第200話・牴牾とのこと


 さて、ヤンイェンのXb上昇の手伝いの続き……と言いたいところだが、


「ふぁぅ……」


 セイエイの大きな(みっともなく大口を開けてではないが)アクビが聞こえ、オレはそちらへと視線を向けた。

 横にいる女子中学生は、しきりに目を人差し指で擦っている。


「眠い?」


「……ふふうん」


 オレの問いかけに、セイエイは拒むように首を振った。

 時間的にどうなんだろうか。確認してみると午後十一時にさしかかろうとしていた。

 普段よりおそく起きているからか、オレの横を歩いているセイエイの足元は覚束ないようだ。

 ここは素直に、町に戻ってログアウトしてもいい気がするんだがなぁ。

 ビコウから待っていてほしいという連絡があったし、オレとしてはそれまではログインしておこうとは思っている。

 だが、大事な成長期を迎えている少女を、あまり夜更かしさせられない。


「セイエイ、眠くなったら素直に寝たほうがいいぞ」


 ここはひとつ、心を鬼に……するのは面倒なので、柔らかく言いましょう。


「……ま、まだ大丈……夫」


 セイエイはうつろな目で拒んだ。やっぱり色々と限界に来ているようだ。

 学校がある日は何時に起きてるんだろ。それをたずねてみると、


「だいたい六時に起きてる」


 と応えた。


「寝なさい。大事な成長期に夜更かしばかりしてるとソバカスやら便秘やら身体に不調を与えるんだから。子どもは寝ることも仕事って云われてるんだぞ」


「綾姫が言ってたけど、シャミセンっておばあさん?」


 突然なにを言ってるかな? この娘は。


「……っと、もしかして老婆心ろうばしんのことを言ってるのか」


 そう聞き返すと、セイエイはうなずいてみせた。

 それだったら納得。星天でちょっと気晴らしに夜中ログインしてみると、香憐と花愛がログインしていて、いい加減寝ろって注意していたりしているからだろうな。しかもそういうのはたいてい夏休みの最中や、明日が休みの時に限ってだ。

 普段通りの生活をしていれば対して注意はしないんだけどね。

 世話好きというか、母方のばあちゃんがそんな感じだったんだよ。知らないうちに感化されていたか。



 【ビコウさまからメッセージが届いています】



 なんてことを話していたらビコウからメッセージが来た。



 ◇送り主:ビコウ

 ◇件 名:こんな夜更けまで中学生連れ回して、なにやってるんですか?


 いつもどおり、件名にだけ要件を書くスタイルでメッセージが送られてきたのだが……。


「はてな? なんでオレがセイエイと一緒にいるの知ってるんだろ?」


 おもわず首をかしげてしまった。

 フレンドリストを見ても誰が誰とパーティーを組んでいるのかなんてわからないようになっているんだけど。


「シャミセン、おねえちゃん来た」


 セイエイの言葉にオレはハッとし、周りを見渡してみると、ビコウが苦笑を浮かべてオレを見ていることに気付いた。


「あれ? テレポート使えたっけ?」


 こちらへとやってくるビコウにたずねてみると、


「まぁいちおう[O]の魔法文字を手に入れていますからね」


 そう答え、ビコウは視線をオレからセイエイに、というよりはセイエイが着ているあたらしい法衣に向けられていた。


「やばい、ログインしたらセイエイから新しい法衣手に入れたってメッセージをもらって気になってはいたけど、さすがにちょっとこれはやり過ぎ。まったくシュエットさんもグッジョ……げふんげふん、人の姪っ子になんてものを着せているんだか」


 そう言いながらも、さっきからすごいデバガメみたいなことしてませんかねぇ? 顔の喜怒がどう表現したらいいのかわからんことになってるぞ。


「おねえちゃん、なにやってるの?」


 自分の周りをチョコマカと動きまわるビコウに、セイエイは眉をしかめている。

 というよりは、うっとしいハエを見ているような顔をしてるのは気のせいかね。


「あぁっ! なんで大学生なのに姪っ子より身長低いかなぁっ! 下からなら大丈夫だけど、俯瞰してみる恋華のおっぱ……」


「やめんかっ!」


 ビコウの後頭部に手刀を一打あたえる。

 フレンドどうしだから別にダメージもないけど、さすがにセイエイが困ってるぞ。


(シャミセン、ありがとう)


