうしてそんなことに? ゲームシステムの調整で時間がかかったとか?」


「いや、そもそも『星天遊戯』はビコウさんが前々から考えていた企画で、玉帝がVRギアの制作を発表してから、提案としては出していたみたいなんですよ」


 シダさんは苦笑を交えて言う。


「ただ、星天遊戯のゲームシステムがあらかた煮詰まってきた時に、ある事故が起きましてね」


「ビコウが川で溺れている仔犬を助けた代償に、意識不明の重体になってしまった」


 オレがそう言うや、シダさんはうなずいてみせた。


「脳の微弱な電流を読み込んでアバターを動かすというシステムはあったんです。もともと玉帝がVRギアをつくろうとしたのは身障者でも普通にゲームが出来るようにという考えからでしたからね」


「それを元につくられたのが、痛みを感じることができるシステムってことですか」


 ナツカはそれこそ片眉をしかめ、


「だけど、これって結局は今の技術だと別にVRじゃなくてもいい気がしますけどね」


 と、言葉を続けた。


「もしかすると、玉帝はビコウが脳だけ生きている状態だったのを良いことに、BMIとVRギアのシステムを調整しようとしていた?」


 オレの言葉に、


「さすがにそれはないんじゃないかしら? いくらいいものを作るためとはいえ娘を犠牲にするとは考えられ――」


 ジンリンがそう言い返すが、なにか引っかかることがあったのか、言葉を止めた。


「ちょっと待ってよ? ***、ビコウさんがその植物人間状態になったのっていつの話?」


「んっ? セイエイやナツカから聞いた話だと、あの時の半年前くらいだから、去年の十月あたり……」


 ジンリンが引っかかりに気づいたオレは、彼女とお互いに目を合わせた。


「ボクがVRギアのテスターをしていた時は、まだブレイン・マシン・インターフェースのシステムが入っていなかった――」


「もしくは完全には完成していない状態だった」


 漣がVRギアのテストに参加していたのは今から二年前の、オレと漣が高校二年だった時だ。

 それからしばらくして、VRギアが発売されると同時に、様々なゲーム会社からそれこそ群雄割拠するようにVRMMOゲームが配信され、今でも人気作品どうしがしのぎを削っている。

 まぁ、オレはオレで、バイトで貯めたお金でギアを買ったのはいいとして、時期的にも大学受験とかであまりできなかったというのもあるから制作会社の裏事情なんて知らんわけだけども。


「そういえば、シャミセンって魔獣演舞をやったことなかったのよね?」


「かわりにハウルや斑鳩がトップレベルに強かったみたいだけどな」


 ナツカの問いかけに、そう返答する。

 従妹ハウルに関しては今年の夏前まで知らんかったくらいだからなぁ。


「でも、そもそもNODはボクやシャミセンさまがやっていた【サイレント・ノーツ】が元となっているわけですよね? 色々と変わってはいても、ベースとなっているゲームのシステム自体はすでにあったんじゃ?」


 ジンリンが腕を組んで、唸るようにシダさんを見すえた。


「あぁそれはですね……」


「あのね、ジンリン。ビコウから言伝ことづてに聞いた話だから確かなものじゃないけど、もともとPCで配信されているMMORPGのほとんどが二次元で作られているから、それをいきなりVR――立体視にするのはシステムの設定図ソースコードそのものから書きなおさないとけなくなるのよ」


「はて、二次元って縦と横の平面ですよね? 中にはモデルが3Dで描かれたゲームとかあるのに」


 言われたジンリンが片眉をしかめるように問い返した。


「たしかにそうだけど、でもそれはひとつの画面で一枚の絵を見ているだけにすぎないでしょ。人間の目っていうのは、両目から入ってくる視界の情報を脳がひとつの絵として修正して見るものだから、片方の目だけに絵があっても、全体像が見えにくいわけよ」


