第267話・先憂後楽とのこと


 翌日の夕方。ちょうど夕食として家族でくる客が多くなってくる時間帯に、アルバイト先である居酒屋の前を掃除していると、


「シャミセンさん」


 微風のように凛とした声が聞こえ、そちらへと視線を向けた。

 オレに声をかけ、上目遣いに見つめていたのは袴姿の美少女。

 胸元まである後ろ髪をかずらという、簡易的に髪を束ねるゴム代わりの髪留めでまとめていた。

 袴を着ているためか、背筋がスッと通っており、スポーツ少女特有の、一生懸命な眉目秀麗といったところ。小学生のあどけない雰囲気はあれど、目もあやな大和撫子の風貌である。

 一瞬、誰だっけ? と思ってしまったが、


「あぁ、楓ちゃんか……」


 と、おもわず目を丸くしてしまった。

 以前、双子の姉である流凪ちゃんから、楓ちゃんがやっている弓道の大会で優勝したときに撮った写真を見せてもらっていたから、目の前の少女が楓ちゃんだということはどことなくわかってはいた。

 しかしまぁ、それがなかったら、いったい誰だろうかと首をかしげてしまうところでもあったのが本音だが。

 よく女性、とくに女の子というのは着ている服で雰囲気が変わるとはいうけども、いやはやまさか自分がそういう経験するとはおもわなんだ。

 普段……といってもほとんどゲームの中でしか知らないのだけども、実際こうやって袴姿を見ると、それなりに決まっていて格好いいものだ。


「大会の帰りかなにか?」


 オレがそうたずねると、目の前の弓道少女――中西楓は首を振り、


「いいえ、練習の帰りです」


 と苦笑を浮かべた。


「そこで着替えられたらいいんですけど、ワタシが練習している弓道場って、大人の人も使っているから子供弓道のときだけは家で着替えるようにって言われているんですよ」


「――もしかして、小学生だけだと備品が壊れたり紛失するからとか?」


 オレがそう聞き返すと、「そうですけど、なんでわかったんですか?」と、今度は楓ちゃんが目を点にした。


「いや、オレの祖父が柔道の道場をやっててな、オレや香憐、花愛もそこに通っていたんだよ。オレたちはまぁ実家みたいなものだったから、祖父母の家で着替えてたんだけどな、ほかの子供たちも家から着替えて通ってたからさ」


「それはわかりますけど」


 楓ちゃんは不服な顔で口を尖らせる。


「まぁ理由としては一緒なんだよ。というか更衣室が荒んだ状態で子供に着替えさせるのは精神に影響を与えるってことと、家で着替えることで、すでに練習は始まっているみたいなことをいっていたな」


 まぁ、さすがに冬のあいだ、道場に来るまでは靴を履いてもいいとは言っていたけど。


「有段者の場合は、問答無用で裸足だったもんなぁ。しかも道場のエアコンが壊れていたから冬とかほんと冷蔵庫だったぞ」


 花愛が練習の後にお風呂に入ろうとすると、冷えた足に暖かいお湯をかけただけで悶絶していたくらいだ。

 オレも一応は有段者といえば有段者なんだけど、そんなに強くない。正直、じいちゃんに無理矢理入れられたようなものだったしな。


「それと結構門下生がいたというのもあったけどね。しかももともと更衣室がひとつしかないってのもあるけど」


 それを聴いて楓ちゃんは、


「あぁ、どこかの誰かさんみたいに、女の子の着替えを覗こうとしている人がいたとかそんな感じですか?」


 と、それこそ歯に衣を着せない物言い。


「あたってるけど、いやそこで納得していいのだろうか?」


 その言葉に、オレは首をかしげる。楓ちゃんの言っていることに心当たりはあるけど、あれはオレが悪いわけじゃないし、セイエイも特に気にしていないようだしなぁ。

 というか、いつまでこのネタでオレをいじるつもりなのだろうかね?


