第299話・体験とのこと


「あふぁ……」


 翌日、大学の講義を(講師からは見つからない程度に)あくび交じりに聞いていると、


「寝不足?」


 うしろの机に座っている星藍が、シャーペンでオレのくびもとを突っつきながら聞いてきた。

 彼女の五尺弱ほどの身長からして、身を乗り出さないと届かないと思うのだが、いちばんうしろの席に座っており、なおかつ隅のほうだからなのか講師からは見えていないようだ。

 まぁ、オレもそれを狙ってそこらへんに座っているのだけども。


「痛いからやめて」


 うるさい蝿を追い払うように、手で星藍のイタズラを拒む。


「目を覚ますのに刺激はいいと思うけどなぁ」


 クスクスと星藍は悪びれた様子もなく言うのだが、


「でもめずらしいわね。いつもだったらシャンとしているのに……ふぁぁぅ」


 そういう彼女もあくびをかみしめていた。


「星藍も星藍で寝不足か?」


「あぁっと、別に寝不足ってわけじゃないんだけど――、あのあと星天遊戯にログインして、寝たのが二時くらいだったのよ」


 それってスタッフとして?

 そうたずねてみると、星藍は首を横に振った。


「ちょっと個人的に確認したいことがあってね。近々大きなアップデートが計画されているから、それに関して、一時間くらいフィールドを見回っていたのよ」


 星天遊戯の場合、プレイヤーであると同時にスタッフでもある星藍ビコウは、オレにだけ情報を与えようとしていたのだろう。ただそういうのはあまり耳にしないほうがいいかもしれない。

 などと考えていたのだが――、


「正直、そろそろわたしたちもどこかしらギルドに所属したほうがいいかなぁって思ったりもしてるんですけど」


「それだったら、ナツカのところがいいんじゃないのか? 昔なじみのところのほうが何かと便利だろうし」


 そうたずねてみるや、星藍はちいさくカラカラと失笑し、


「一度誘われたことがあったんだけど、断ってるのよ。断っている手前、自分から入れてほしいって言うのはなんというかあつかましいじゃない」


 と答えた。むしろ歓迎されそうな気がするんだがなぁ。


「というか、ギルド云々より、ちょっと後で聞きたいことがあるから時間取れるか?」


「あっとごめん。この後別の講義に出ようと思っているし、ほら色々と単位を取っておかないと進学できないからね」


 手を軽く振るように星藍は頭を下げた。


「それこそ忙中閑なしって感じだから」


 時間が作れないってことか……。


「でも昼食のときは時間が作れるかもしれないから、その時に煌乃くんがわたしに聞きたいことのさわりだけでも伝えてくれないかな?」


 と約束を交わしてくれた。



 大学の食堂で、昼食をとろうとやってきたのだが――、


「うおぉおおおおおおおっ!」


 と、なんともやかましい叫び声が聞こえてきた。

 声がしたほうに視線を向けると、配膳を受け取るカウンターで、なにやら人だかりができているのが見える。


「かわええっ!」


「ちょっと! ちょっとなんでこんなところに中学生がいるの?」


「ねぇ君たち、どこ中? というか今日はどうして来たのかな?」


 はてな? 中学生?

 首をかしげていると――、


「な、なにかあったの?」


 と、講義に必要なノートや書類が入れられている箱型のクリアケースを胸に抱えている星藍が、目を見開きながら声をかけてきた。


「いや、オレもいま来たところだからなんとも」


 それにしてもすごい盛り上がりだな。


「まぁいいや。そんなことより昼食を食べよう」


 食券の自動販売機でカツ丼を買い、それをカウンターに持っていく。


「おばちゃん、よろしく」


 食券をトレーに入れ、調理場のほうに伝えると、おばちゃんと呼ぶにはなんともしなやかなか細い指がトレーを受け取っていた。

 大人というよりは、幼い感じがする指だ。


「あれ? 新しい人でも雇ったのかね?」


 興味本位で中を覗き込んだときだった。


「ふぁふぅ?」


 本来ならこんなところにいるはずないといえる少女と目が合った。


「こ、煌兄ちゃん?」


 おどろいた声をあげているのは、通っている中学の体操着を着た香憐だった。


「――なにやってるの?」


「しゃ、社会の授業で、職場の体験学習」


 あぁ、中学生って騒いでいたのはそういうことか。

 まぁおどろきかたからして、オレが通っていることを知らなかったみたいだ。


「どうかしたの?」


 オレのうしろで待っていた星藍が、調理場を覗き込むような視線を感じ、そちらを一瞥する。

 そういえば、香憐がここにいるってことは、もしかしたら恋華もいるってことだよな?