 と、捉えかねない苦笑でオレを見ているし。

 うん、普段この二人が家でどんなふうに接しているのかわからんが、さすがにちょっとやり過ぎだったな。

 しつこいのが嫌いなセイエイからすれば文句のひとつでも言いたかったんだろうけど、相手が大好きなビコウだからな、言うに言えなかったってところか。


「なにするんですか?」


 うずくまるように頭を抱えながらオレを睨んでいるビコウは、スッと立ち上がり、


「と、まぁじゃれあうのはここまでにして、恋華……いい加減ログアウトしなさい」


 ビコウはキッと黙らせるような目でセイエイを見据えた。



「…………」


 が、セイエイはなにも言わず、また動く気配も見せなかった。

 んっ? ここは素直に「わかった」って言うのかなと思ったが、めずらしくジッとビコウを見詰め返しているだけのようだ。

 というよりは、なんか剣幕な雰囲気。


「もう時間が時間でしょ? それに明日だって学校があるんだし」


「それはおねえちゃんたちもいっしょ」


 たしかに、それを言われると言い返せない。


「シャミセンと約束していたのはわかるけど、おねえちゃんもわたしになにか隠してない?」


「別に隠してないわよ?」


 ジッと獲物を逃さないように目で捉えているセイエイの視線から逃れようと、ビコウは顔をそむけた。


「やっぱり、なにか隠してる」


 自分に不利な事があると視線を逸らしてしまう癖はセイエイ自身も自覚しているようで、同じような仕草を見せるビコウに、さらに詰め寄った。


「シャミセンがまた嫌なこと遭ってるの知ってるんでしょ?」


 セイエイの言葉を聞くや、ビコウはオレに視線を向けてきた。


「***のこと話したんですか?」


 NGワードが入っていたのだろう。だがおそらくはザンリのことを言ったのかもしれない。

 そう判断して、


「断片的だけど知られたことになった」


 と応えるや、ビコウはためいきをついた。



「まぁ、いつか知られるのが秘密事だからしかたないか。恋華……あなたの叔母としてではなく、このゲームを管理している[セーフティー・ロング]の社員として言わせてもらうわ。今回起きえいることは、はっきり言ってゲームの世界からかけ離れているのよ」


「『ゲームの世界からかけ離れている』ってどういうことだ?」


 妙な言葉だなと思い、オレはすぐさまそのことについて問い質した。


「シャミセンさんや恋華、それにわたしにも起きた記憶の欠除に関することを、VRギアの総責任者である孫五龍わたしのフチンから教えてもらったんですけど、そもそも人間の記憶が脳のどこに保管されているかわかりますか?」


「っと、たしか大脳皮質だっけか?」


 ということは、そこをいじっているってことになるんじゃ?

 だが、オレの答えは間違っていたらしく、ビコウは否定するように首を振った。


「たしかに『記憶を長期的に保管している』のは大脳皮質という部分で間違ってはいません。だけど、わたしもシャミセンさんたちも、一時的な記憶の欠除を受けています。しかも――すぐに忘れてもおかしくない空白の時間、おおよそ約十分前後の記憶がなくなっていることになるんです」


「それって、どういう意味? だって記憶を消しているんだから、その大脳皮質に影響を与えているんじゃないの?」


 セイエイが、はてなと首をかしげる。

 たしかに、オレもそれはすこし気になる。


「脳には『海馬』と呼ばれる器官があって、まずその器官に記憶が保管されるの。まぁ簡単にいえば聞いたり見たりしたことを走り書きしたメモを取っておくみたいな感じに、一時的な記憶を保管する場所と思えばいいわね」


 セイエイの問いかけに、ビコウは応えながら、


「たとえば恋華に『わたしが梅味のポテトチップスを買ってきて』って口でお願いしたとするわね。恋華の脳にある海馬には[おねえちゃんに、梅味の、ポテトチップスを、買ってきてほしいと、頼まれた]って断片的に記憶されていくわけ」