「って、ワタシいま冗談半分で言ったのに当たってるんですか?」


 逆に楓ちゃんが喫驚とした声を挙げた。


「冗談かよ」


「す、すみません。でも更衣室がひとつしかないってのも考え物ですよね。特に男女共通のスポーツって」


 あはははは……と、愛想笑いを浮かべる楓ちゃんに、オレは肩をすくめた。



「楓……あれ?」


 と、楓ちゃんを呼ぶ声が、言葉を失うように、


「シャミセンさん、今日はアルバイトだったんですね」


 と、目の前の楓ちゃんと、瓜二つの美少女が、オレを目で据えるように訊いてきた。


「流凪ちゃんも一緒だったんだ」


 袴姿の楓ちゃんとは対照的に、流凪ちゃんはJSモデルが着こなすような流行のファッション。

 長袖のトップスには『YASAGURE』という文字と、それこそ[こっちみんな]といった感じに睨みを利かせている頬に傷を負ったウサギのデザインが施されている。

 小学生は小学生の、中学生は中学生のといった感じで、年齢ごとにはやりのファッションってことなるのかね?


「そういえば、流凪ちゃんは鼓笛隊だったよね?」


「あ、アタシは楓の迎えついでに外食をするからってお母さんに言われて」


 流凪ちゃんのうしろに視線を向けると、三十代前半の若い女性が小さく会釈するのが見えた。おそらくオレに対してだろうから、こちらも倣うように返す。


「もうひとつ、ほら前にもらった特典のこともありましたから」


「うん、それは別にいいんだけど、残すの禁止だからね」


 オレは小さく口角を上げた。


「えっと、もしかして量が多いんですか?」


「うんにゃ、大きさはどこにでもある普通のイチゴパフェだけど」


「それだったらおどろかさないでくださいよ」


 オレの言葉に、楓ちゃんは安堵を浮かべる。


「量は普通だけどね、まぁこればかりは食べてみないことには」


「お、お母さん……今日ワタシ軽めのものでいい?」


 楓ちゃんは後ろを振り向き、母親に言うが、


「練習した後はいつもお腹が空くでしょうが」


 と、それこそ娘がオレの言っていることを察しているのに気づかないといった様子。


「シャ、シャミセンさん。なんかいわくつきとかそんなやつなんですか? そのパフェって」


「いや、こればかりは口で説明するより実際食べないと伝わらないんだよ」


 流凪ちゃんの言葉に対して、オレはそう答えざるを得なかった。

 あれ、そういえばあのパフェって予約しないと食べれないんじゃなかったっけ?



          $ $ $ $ $



 食事を終えた小公女の目の前に、例のストロベリーパフェが来たのは、居酒屋の玄関で知り合いと話をしてから四〇分ほど経ってのことだった。

 グラスの底にはコロコロと、それでいてフワフワとした紅白のマシュマロが市松模様に敷かれており、その上をバニラアイス、ストロベリーアイスと交互に四つの地層を作っている。

 さらにそれを紅く熟されたイチゴのムースが蓋をしており、真ん中にチョコレートのアイスドームが陣を取って、上に水あめのベールをまとった野苺がトッピングされている。

 周りにはスティック上に丸まった桃色のチョコレートとウエハース。大小様々だが、どれも見ただけで唾が出るほどに、いや指にはめても可笑しくないくらいの、紅玉ルビーのような輝きを放っている。