「昔放送されていたテレビ番組の映像を、今のテレビサイズに合わせるってのと、理屈としては一緒ってことか」


「そういうこと。しかもVR映像って、異なるふたつの映像を重ねて見るようなものだからね。これだけでも結構時間がかかると思うわよ」


「そのソースコードを書き直していくうちに、配信が遅れたってことか」


 オレはNODが星天遊戯よりもあとから配信された理由に合点がいった。


「もともと魔獣演舞や星天遊戯は、我が社がVRギアの制作を決定したころやそれよりも前から企画として出されていましたから」


「最初からVRMMORPGとして配信が決まっていたってことか」


 たしかに立体像で作るのが決まっていた作品と比べれば、紙に描いた完成した絵を立体にしろと言われると奥行きやらなんやらを作りなおさないといけなくなるわけだ。


「製作過程を考えると、たしかに順番がズレてもおかしくないね」


 ジンリンがそう言うのだが、


「でも玉帝が目指していたシステムは、ボクが参加していたVRギアのテストの時にはまだ完成されていなかった」


「そのシステムを実証するためには、まず人間の脳に直接影響を与えなければいけない。そのテストをしながらも、きちんとVR世界がテスターに体験させているかという管理もしないといけなかった」


 シダさんが言葉を重ねるように言う。


「あれ? でもVRとかってシステムとしては、それこそVRギアが発表されるよりもだいぶ昔から研究されてましたよね? しかもあの状態だったビコウが使っていたBMIだって私たちが生まれる前から存在していたわけですし」


 ナツカが眇めるようにシダさんに問いかけた。


「もしかして、BMIのシステムが、オレが思っているのと根本的に違っているのかも」


 オレの言葉に、それこそシダさん以外の全員が、「どういうこと?」と、けげんな顔を浮かべた。


「BMIっていうのは、使用者が脳に思い浮かべた行動――たとえば「足を動かす」とか「テレビの電源を入れる」みたいなことが脳に流れているかすかな血流の変化になって、それを認識した機械が応えるみたいなものだっただろ?」


「たしかに仕組みとしてはそうなんだけど――」


 ナツカは肩をすくめたが、次第にオレが言いたいことがわかったのか、


「あぁ、だから玉帝はジンリンが参加したVRギアのテストの段階ではそれができなかったのか」


 と得心したような表情を浮かべるように前髪を手櫛てぐしでかきあげた。


「どういうことですか?」


「医療関係のモニタリングを例に出すとね、新しく創りだされた風邪薬の効果をためすために、ワザとテストを受ける人の体内に病原菌を入れて風邪の状態にしないと効き目があるかどうかがわからないでしょ。つまりそれを試験員が了承することを|あらかじめ確認しないといけない」


「しかも痛みを感じる事ができるってことは、ギアから直接脳に刺激を与えなければいけない。これはかなりデリケートなシステムなんです」


「痛感をうながすシステムがあるからこそ、五感をそれこそ普段生活しているように認識できているということか」


 ジンリンが納得したようだが、


「それをしなかったってことは、ボクや****が参加していたVRギアのテストは、あくまでギアを通してVR体験ができていたかどうか――ってことなんだろうね」


 と嘆息を交えた。


「それこそジンリンが参加していた頃にはまだ脳に刺激を与えるという実験ができなかったってことだろうな。なにせ下手をしたら――そいつの人格を変えるかもしれないパンドラの箱ってわけだ」


「脳手術っていうのは今でも最高レベルに難しい外科医術だからね。実験をするにもできないというのがほとんどだし、それをするにも膨大なお金と、なにより脳を提供してくれるための人間マウスが必要だった」


「それが植物人間状態になっていたビコウさんだった――ということですか」


 ジンリンがそれこそ殺人現場を直接見たような、血が引いたような蒼白とした顔を浮かべた。


「あぁ、そういう顔をしておいてなんだけどね、ビコウはもとから痛感システムの話は聞いていたらしいし、それでゲームの臨場感を与える事ができるのならって、実験に参加する気ではあったみたいよ」


「それじゃぁ、元からビコウ自身はそのテストを了承していたってことか」


 ナツカがジンリンをなだめるように言った言葉を聞いて、


「逆に玉帝がその実験をためらっていたということか」


 オレはゆっくりと、薄汚れた灰色の闇夜を見上げた。


「さっきも言ったけど、脳に直接刺激を与えるっていうのは、どんなにきちんとしたシステムだったとしても、作ったのは人間だから、完璧なんてものはないと思う。ちょっとしたミスで命――この場合はその人の人格を壊してしまうかもしれない危険性もはらんでいた。だからいくらお金をつぎ込んでも言い方を変えれば殺人になり得る場合もある」


