第194話・嚢中の鬼とのこと


 わかっていたこと……もしくはそうなのかもしれないというビコウの推考は、ドゥルールの重たいうなずきによって肯定へと変わった。


「ドゥルールさん、クリーズと最後に連絡、もしくは直接会ったのは?」


「……一昨日……あ、いや違うな。三日前の、仕事が終わった時に挨拶を交わしたのが最後でしたね。その日もあいつはいつもどおり、上司からのムチャぶりに対して小言をはきながらもしっかりと仕事をしていました。あいつ仕事に対してはこだわる部分があるみたいで」


「こだわる部分?」


「はい。プライベートは結構ルーズなところがあるんですけど、仕事に関しては定時までにはかならず仕事を終わらせるやつなんです」


「定時にはって……残業をしないってことですか?」


「ええ。その日もしっかり定時までに仕事を終わらせていました」


「それではドゥルールさんがクリーズと最後に会話を交わしたのはその日の夕方だったと?」


「はいそうです。その翌日、なんの連絡もしないで会社を無断欠勤していまして、朝に、クリーズの携帯に連絡をしたんですけど、まったく引っかからなくて」


「その日の夕方、あなたは仕事を終えて帰宅をすると、すぐにNODにログインした。そこでクリーズがログインしていることを知ったあなたは、彼に連絡を取ろうとしたがまったく取れなかった」


「えぇ、ログインしているのに連絡がないというのはなにかおかしいと思って、アイツの部屋に行ってみたんです」


 そこで、ドゥルールが想像していた以上のことが起きていた。


「あれ? 【一昨日の晩】?」


 ビコウはその単語に引っかかる部分があり、首をかしげた。


「一昨日の晩って、たしかわたしはアルバイトに出ていて」


「アルバイトって、正社員ではないんですか? 復職なんてしていたら会社に怒られるのでは?」


「あ、そこは大丈夫です。さきほども言いましたが、わたしは[セーフティー・ロング]においては、あくまでゲームのバトルデバッグをしていたり、ゲームの中で不正が行われていないかを調べるのが主な仕事ですから。それにわたしはどちらかと言うとドゥルールさんより年下ですし、ちょっと長期の入院をしていたおかげで、単位が足りずに留年している大学生でしかありませんよ」


 なんともあっけらかんとしているビコウの言葉に、ドゥルールは思わず目を点にした。


「……思い出したっ。たしかその日、VRギアを処置している成人男性が不審な飛び降り自殺をしたってニュースで聞いたんだ」


 ビコウの言葉は、まさにドゥルールの胸元を鋭利な刃物で抉るのにじゅうぶんの言葉であった。


「……はい。クリーズは飛び降り自殺をしていたとアイツの家族から聞いたんです。ですが会社の同僚からも……もちろんオレからしてみても、あいつが自殺する理由が見つからないんです。なにも人生に嫌気が差したみたいなことはなかったと思いますから」


 ドゥルールは仮想ウィンドゥを取り出し、


「すみません、そろそろログアウトしてもいいでしょうか? 実は今日はこれから仕事の打ち合わせをしないといけなくて」


 と、ビコウに対して頭を下げた。


「こんな時間にですか?」


「ええ、ちょっとお互いに時間の都合が取れなくて」


「わかりました。それではまたなにかこちらから聞きたいことがあれば、追って連絡をいたします」


 ビコウは言葉を返した。



「すみません……あ、そうだ」


 ドゥルールが魔法盤を取り出し、転移魔法を使おうとした時だった。


「そういえば、あいつセイエイさんからメッセージ拒否されたことで、彼女のフレンドになっている何人かに連絡ができないか聞きまくっていたな。まぁ彼女のことを売ろうとしたプレイヤーはいませんでしたけど、……一人だけ連絡を取ろうかといったプレイヤーがいたんですよ」


「それ……だれかわかります?」


 ビコウは表情を柔らかくし、温和な声でたずねた。

 もちろんビコウの心境はまさに外面如菩薩内心如夜叉がいめんにょぼさつないしんにょやしゃであった。

 セイエイのことを売ろうとしたプレイヤーに対して怒りを覚えてるが、そのことはおくびにも出さないようにつとめた。


「えっと……たしか***――あれ?」


 ドゥルールはそのプレイヤーの名前を言おうとしたが、NGワードにひっかかってしまい、ビコウに伝えることができなかった。



「魔法盤展開っ!」


 ビコウは魔法盤を取り出し、



 【INTHFV】



 と[暗号]の魔法文字を展開させた。



 ◇【サイファー・モード】が使えるようになりました。

  ・このモードでの会話のみ、NGコード対象外となります。

  ・プレイヤー同士、もしくは対面しているプレイヤーにのみ会話ができるようになります。

 ◇【ドゥルール】と【サイファー・モード】をしますか?

