第268話・臥薪嘗胆とのこと
日曜日の午前一〇時。休日だからなのか、エメラルドシティの町中はプレイヤーの雲海……もとい人海が出来上がっていた。
「うぅむ」
思わず、町を歩く時間帯をずらそうかなと思ったくらいだ。
基本的にこういうのって苦手なんだよなぁ。人ごみとかって。いまだに休日の渋谷スクランブル交差点とか行けんしなぁ。
いや、別にお祭りはいいんだよ。にぎやかでさ。
「どうかした?」
いつものとおり、オレの右肩に乗っているジンリンが、首をかしげたようなしぐさで声をかけてきた。
「フィールドに出るのはさ、人が散った後でいい?」
「……なにかあったの?」
オレの震えた声に、ジンリンがさらにけげんな顔をうかべる。
「いやなぁ、以前近所の神社で祭りがあったんだけど、その時にスリに遭ってなぁ」
「あぁ、あったねそんなこと」
まだ漣が生きていたときのことだから、彼女の記憶を持っているジンリンは、それを思い出すような仕草で手をポンと叩いた。
「でもさぁ、それってほとんどキミがわるいよね?」
身も蓋もないことを言わんでくれ。まぁそうなんだけど。
「だいたいさぁ、ズボンの後ろポケットに長財布を入れるとか馬鹿なの? それこそ盗んでくださいって言ってるようなものじゃない。あぁいうのはちゃんとチェーンでズボンと繋げないといけないのにさぁ」
ジンリンはぐちぐちと
「……いま、うるさいとか思った?」
キツイ声色でジンリンが睨む。表情に出ていたか?
「そうは思ってないけどなぁ」
視線をそらすと、「キミね、『前者の
ジンリンが苦笑を浮かべた声で言った。
「いや、どういう意味なのかはなんとなくわかったけど、それって他人に対してじゃないのか?」
「残念、過去の自分は経験で言えば他人に等しいんだよ。ほらキミだって今は大学生だけど、高校生だったときの、それこそ若気の至りみたいなことだってあるじゃない」
うぅむ、そういわれるとなぁ。
「まぁキミの場合はまったく学習できてないっていうこともあるだろうけど」
失敬な。とツッコミを入れたいところだったが、言われてみれば同じことで失敗ばかりしている気がする。
「それはそうと、どうする? ボクとしては今日も今日とてレベル上げしたほうがいい気がするんだよ」
「特に予定もないし、それでいいんだけど」
「それだったら――んっ?」
その先を言おうとしたジンリンは、片眉をしかめた。
「どした?」
「いや、あそこにいるマントの人」
そういいながら、ジンリンが指差したほうへと視線を向けた。
◇***/**
「名前が見えない?」
このゲームにはNPCにもレベルが表示されていたはずだから、それがないってことは、どういう立場なのかわからん。
「可笑しいな、NPCもダンジョンやイベント関係のボスしかステータスの隠匿はできないはずなんだけど」
「ジンリン、あれに関してなにかわかることは?」
「サーバーで調べてほしいとか思ってるんだろうけど、たぶん無理。それに名前がわからないと調べようもないし、
ジンリンが、それこそお手上げといわんばかりの仕草でいう。
「まぁ、触らぬ神になんとやら……おっ?」
その場から離れようとしたとき、セイフウからメッセージが届いた。
◇送り主:セイフウ
◇件 名:クエストのお手伝いをお願いします。
と、件名だけ書いて内容は書かれていない。
「魔法盤展開っ!」
右手に魔法盤を取り出し、ダイアルを回していく。
【WFXFTZVW】
転移魔法の文字を展開させ、行き先を決める。
メッセージを送ってきたセイフウはもちろんのこと、メイゲツもログインしており、二人とも第二フィールドにいるようだ。
これならここからでも飛ぶことができる。
さて、行き先をセイフウにあわせて、いざ転移しようとした瞬間、
パチンッ……という指を鳴らす音が聞こえた。
◇現在プレイヤーは転移不可となっております。
――はい?
ちらりとジンリンを見る。
「なんで転移できないの?」
他のフレンドプレイヤーが同じフィールドにいれば、そこに行けるよね?
「こ、***っ! あれ……」
オレが視線を向けると、妖精はそれこそ
その視線の先には、さきほどジンリンが指をさしたマントなのだが、どうもオレに用があるようだ。
「なにが御用ですか?」
「…………っ」
人が聞いているのに答えんとはどういうことだろうか?