 その上を、雲のように漂うコットンキャンディーがやさしく乗せられていた。


「――すごい」


 楓は思わず感嘆する。それこそ目を盗まれたかのように。

 料理というものは芸術作品のひとつでもあると云う。

 ひとつに料理といっても多種多様、千差万別にあり、作り手によってそれは様々な顔をのぞかせる。

 もっとも簡単な美術作品であり、もっとも難しい美術作品ともいえよう。

 特にデザートは味はもちろんのこと、デザインにもっている。

 日本の伝統である和菓子は、【甘味】を捩って、観て味わうということから【観味】を食すスィーツだ。

 目の前のストロベリーパフェも、見ただけで生唾が止まらなくなり、楓は何度もそれを飲み込む。

 心の中で思わず、早く食べればよかったと後悔していた。


「美味しそうだね」


 姉である流凪も、妹と同様に感嘆をついていた。


「――あれ?」


 楓が、パフェ用の細長いスプーンを手に取ると、本来ひとつであるはずなのに、ふたつ用意されていることに首をかしげる。


「店員さんが間違えたのかな?」


「すみません」


 楓は近くを通りかかった従業員の女性に声をかける。


「どうかなさいましたか?」


「あの、パフェがひとつなのにスプーンがふたつあるんですけど」


 そういわれ、従業員の女性は、すこしだけ首をかしげるが、


「あぁ、それはあなたたちのことを知っている男性に云われたんです。『これで仲直りしろ。二兎を追うものは一頭をも得ずってな』って」


 それ以上のことは言わず、従業員の女性はちいさく頭を下げその場を後にした。


「仲直りしろって……」


 楓は思わず姉を見た。流凪もそれを返すように妹を見る。

 二人は、一瞬なんのことなのかさっぱりわからなかった。

 しかし、次第に、目の前のものがデザートであることが、それは以前のこと、流凪が楽しみにしていたプリンを食べてしまった楓と喧嘩したことにつながるのだと理解する。


「そういえば、喧嘩してたんだっけ?」


 当人たちはすでに仲直りしていたから、まったく気にも留めていない。

 そのことをシャミセン――薺煌乃に話してはおらず、また話すようなことでもないため、二人は口にしてはいなかった。

 ただ、ひとつわかったのは、心配してくれていたのだということだ。


「ごめんね流凪。ワタシあんなに楽しみにしてたの知らなくて」


「いいよいいよ。楓はちゃんと謝ってくれたし、それにさ……」


 流凪はスプーンをひとつ手に取り、


「楓があんなに辛いたこ焼きを食べたから、こんな思いもしないご褒美を一緒に食べられるんだから。これでお相子」


 丸いほうを楓のほうに向けて、笑みを浮かべた。


「あはは、まさに『二兎を追う者は一頭をも得ず』だ」


 楓もスプーンを手に取る。


「「いただきます」」


 双子は、それこそ寸分の狂いなく言葉を発した。

 まず手に取ったのは、パフェの上を漂う雲のようなわたがし。

 それをふたつにわけ、口に運ぶと、――口の中に広がったのは、砂糖の甘いだけの味ではなく、ほのかにひろがる甘すっぱい香り。


「これって、もしかしてイチゴ?」


 双子は目を丸くした。

 見た目は普通の白いわたがしだからこそ、ただの甘い砂糖の味しかしないと双子は思っていた。

 それがどうだろう、口に運ばれた雲から溶け出す甘い蜜は期待を裏切ってくれる濃厚な香りと甘いイチゴの雨が二人の口のなかでやさしく降り注いでいく。

 口の中で降り頻るイチゴの雨を受けながら、双子は改めてスプーンを手に取り、ムースの海を掬った。

 口当たりは滑らかで、一瞬のうちに舌のほのかな熱で溶けてしまうほどに柔らかい。


「「美味し……っ!」」


 思わず大声を上げてしまいそうになるのを、双子は同時に手で口をおさえて飲み込む。

 それがなんとも滑稽といったものか、もしくはにらめっこをしていたかのように、


「「あははははは」」


 心の底から笑いが止まらなかった。


「すごいね、このイチゴのムース。ちょっと口の中に入れただけで溶けちゃったよ」


「でもイチゴの味が口の中に広がって、ムースはもうないんだけどまだあるって思っちゃうくらい」


 双子は談笑をするように、一口、また一口とスプーンで海を掬っていく。

 途中、ドーム型のチョコレートアイスも、喧嘩することなく食していくのだが、その上に飾ってある野苺に対して、