 と説明するや、海馬の役割を理解したのか、セイエイはちいさくうなずいてみせた。


「メモを渡されて、書かれた文字を目で見た時も基本的には同じか。……どっちも一時的な記憶ってことになるからな」


 忘れないように口で単語を覚えるのも似たような感じだろう。


「海馬はそういった記憶を一時的に保管して、印象的なものや必要なものと脳が判断したものが大脳皮質という大きな引き出しの中に保管される。――この言葉の意味よく覚えておいて」


 強調されたような口調。おそらくこれがザンリに関わることだったのだろう。



「それじゃアルツハイマー型の人が、最近の記憶を忘れてしまうのはどうしてだと思う?」


「えっと、海馬が悪くなっているから?」


「シャミセンさんは?」


「オレもセイエイと同じ答えだな。新しい記憶を忘れるってことは、まず一時保存しているはずの海馬がうまく動いていないから、記憶がとどまっていないということになる」


 オレの答えに、ビコウはしっかりとうなずいてみせた。

 そして、それはオレやセイエイ、ビコウが受けた記憶の欠除と大きく関わっていることにもつながっていた。


「ちょっとまて? それじゃ***はその海馬をいじっていたってことか?」


 さすがに眉唾ものなんだが。というよりは、脳の解明はまだ機能や役割だけで、記憶をいじるなんてことは全体的にできていないはずだ。さすがに技術発展し過ぎじゃないか?


「極端にいうとそうなります。そもそもシャミセンさんや恋華はシュエットさんのお店を出た後のことを覚えていないんですよね?」


 オレとセイエイは、ビコウの問いかけにうなずいてみせる。


「わたしも、ドゥルールさんからクリーズのことを直接聞いていた時の記憶がなくなっている。でも彼になにを聞こうとしていたのかは覚えていた。それはつまり……」


「***がなにかしらの方法で海馬に保管されている十分間の記憶をいじっていたってことか」


 でもなにか引っかかる。


「でもそれだったらわたしとシャミセンがフィールドでこの子のレベル上げしていたのはどうして?」


 セイエイがヤンイェンを胸に抱えて、ビコウを凝視した。

 たしかにオレやセイエイはまったく記憶のないままフィールドに飛ばされていた。


「おそらく記憶を欠除させたあと、魔法かゲームの中のシステムでシャミセンさんや恋華、周囲にいたプレイヤーを任意の場所に飛ばしていたってところでしょうね。ヤンイェンもなにかしらの方法で召喚した状態にしたってところでしょう」


「聞けば聞くほど眉唾ものだな」


 それに関しては同感だと言った表情で、ビコウは肩をすくめた。


「でもおねえちゃん、それだったらなんで海馬だけしか影響を与えられていないの? 記憶を操作するんだったら別にそこだけを刺激しないで、さっきシャミセンが言っていた大脳皮質って部分をいじればいいのに」


 セイエイが腑に落ちないといった声でビコウを見すえる。


「たぶんできなかったんでしょうね。まぁ脳の構造上さすがにむりだろうけど」


 できなかった? 海馬をいじって記憶操作をしているのに?


「簡単に言うと【短期記憶】と【長期記憶】の近いでしょうね。海馬は言ってしまえば短期記憶をつかさどる器官で、大脳皮質は長期記憶をつかさどる器官だと思えばいいし、そもそも長期記憶に保存できる記憶の項目はおおよそ一千兆項目と言われていて、余程のことがない限りは忘れないって云われている場所らしいから」


「でもアルツハイマーの人ってすぐものごとを忘れるんだよね?」


「それはあくまで海馬に保管されている短期記憶が欠除してしまっているだけ。八十歳近い人が小学生の時に経験したことや、昔話を覚えている場合もあるからね。そもそも海馬は結構繊細な器官で、ストレスによって若年性アルツハイマー病にかかることだってあるわけだから。脳に酸素がいきわたっていない場合、最初に壊れ始めるのは海馬と云われているようだからね」