「すみませんけど、今しがた友人からお誘いのメッセージが届きましてね」
そちらのほうへ……と言葉をつむごうとしたときだった。
一瞬のうちに、マントの人間は右手をオレの胸元へと伸ばした。
「っ!」
ただその動作にじゃっかんのもたつきがあり、いつも見ているセイエイやビコウのものとは比べ物にならないほど
マントの裾から覘きこんだ右腕は太く、女性のものとは思えない。
ということは男性か? いや、ボディービルダーの女性――そういえば太かったっけ?
「って、油断しないの!」
ジンリンの声にハッとしたせつな、胸元を掴まれ、壁に叩きつけられた。
「んっ!」
町中ではダメージはないようだが、衝撃は通常どおり感じる。
つまり痛感はそのまま適用される。
「くそっ!」
壁に叩きつけられた勢いを殺さず、脚のリーチを使っておなかにドロップキック。
「ごほぉぅ!」
ゴキィッ! という腕の関節が外れたような音が聞こえたが気にしない。というか仕掛けてきたむこうが悪い。
PKとかNPKとかになるんだろうか?
「……っ!」
マントのフードから見えた眼光は赤く、殺意が見えた。
マントの男は、オレの胸元を掴んでいた手を放すと、パッとうしろに退く。……そして――、
「魔法盤展開っ!」
と、左手に魔法盤を取り出し、ダイアルを回し始めた。
「***っ! ここは逃げたほうがいいわよ」
ジンリンが逃げの一手を提案するが、オレはそれを拒否した。
「相手がなにものかわからないうちに逃げるのはどうかと思うけどな」
「わからなくてもいいって! というか勝てる相手じゃないから」
やってみないとわからんだろ?
「あ、今やってみないとわからないとか思わなかった?」
ジンリンがあきれたといった声で聞いてきた。
「なんでわかるの?」
「そりゃぁねぇ、実際は死んでいるとはいえ、キミとは小さいときからの付き合いだったからさ、ある程度は性格というか癖みたいなものは知ってるんだよ? レベルが低いくせに先に先にっていつも強いモンスターに遭遇したりしてるじゃない」
ジンリンがそれこそ苦笑いを浮かべながら、
「というかね、今の***じゃ勝てる見込みすらないよ」
マントの男へと振り向き、小さく頭を下げた。
「うちの主人がとんだご迷惑をおかけしまして、申し訳ございません」
んっ? 謝るような――というか襲われたのオレなんですけど?
「いや、こちらも声をかけるつもりが、かえって怪我を負わされたがな」
マントの男はゆっくりとフードを脱いていく。
現れたのはぼさぼさの頭とやつれた五〇代くらいの男。
「……誰?」
おもわず首をかしげる。
「ちょ、***っ! その反応は可笑しいって! というか周りを見なさいな」
妖精に言われたまま、周囲を見渡してみると、
「お、おい? まさかあれって****じゃないのか?」
「あ、あぁ間違いない。俺たちが使っているVRギアの製作者だ」
「っていうか、このゲームやってたのか?」
「もしかしてNPCとしてプレイヤーを監視していたとか?」
「それはとにかく、シャミセンのやつ大丈夫か? あの様子だと右腕骨折してるぞ」
「というか、壁に叩きつけられた反動を利用してのドロップキックって」
「お前ら知らんのか? シャミセンは魔法使いだが魔法使いではない」
「意味がわからんが、どうなる? 最悪NPKどころか垢バンもありえるんじゃ?」
……等々、なんかすごいことになってる。
「といっても、襲ってきたほうが悪いわけで」
「そんなこと言ってる場合かなぁ? ボクなんてさっきから脂汗がありえないくらい出てるんだけど?」
ジンリンが犬みたいに喧々と泣き出す始末。
「いや、だから――誰?」
「……キミさぁ、玉帝のときもそうだったけど、脳みそは鳥レベルなの?」
いや、わからないものはわからんよ。
「いやいや、***――いやジンリンよ。彼が首をかしげるのも仕方がないことだ。わたしは会社のHPに写真を掲載していないからね」
マントの男が、やんわりとした声でジンリンをなだめる。
んっ? ということは社員かなにか?