 そんなことを考えていると、


「な、なんで香憐と恋華が大学にいるの?」


「職場体験」


 と、予想どおり香憐と同じ班だった恋華が、星藍の質問に淡々と答えていた。

 香憐と違って、オレと星藍が同じ大学に通っていることを知っていた恋華は、いつもどおりの反応だった。



「それにしても、なんで配膳とかじゃなくて調理場にいたのよ?」


 昼食にと八宝菜と銀シャリを食べている星藍が、食堂のホールへとやってきた恋華と香憐にそうたずねた。

 あまり見ていなかったのだが、恋華は長い髪を三つ編みにしており、ナプキンを帽子代わりに巻いている。

 普通、あぁいう場所は手伝い以外は調理師免許を持っていないと入ることすら許されないはずだ。


「わたしと香憐、料理できるから、先生から簡単な仕込みを手伝いなさいって言われた」


 恋華がそういうので、ちらりと香憐を見ると、


「まぁあくまで仕込みだけだけどね。煌兄ちゃんが食べているカツ丼のカツの下に惹かれているタマネギを切ったの私なんだよ」


 香憐は自慢げに言うが――、


「サイズがバラバラ。もうすこし厚くてもよかったんじゃないか」


 ときびしめに評価を下した。

 タマネギのシャキシャキ感っていうのは、均一になってはじめて味わえる食感だと思う。

 オレも、バイト先の居酒屋で、いまは事務の仕事のほうが多くなったが、バイトを始めたころは適材適所を判別するために、いろんな業務をさせられたことがあるし、料理の仕込みもすることがあった。

 料理というのは材料を均一にしないと時間にムラが出来てしまう。

 片方が焼けていても、もう片方が焼けあがっていない場合もあるからだ。


「あぁ、やっぱり? スライサーを使ったらって食堂のおばちゃんにも言われたけど、なんか普段から包丁で切っているから、そっちのほうが私としてはやりやすかったんだよ」


 香憐本人は納得のいっているようなので、不貞腐れるような態度を見せていなかった。


「でも香憐すごい包丁上手かった」


「恋華はなにかやってたの?」


「料理のお手伝い。魚偏に葉っぱの煮付けを付きっ切りで見てた」


 ちらりと恋華がオレに視線を向ける。


「魚偏に葉っぱねぇ――?」


 まぁ魚だから魚類なのは間違いないけど、はてどういう意味だろうか。


「っていうか普通に言わないのかな?」


 あきれたといった表情で星藍が言った。


「こっちに来る前に、香憐がクイズを出したらって言ったから」


「恋華、それ内緒だって言ったのになぁ」


 肩をすくめるように恋華を苦笑する香憐だが、当の恋華はキョトンとした顔で首をかしげていた。


「でも煮付けだから、魚の煮付けって結構限定されていくよね?」


「あぁ、わたしはわかったけど。これってヒントほしい?」


 くれるもんなら毒とトラブル以外は拒みません。

 そうお願いするや、星藍は八宝菜の中にあったウズラの卵をひと口で飲み込むと、


「それじゃぁヒント。難しく考えないで、恋華が言ったことを素直に思い浮かべればいいんだよ」


 素直にねぇ……、海を漂う葉っぱ――葉っぱってことは薄っぺらい魚ってことだよな。



カレイか?」


 魚類で葉っぱみたいに薄っぺらいのって、カレイかヒラメしか思い浮かばない。

 ヒラメを漢字では【鮃】と書くからなぁ。


「正解」


 恋華が淡々と答えると、


「杏夲さん、恋華さん、そろそろ学校に戻りますから集まってください」


 二人の担任らしい女性が、そう呼びかけにきた。


「あぁもうそんな時間? それじゃぁね煌兄ちゃん」


「じゃぁねおねえちゃん」


 恋華と香憐はオレと星藍にちいさく頭を下げると、声をかけてきた女性のほうへと駆けていった。



「それにしてもまさかこんなところで二人に会うなんて思わなかったわね」


 星藍が食堂を後にしていく恋華たちを目で追いながらためいき混じりに言った。


「それはオレも同じなんだが……」


 そんなことを口にしていると、


「おいナズナッ! お前あのJCとどういう関係なんだ?」


「星藍さん、あの可愛い中学生と知り合いだったの?」


「あのぉ、できれば二人のスタイルについて聞いてもいいかねぇ」


 さきほど食堂に中学生がいるやらなんやら騒いでいた学生たちが、オレや星藍に恋華たちのことを聞こうと挙って集まっていた。

 結局その時に、星藍に聞こうと思っていたことが聞けずに、星藍とはそこで別れることとなってしまった。


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