  ・【はい】【いいえ】



「あの、これは……?」


 突然、[暗号]による魔法効果をメッセージとして送られたドゥルールは、戸惑った表情でビコウを見据える。


「この魔法を使えば、運営からのNGワード規制を緩和されるんです。もちろん会話内容は運営に筒抜けですけどね」


 ビコウはドゥルールにそう説明し、


「すみませんが、もう一度お願いします……恋華のことをそのバカに売ろうとしたプレイヤーが誰なのか」


「あの申し訳ありませんが、そのバカっていうのは、もしかしてクリーズのことでしょうか……?」


「すこし私情を挟むようなことがあるとすれば、恋華――セイエイはわたしの姪っ子なんです。それにあの子も、普通にあなたやクリーズと接していたのならば、彼を後に引くまで毛嫌いしていなかったと思います。その理由はあなたが一番知っているはずですが」


 ドゥルールは、クリーズがセイエイの目の前でやったことを思い出し、深いためいきをついた。


「彼女がアイツを毛嫌いすることは仕方がないですね。オレからもなんども言ったんですけど、聞く耳を持たないといったような感じだったので、なかば諦めていました」


 ドゥルールは、ビコウから送られてきた[暗号]の魔法メッセージに対して了解を押した。



「NODの掲示板にもその時のことが書かれていました。みんなクリーズに対して敵意むき出しでしたよ。そんな中、彼にセイエイとの連絡を取り合おうとしていたプレイヤーがいた……そのプレイヤーの名前を教えてくれませんか?」


「――ザンリ,,,と……彼女はそう言っていました」


 その名を耳にするや、ビコウの感情は一瞬にして怒髪天をいた。


「そのプレイヤー……どこで会いましたか?」


 ビコウは声を、最低限穏やかにしてたずねる。

 しかし溢れ出たその怒りを隠せるほど、ビコウの心情は穏やかではなかった。

 ドゥルールは、自分が口にしたプレイヤーの名前が、今回の事件での最重要人物であるのだと、すぐに感じ取ることができた。

 先ほど、クリーズがセイエイにしたことに対して、目の前にいるプレイヤーが見せた感情とは比べ物にならないほどの、激越げきえつとした怒りのオーラが、VRギア越しにしても見てわかるほどだった。


「第二フィールドの北の沼地ででした。フィールドクエストの情報を集めようと思ってそこに行った時に……あの、もしかしてなにかアイツが死んだことと関係があるんじゃ?」


 ドゥルールは困惑した表情でビコウに詰め寄る。


「……わかりません。わたしはこのゲームに関してはただのプレイヤーでしかありませんし、今回はあくまで[セーフティー・ロング]の社長の一子として、そして御社が管理しているゲームの中で不審なことが起きていることに関しての聴取としてあなたと接しています。だから……まだこのゲームで起きていることに関しては、おそらくですが氷山の一角すら削り取れてすらいないんだと思います」


