第201話・酒饌とのこと


 翌日、大学が終わった午後五時半をすこし過ぎたころ。

 本日は夜の十時まではバイトの予定なので、勤め先の伊酒屋へとやってきているのだが、


「店長、なにやってんすか?」


 すこし水をもらおうかと思って厨房に入ってみると、忙しなく料理の下ごしらえをしている厨房担当の従業員を尻目に、烏鶏雅也うけいまさやという、六十路むそじを迎えようとしている頭に霜を置いた男性が思案に暮れているのが視界に入った。

 時間的にもそろそろ忙しくなるのだから、仕込みなり、サラダや酢の物といった作りおきの調理なりを始めてほしい。なにせこの初老の男性、店長兼料理長なのだ。

 といっても、オレは経理とか事務担当だから、あんまりホールにいないんだけど。


「あぁ煌乃か……、いやな、ちょっと料理を考案していたんだがなぁ」


 まな板の前に立っていた店長は、そちらにからだを向けたまま、視線をオレの方に向けている。


「まとまらないんですか?」


「いや、イメージはできているんだが、どうも決め手にかけていてな」


 店長はどうしたものかと首を捻っている。

 今は仕事中なのだから、料理の仕込みなりなにかしてくれないと、厨房にいる他の従業員が困っているんだがなぁ。


「その……イメージってどんなやつですか?」


「甘味というよりは御飯のおかずみたいな感じだな」


「えっと、具体的に言うとあれですか? アメリカンドックとか、タマゴロールみたいな?」


 あれって、食事というよりは間食って感じなんだよな。

 ちょっと小腹が空いた時に食べるけど、食事として食べるかって云われると、すこし考えてしまう。


「まぁそんな感じなんだが、知り合いに野菜嫌いの子どもがいてな、その子が食べやすく、かつ楽しめるようなものを作って欲しいと云われているんだ」


「あぁ、子どもって野菜の食べず嫌いとかありますからね」


 最近の野菜は、そういう子でも食べやすいように品種改良されたやつもあるけど、けっこう高値って言われているから、あんまり普及されていないらしい。あってもちょっとプチセレブの家庭くらいだろうな。


「それでな、野菜が入っていることを悟られずに食べさせるにはどうしたらいいか」


「キャロットケーキみたいに、なにかに混ぜるとか?」


「それも考えているんだが、見えてしまうのはなぁ」


「いっそのこと、見えるようにしたらどうです? 結局騙しても野菜を食べているっていう事実を子どもだってわかっていないと、なにか危険なものを食べさせられているじゃないか余計に警戒心持ちますよ」


「そうなんだがなぁ。いっその事野菜カレーにするか?」


「おとなになって食べられる奴もありますし、ピーマンの肉詰めみたいに他のやつと一緒に食べられるのもありますしね」


 店長は、業務用の冷蔵庫の中を覗き見る。

 そして、ピーマンや、セロリ、ニンジンをいくつか取り出し、それをまな板の上においた。


「その子どもが食べないやつなんだがなぁ」


「まさに野菜嫌いの子どもが拒む野菜の代表格じゃないですか」


 その時、オレにちょっとした疑問ができていた。



「そういえば、この店のまかないでチンジャオロースとか食べますけど、そんなにピーマンの苦味って感じたことないな」


「ちゃんと苦味の原因となるピラニンが含まれている種や綿部分はしっかり取っているし、繊維にそって縦に切っているからな。それに油通しもしているからさらに苦味を抑えている」


 なるほど、だからあまりピーマン独特の青臭い苦味を感じないのか。


「ならそれを食べさせればいいだけの話じゃ? オレも苦手なものはありますけど、気付いたら食べられていたってのがほとんどですし」


「それならそれでいいんだがなぁ、調理法ひとつでここまで悩まないといけないのはなぁ」


 普段は飲兵衛相手の商売だからなぁ、さぞ子供向けの料理を出してはいても、たいていは家族連れの子どもくらいしか食べない。



「店長、ホールの掃除終わりました」


 小窓から厨房を覗きこむように、星藍が報告に来た。


「わかった。あっと、星藍さんもなにかアイディアはないか?」


「アイディア?」


 星藍は「なんのはなし?」といった表情でオレに視線を向けた。


「野菜嫌いな子どもでもパクパクと食べられる野菜料理はないかねぇって話」


「なんですか、その贅沢な話は。わたしが中国に住んでいた時って母親の実家から日本の野菜をわざわざ空輸してもらってましたよ。中国産の野菜って農薬とか化学物質で汚染されていたり、偽造されていたりしてましたから。しかも洗剤で綺麗に洗わないといけませんしっ! わたしからしてみれば汚れどころか布で汚れを拭き取るだけでトマトとかキュウリが食べられる環境のほうが贅沢な気がしますけどね」


 興奮気味に、店長に詰め寄る星藍。


「たまに思うけど、結構中国のことディスってるよね」


 オレがそうツッコみをいれるや、


「事実を言ってるだけだからディスってないわよ。仮にもフチン側の母国だしね。もちろんしっかりと管理された場所で作られた作物だったら大丈夫だろうけど、工業施設の廃棄物で汚染されていたり、黄砂でダメになった野菜とか平気で市場に出ているからね」