「「最初はグーっ! じゃんけん……ポン」」


 と、誰が先に言うわけでもなく、いやお互いに食べてみたいと思ったからだろう。双子はじゃんけんを始める。


「よし、勝った!」


 と、はしゃぐようにガッツポーズを取る楓を、「よかったね」と姉の余裕を見せようとする流凪。

 楓は水あめでコーディングされている野苺を、自分が食事していた料理の隅に置くと、それを半分に割った。

 それをスプーンで掬い取ると、


「流凪、ほらあーん」


 と、楓自身が大きく口を開けるように促す。


「い、いいの?」


 そんなことをしたらジャンケンをした意味がないんじゃ、と流凪は苦笑を浮かべる。


「ワタシが言っているんだからいいの。ほら」


 屈託のない笑みを浮かべる妹に、流凪は若干あきれながらも、楓のスプーンに乗せられた半分の野苺を口に含んだ。


「これも美味しい」


「ほんと? あ、本当だ。すごく甘くて、でもちょっとすっぱい」


 双子はひとつひとつとパフェを取り合っていく。

 イチゴのムースが自分たちがまだ足のつくくらいの浅い海原だとすれば、その下にあるアイスの断層は地底探検といったところだろう。


「あれ?」


 そのアイスを口にするや、楓は思わずキョトンとした。


「どうかした?」


「これって、なんだろ?」


 いきおいで食べてしまったことで、バニラの中になにが入っているのか、最初それが何なのかはわからなかった。


「ほんとだ。なんかシャリシャリしてるけど」


 流凪もその正体がわからず、母親に助けを求めた。


「お母さん、ちょっと食べてみて」


 言われ、母親は娘が掬ったアイスを口に運ぶ。


「んっ? なにかしら? これ……」


 母親もその正体がわからず、思わず首をかしげてしまった。



「あ、星藍さん」


 たまたま双子とその母親が座っているテーブルの前を通りかかっていた星藍を、楓が呼び止めた。


「んっ、どうかした? じゃないや、どうかなさいましたか?」


 星藍はいつもゲームの中での口調になったが、すぐに仕事での敬語へと戻した。


「あの、このアイスの中に入っているシャリシャリとしたやつってなんですか?」


 流凪がそうたずねると、


「あぁ、たしか生姜のシャーベットって言ってたけど」


 星藍はそう答える。


「これ、生姜が入ってたんですか?」


「あれ? それだったらなんで気付かないんでしょうかね?」


「なんか味覚の麻痺だっけかな? ミラクルフルーツを食べるとすっぱいものが甘く感じるってよくテレビとかで言うでしょ? それと一緒で、甘いものの中に苦い生姜を少し加えたところでさほど気にはならないって」


 星藍の説明を、双子はそれこそ目を点にして聞いていた。


「あ、シャミセンさんが言っていたのってこの事なんじゃ?」


「煌乃くん、あなたたちになにか言ってたの?」


「えっとお店に入る前に、パフェのことを話したんですけど、シャミセンさんから口で説明するより食べたほうがわかるって、そんなことを言ってました」


「うん、その説明ならしかたがないね。だって実際に食べてみないと伝わらないもの。よく生姜煎餅とかあるけど、あれは風味をつけているだけで実際に生姜を煎餅にはしていないでしょ?」


 言われて、双子は納得する。

 たしかに食べてみないと伝わらない。

 いや、たぶん……最初に食べたわたがしも、見た目だけでは普通の、どこにでも売っているようなわたがしと大差ない。

 しかし食べてみれば、その違いは一目瞭然。


「……なんかさ、これってワタシたちみたいだよね」


「……ほんとだね。見た目は一緒なのにさ、性格もぜんぜん違うし、好きな科目とか、嫌いな科目も違ってる」


 双子はただひとつだけ、いま思ったことはシンパシーとなっていた。


「今日はもう時間も時間だからダメだろうけど、もしかしたら明日は一緒にパーティーが組めるかもね」


「あはは、実はアタシ、楓が練習している間、NODにログインしてたんだけどさ、新しい魔法文字ゲットしたんだよ」


「うそっ! うらやましい」


「大丈夫大丈夫、あとでちゃんと交換してあげるから」


 流凪は姉をうらやむ妹を見据える。


「それをさ、明日シャミセンさんに見せよう。今日のお礼も兼ねてね」


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