そのわりには周りのプレイヤーの反応からして、かなりの大物みたいだけど。
「いやそれ以前に、どうしてあんなことを?」
普通に声をかければよかったんじゃなかろうか?
「せっかくシャミセンさんを見つけたというのに、その本人が転移魔法でどこかへ行こうとしたのでね。少しばかり魔法の制御――転移魔法の通行禁止を使わせてもらった」
マントの男は指を鳴らす。
「これで転移魔法が使えるはずだ」
言い換えれば、オレがへんなことをすればまた通行禁止にするってことか。ここは大人しく話を聞いたほうがいいな。
「それより、いったいどうしてこんなところに?」
ジンリンがマントの男に丁寧な声でたずねる。
「実はね、すこしシャミセンさんにお話がしたいと思ってね。ビコウさんから玉帝を通して連絡をもらっていたんだ」
――ビコウから?
なんとも意外な人物の名前を耳にして、オレは訝しげにマントの男を睨む。
「おいおい、ここで殺伐としたことはやめておこう」
マントの男は、軽薄とした声色でそういう。
「あなたの正体がわからない以上、警戒心はむき出しだと思いますけどね。」
いつでも魔法盤を展開してこの場を去ろう。
「いやだからキミはさぁ、周りの空気を読むってことを知ろうよ」
オレは、はぁ……と嘆息をつく妖精に、
「わかるもなにも答えがわからん」
頭を抱えながら不快な視線を向けた。
「あのね、星天遊戯のときはどうだったか知らないけど、NODは基本的にクエストの情報交換をしたさい、プレイヤーがまだ触れていない部分にはNGワードが入るんだよ」
「それがいったい?」
「はぁ……、だからね、それがボスとか攻略法じゃない以上はNGワードにならないんだよ。それと――」
ジンリンは肩を落とすように、視線をマントの男に向けた。
「プレイヤーとNPCには名前の隠匿機能がないんだけど、特定の
「それがこの人ってこと?」
いやだから、いったい誰なのよ。
「あのね、たとえ話になるけど、人の中に紛れ込んだキリストが『わたしはキリストだ』っていっても、その証拠がなかったらただの気狂いでしょ? だいたいの神仏民話に出てくる神様ってのは最後の最後に正体がわかったりするものだけど」
「はて? それとこの人となんの関係が」
言いたい事はなんとなくわかる。わかるのだけど、このマントの男といったいなんの関係があるのだろうか?
「ジンリンさん、それ以上はいいでしょう。
オレの態度にあきれたのか、ジンリンにそう言うや、マントの男は虚空にウィンドゥを展開させ、なにやら作業を始めた。
「うむ、これでいいだろう。シャミセンさん、もう一度朕を鑑定してみてください」
言われ、マントの男の簡易ステータスを見やった。
◇ムツマサ/【GM】
レベルが表示されておらず、変わりに【GM】という職業が入っている……。
「【GM】――?」
んっ? 魔法文字で考えると【KJ】と変換されるんだけど、どういう意味だろうか。
「あのね、いま魔法文字で考えてるんだろうけど、前にPKにあったことは覚えてる? あのときの表記はどうなってたっけ?」
ジンリンに言われ、首をかしげる。
たしかあの時は【RN】――レッドネームという意味で、つまりはプレイヤーキラーのことをそう指すのだけど。
「たしかあれには魔法文字は適用されていな――」
周りの慌てようから察すればだが――。
「なんで【
目の前のことにおどろくよりも、自分の馬鹿なことにおどろきを隠せない。
「うむ、ようやく勘付いてくれたか」
と、マントの男――ムツマサは深い嘆息をついた。
「結構このゲームを監視してはいたが、大半は朕の格好で勘付く人もいたが、名前を出してようやくわかったプレイヤーがいようとは」
「お言葉を返しますけど、名前を出してもわからない人もいるんじゃないですかね?」
そう言い返すや、「うむ、それもありえるな」とムツマサは肩をすくめた。
「――ビコウや玉帝が関係しているってことは、あなたはもしかして……」
「キミに迷惑をかけたマミマミ――****の父親だといえばわかるかね?」
ムツマサはけだるい声でいうのだが、どうもNGワードが引っかかった。
たしかNODにアカウントが登録されているプレイヤーの本名はいえないはずなのだけど、たぶんムツマサが言ったのは
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