「医療に犠牲はつきものとは言わないけど、たしかにロボトミー手術をするのと一緒ですね」


「でも言い方を変えれば、ビコウは玉帝を信じていたってことだろうからな」


 オレが、それこそ何気なく言うと――、


「それもあるけどさ、ビコウってそもそも左目の視力が右の四分の一もないのよ。わかりやすく言うと半分世界がぼんやりとしか見えていない状態でVRを体験していたってこと」


「――それじゃぁ、玉帝がVRMMORPGでやろうとしていたのは、世界が半分しか見えていないビコウのためだったってことか」


 それを知っていたビコウが実験に甘んじて受け入れたのは、身体が動かせない状態でBMIを通してゲームが出来るのか、そしてなにより玉帝がやろうとしていた障害を持っていてもわけへだてなくプレイすることが本当に出来るのかという実験に携わったということか。


「でもそれってヘタしたら――ビコウは死んでいたんじゃ」


「たしかに実験が失敗すればそうなっていたかもしれない。だからこそ玉帝はこのシステムだけはどんなことがあっても失敗してはいけない覚悟ができた。それからしばらくして娘の手助けもあって、星天遊戯が開始した頃には、玉帝が目指していた『障害を持った人でもゲームがプレイできる』という理想が完成した。なにせ一番喜んでいる人間がいるわけだからね」


 ナツカが苦笑を交えながら言った。


「もしかして昨夜シャミセンさまがビコウさんと決闘した時に、彼女が左目が見えなくなってもまったく平然としていたのは」


「日常生活の時点で左が見えていないビコウにとってはなんの影響も与えていなかったってことか」


「むしろ見えていない左を狙って攻撃するもんだけどね」


「それって卑怯なんじゃ?」


 ヒロトが唖然とした声で言うのだが、


「そんな小細工で勝てるくらいだったら、あの子が星天遊戯でレベルマックスのトッププレイヤーなんて口が裂けても言えないわよ。なにせ生まれて眼が見えるようになった頃から視力が悪くて、ほとんど片目で生活しているようなものって言っていたからね」


 ナツカたちが素でビコウに勝てないと思っている理由が何となくわかってきた。

 ビコウの場合、片目が失っても、別にそれがリスクでもなんでもないからだ。

 そもそもVRの世界では両目が見えていたとしても、現実世界では片目だけで生活をしてきたビコウにとって、その経験はまったくの真逆。

 しかも気配をつかさどる感覚野は左のほうが見えていないぶん他の方向よりも特化されている。

 相手が見えなくなった左を狙って攻撃してきたとしても、ビコウにとってはなんの意味も持たない。


「そもそも自分の弱点を克服できてない人間が一番になれるわけないしね」


 ナツカはすでに冷えきっていたカフェラテを飲み切るや、スッと椅子から立ち上がった。


「あっと、もうそろそろで寝ないといけないから、今日はこれで失礼するわ」


 言われ、オレは時計を確認した。

 午前零時三〇分――すでに日付が変わっている。


「結構話し込んでいたのな」


 オレもオレで明日は朝から用事があるし、実を言うとバイトでの疲れもあってかちょっと眠いとは思っていた。


「それと今日のことはビコウに話しておくわ。あの子も今回の事件で一番腹を立たせているみたいだからね」


 ナツカがオレを見ながらクスリと微笑を浮かべるのだが、


「はてな、直接被害にあっているわけじゃないのに? まぁビコウからしてみればセイエイを苦しめたクリーズ****に対して仕返しもなにもできなかったかもしれないけど」


 オレがけげんな顔で応えるや、それこそナツカとジンリンがお互いに目を合わせるような仕草をみせた。


「あのさぁジンリン、もしかしなくてもシャミセンってビコウが今回のことで苛立っている理由がわかってないんじゃ?」


「それよりもなにより根本的な理由がわかっていないってだけなんじゃ」


 ナツカの言葉に、ジンリンが苦笑を浮かべる。


「こういう鈍感男って結構苦労するわね」


「しかも鈍感以上に沼にはまりやすい性格ですからね。なにせ自分が小学校の時にいじめられていたことすら忘れていたくらいでしたから」


 二人して肩を落とすな。

 理由を聞きたいけど、なんか聞いてはいけない気がするので聞かないでおこう。


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