 と言い返してきた。

 つまり、星藍からしてみればこの話自体贅沢な話ってことか。


「それにどんなに料理が下手くても、食べさせてあげたいっていう愛情があるのはいいと思いますしね」


「星藍って野菜なにが嫌いなの?」


「別に今はなんでも食べられるけど、子どもの時はジャガイモが苦手だったわね……というよりは幼き頃のトラウマというべきか」


 トラウマ? ジャガイモにいったいなんのトラウマがあるのやら。


「おやつに作っていたじゃがバターが原因かなぁ」


「あのホクホクしたジャガイモにバターのこってりとした味わいがいいのに?」


「いや、ジャガイモを十字に切込みを入れて、それを蒸籠せいろかして食べるでしょ。作り方を知っていれば子どもでも作れるから、よくおやつ感覚で食べていたんだけど。――あの時、芽が出ているやつを食べちゃったみたいでさ」


 つまり、それでお腹を壊したと。


「とまぁ、わたしの失敗談はいいから。店長、そろそろ仕事に入ってくれないと副店長が笑ってますよ」


 星藍の言葉に、オレは思わず背筋を伸ばした。

 背後から、殺気を感じたのだ。



「雅也さん、仕込中になにを無駄話しているのかしら?」


 うしろを振り返ってみると、そこには伊酒屋というよりはフレンチ料理のお店で切り盛りしているコックの格好をした、五十代後半の女性が腕を組みながらオレたちに視線を向けていた。

 彼女は烏鶏美知花うけいみちかと言って、この店の副料理長だ。

 店長と同じ名字――つまりそういうことだ。


「あぁ、もうそんな時間か。ちょっとこれはオレに対する宿題だなぁ」


 と、店長は美知花さんの苦言を、それこそのらりくらりと交わすように返事をする。


「ま、まぁ……美知花さん、店長が他のことに集中するとほかに手がつかなくなるのは今に始まったことじゃないんですし」


「煌乃くん、そうはいっても、今日の昼辺りからずっと悩んでいてねぇ。正直野菜を食べさせるのにここまで考えなくてもいいんじゃないかしらって思うのよ」


 昼からって、店長どんだけ悩んでるんだよ。



「いっそのこと、野菜をミキサーでピューレして、それを無糖の生クリームの中に入れて泡立ててからパフェみたいにするってのは?」


 ちょっとなにを言ってるのかわからないが、オレもふと思っただけで深い意味はない。


「それって、まずおかずじゃないよね?」


 星藍がもっともらしいツッコミを入れてきた。たしかにそうなんだよな。店長が悩んでいるのはあくまで御飯のおかずとしてだ。


「野菜のポタージュって方法も、ないわけじゃないだろうけど」


 ポタージュもおかずっていうよりはスープになるし、かと言って味噌汁の定義はどれになるんだろうか?

 ご飯と味噌汁だけの食事も、食事といえば食事になる。

 一汁一菜……汁物とおかず。焼肉定食はご飯のほかに、焼き肉と味噌汁が一緒に出るようなものだし。

 うーん、こればかりは素人が口にだすことじゃないんだがなぁ。



「野菜パフェか……」


 店長はまな板の上に置いてあったピーマンを手に取り、ヘタのところにペットボトルのキャップを突き刺した。

 こうすると中の綿や種を一緒にくり抜くことができ、取り損ねても手で中に残ったものを取り洗うこともできる。

 この伊酒屋に出されるピーマンの肉詰めは、一般的な縦半分に切られたものに肉詰めされて調理されたものではなく、ピーマンの中に肉がギュウギュウに詰め込まれているのが売りだ。

 店長は先程のピーマンを縦の繊維にそって細く切り、煮えた油で油通しをしていく。

 そしてそれをミキサーの中に水と一緒に入れ、撹拌していく。

 ドロドロになったピーマンを、今度は塩との化学反応でギンギンになった氷水が入ったボールの水面にもうひとつのボールを乗せ、ボールの中に入っている生クリームの中にレモン汁とピューレしたピーマンを入れ、ハンドミキサーでパフェにつかう九分立てにしていく。薄い緑色の生クリームが出来上がった。

 見た目抹茶が入っているんじゃないかって色。これで中身がピーマンだとは思わない。



「ちょっと味見してみてくれ」


 言われたとおり、その生クリームをテイスティング。

 口の中に広がったのは無糖だからなのか、生クリーム独特の甘ったるいものはなく、どちらかと言えばピーマンの少し残った青み臭さくらい。一言で言えばコーンポタージュに近く、コーン本来の甘みを味わっているような部分があった。


「不味い」


 美知花さんによる一刀両断。うん、美味しいかどうかと言われるとちょっと複雑だったんだよなぁ。


「不味いか……」


「生クリームで泡立てるんじゃなくて、メレンゲ菓子みたいにしてみたらどうかしら。生クリームの甘みがかえって邪魔になっているわ」


 夫婦の話に耳を傾けていると、ちょいちょいと誰かがオレの肩を突いてきた。

 そちらに目をやると、星藍が片眉をしかめるような、そういう苦笑を浮かべていた。


「あの盛り上がっているところ悪いんですけど、夜の営業開始時間とっくに過ぎてますよ」

 そう言われた店長と美知花さんは「「あっ」」と口を開いた。

 はてもうそんな時間かと確認してみる。午後六時五分。

 店の中にはすでに仕事帰りの会社員や、ディナーを食べに来た家族連れの客の姿があった。


「店長、考えるのはいいですけど、仕事優先でおねがいしますよ」


 星藍はそう言い残すと、注文取りをするため、ホールの方へと去っていった。

 さて、オレはオレで事務の仕事を始めましょうか……と、ホールを通って事務室へと向かった時だった。


「あれ? もしかしてシャミセンさん?」


 ――はて?

 オレのプレイングネームを呼ぶ声が聞こえた。


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