「…………っ」


 ドゥルールは、その青ざめた表情にかすかな意趣の念を込めた。

 それを見て、誰がクリーズを殺したのかを聞きたいのだと、そう考えたビコウの頭は項垂れる。


「すみません、ビコウさんが悪いわけじゃないんですよね? それにオレやクリーズもそれを知らず、そのザンリというプレイヤーと接触してしまっています」


「できればザンリとは二度と関わらない方がいいですよ……すみません、お帰りになるのに引き止めてしまって」


 ビコウは謝罪の意味を込めて、深々と頭を下げた。


「いえまだ時間には余裕がありましたので、それで失礼します」


 ドゥルールは魔法盤を取り出すと、転移魔法の魔法文字を自身の頭上に展開させ、スッと姿を消した。



 ドゥルールが消えていくのを見送り終えた瞬間、ビコウの全身に脱力感が駆け巡った。

 立つのも面倒だ……と、彼女は家屋の壁にからだをもたらせる。


「……っと、いちおうシャミセンさんに連絡しておこう」


 ビコウは仮想ウィンドゥを展開させ、シャミセンにメッセージを送る。もちろん、直接会って話した方が手っ取り早いため、どこどこで会おうという旨のメッセージ内容である。


「さてと……んっ?」


 移動しようかと、ビコウが腕を伸ばした時だった。

 妙な寒気を感じ、彼女は周りを見渡す。

 空に昇っていた太陽のオブジェクトは時間の関係上、月と入れ替わるようにゆっくりと沈んでいるところだった。

 入り組んだ路地裏は、もともと日が当たらない場所ではあったが、それも、すっかりと陰の世界と化している。



「魔法盤展開っ!」


 なにかいる。人の気配はしない……だが、なにかいる。

 ビコウは咄嗟にうしろへと飛び下がり、魔法盤を取り出すと、ダイアルを回した。



 【XNKHW】



 ビコウは自分の直感を信じ、周りを明るくさせる魔法文字を展開させた。

 ビコウの頭上にちいさな光の玉が出現し、周りを照らした。

 明るくなった路地裏に、ビコウだけの影がゆっくりと伸びていく。

 ビコウは周りを警戒したが、なにも見つけられなかった。

 しかし、なにかいる……なにかがビコウを監視している。

 そんな視線を、ビコウは気持ちが悪いほどに感じ取っていた。



 ――【陰行shadow】で姿を消しているとなれば、ちょっとやそっとじゃ見つけられないか……

 ビコウは、今自分がいる場所の周囲にある建物が、普段プレイヤーはおろか、NPCですら利用していない、ただのオブジェクトであることを思い出し、


「運営には後でいくらでも怒られる覚悟で」


 そう考えると、咄嗟に光の玉を消した。

 路地裏はふたたび薄闇の世界へと落ちていく。


「魔法盤展開っ!」


 魔法盤をふたたび取り出し、魔法盤のダイアルを回していく。



 【LXYJF WYCFWCDEZQ】



 魔法文字が展開されると、ビコウが手に持っているスタッフは、炎をまとったコンへと変化する。

 薄闇にぼんやりとビコウの顔が浮かび上がる。


「どうして隠れているのかしらないけど、――周りを壊せば隠れる場所なんてないわよねぇっ?」


 もはや半狂乱とも言えるビコウの考案……と言うよりは、八つ当たりとも言える。

 それもそうだ。恋華のことを売ろうとしたのがあろうことか、NODで起きている事件に対して、最重要危険人物とされているザンリなのだ。

 それを知ってから彼女の、虫の居所は可笑しいくらいに悪かった。



 彼女は根を頭上でゆっくりと振り回し、


「ッァアァチョォオオオオオオオオオオオオオオッ!」


 振り回していた根から手を離し、根の端を掴んだ。

 すると根はまるで三つ折りされたかのように分裂し、節と節のあいだが鎖で繋がれている。

 ビコウが魔法武器として創りだしたのは多節棍であった。

 ビコウは三本に分かれたうちの、真ん中の根を捕まえ、その両端につなげられた二本の根を縦横無尽に暴れ回らせていく。

 狭い路地裏では長い根や、そもそも長物の獲物は役に立たない。

 が、一点ではなくまわりの建物に根の付け根をぶつけ、壁や窓などを破壊することに関しては、これ以上にない合理的な武器はなかろう。

 そのたびに轟音ともいえる建物の崩れる音が路地裏に響き渡り、周りは一瞬にして瓦礫の海へと化していく。



 累々と積まれていく瓦礫の中に、一瞬なにかが動いた。


「……っ!」


 ビコウはそれを視界に捉えると、まだ無事だった壁を蹴った。

 その影との間合いを一瞬で詰め、攻撃をしかける。


「てぇやぁあああああああああっ!」


 多節棍を元の一本に戻し、一点をいた。

 ……が、なにかを捉えたという手応えはなかった。

 そして、さきほどまで感じていた殺気ともとれる視線のような気配はどこからもしなくなっていた。


「……逃げられたのかしら?」


 ビコウは周りの瓦礫を見て、出入り禁止も已む無しといった状況に、どう言い訳をしようかと頭を抱えていた。


「いちおうドゥルールさんには警戒しておくようにって連絡しておこう。それから運営にわたしとドゥルールさん以外に、その場に誰かいなかったのかも調べてもらおう」


 ビコウが、今度こそシャミセンがいる場所へと、転移魔法を使って飛ぼうとした時だった。



 【WNJFFYW】



 …………彼女の耳元でなにかが弾けた。


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