「大脳皮質に保管されている記憶はそもそも消えないってことか」


「老人における痴呆症以外では、それをくつがえすほどの大きな事故に遭わないかぎり記憶の欠除が起きることはないと思います。VRギアが刺激を与えるのはあくまでプレイヤーがどう動きたいかを読み取るために頭頂葉や小脳の電磁波を読み込んでいましたから」


「ビコウが前に病院の床についていた状態でもゲームができていたのはそのおかげか」


 そう聞いてみると、ビコウはちいさくうなずいてみせた。


「小脳はからだの平行や随意運動をつかさどっている器官ですからね。つまりこの部分がうまく機能していないと、たとえ頭頂葉がしっかりしていてもまったく動けなくなりますから」


 バランス感覚を失うってことは、歩くこともままならなくなるってことだからな。


「モーターみたいなものって思えばいいの?」


「もうすこしわかりやすく言えば歯車ってところかなぁ。ほら歯車がちぐはぐだと動くものも動けないでしょ」


 しかしまぁ、聞けば聞くほど妙な話だな。

 もしかすると、その技術を見せ付けるためにやっているような気がする。が、いったい誰に?


「ただもし本当にそんなことをしていたとしても、まず届かないはずなんですよね」


 ビコウがいぶかしげな顔を浮かべ、頭を抱えた。


「どういうこと?」


「脳の海馬がある位置ですよ。わかりやすくいうと後頭部と首のちょうどくぼみあたりにあるんですけど、VRギアの構造上、電磁波が届かないように作られていますから」


 その言葉に、オレはどこか引っかかる部分があった。



「なぁビコウ、例の事件の話をしていた時、たしかおまえ視覚による催眠って言ってなかったか?」


「……たしかに言っていたような気がしますけど、でもそれといったいなんの関係が――」


 ビコウはハッとした表情をみせ、考えにふける。

 そして、なにか得心を得たらしい。


「なにかしらの方法でストレスを与え、その影響で十分間の記憶を欠除させていたということ……?」


 VRギアによる電磁波を脳に与える以外の方法で考えるとすればそうなるのだろう。

 だけどこれでもやっぱりなにか根本的な解決にはなっていない。



「ジンリン……」


『シャミセンさま、なにかお聞きしたいことはありますか? メニュー画面を呼び出したい場合は、親指と人差し指の指の腹をくっつけた状態で虚空に向かって指を広げてください。メニューを広げましたら項目をスライドさせ、F&Aの項目を指でタッチしてください』


 呼び出したジンリンは、システムでのサポートフェアリーになっているだけで、応えてくれる状態ではなくなっていた。


「ジンリンもなにか関係しているのかもしれませんね。事件のことになると妙に逃げているような感じがしますし」


 ビコウがあきれた表情をみせた。


「かねぇ……」


 あんまり想像したくないけど。


「とにかく、いまこちらから説明できることはここまでです。フチンは人を傷つけるようなゲームは作らないはずですし、だからこそVRギアから発せられる電磁波には細心の注意をはらっているはずですから」


 そう口にするビコウの表情には翳りがあった。

 親が経営している会社のVRMMORPGで不可解な殺人が起きている。

 それだけでも彼女の中ではかなりのストレスがたまっているのだろう。



「それでふたりともこれからどうするの? やっぱりXb上げとかクエスト?」


 ビコウがオレに伝えようとしていた話が終わったのだろうと判断したのか、セイエイがそうたずねてきた。


「もうログアウトして寝るけど。というかオレの用事はすんだからな」


 デスペナ状態で戦闘はやっぱりすこし不安要素がある。

 セイエイには悪いけど、今日はもうやめだ。

 そう応えてみると、セイエイは不満気な表情でオレを見ていた。


「おねえちゃんは?」


「シャミセンさんに報告することもしたからね。わたしもログアウトして明日のために寝るわよ」


 二人からそう言い返されたセイエイは、キョトンとした表情で目をパチクリさせていた。


「えっ? でもわたし目が冴えて――」


「「寝なさい!」」


 言葉を掻き切る形で、オレとビコウはセイエイを叱った。

 目が冴えていようがなんだろうが、さすがにもう寝ようね。

 オレとビコウから怒られたセイエイは、ションボリとした顔で、「はい」と素直にうなずいた。


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