第193話・参看とのこと


 夕方午後六時。

 その日はバイトが休みだったため、オレはタイミングを見計らってNODにログインした。

 ログインしてすぐに魔法盤を取り出し、転移魔法の魔法文字を展開させていく。



 【WFXFTZVW】



 足元に魔法陣が展開され、現在行ける拠点の名称が表記されているウィンドゥが表示される。

 [エメラルド・シティ]に行き先を決めると、オレのカラダは足元から順に、光の粒子となって散った。



 [エメラルド・シティ]の噴水広場でオレのカラダは再構築されていく。


「うーん、どこに転送されるのか指定できないのかねぇ」


 さて、本日はどうしようか。フレンドリストを確認するとログインしている人はいないようだ。


「はて、セイエイだったらいそうな気がしたんだけど」


 まぁ夕方だし、もしかしたら早めの夕食をしているのかもしれない。

 最近は五時くらいになると外は黄昏時になるみたいで、部活もほどほどに生徒を帰宅させていると、セイエイや香憐から聞いたことがある。

 そのためか、エメラルド・シティの中をブラブラと歩いていると、小中学生の姿がよく見られた。

 ゲームが開始されてから結構日にちが経っているので、ある程度は第二フィールドまで来ていると思っていいのかもしれない。



「今日は早めのログインみたいですね」


 声がした方へと視線を向ける。そこには竜胆色の腰まである長い髪の妖精が、光の鱗粉をまき散らしながら、オレを見ていた。


「ジンリン、今までどこに?」


「あっと……、それもありますけど……ひとつお耳に入れておかなければいけないことが」


 ジンリンの言葉に一抹の不安を感じる。


「なにか……わかったのか?」


「先日……一昨日の晩のことですけど、シャミセンさまとセイエイさまがクリーズと対峙していた時――」


 ――んっ? 一昨日の晩?

 たしか一昨日はメイゲツが妊娠の疑似体験をさせられるっていう傍迷惑なゲリライベントがあったとしか覚えてないんだけど。


「あのさぁ、ジンリン……どうしてそこでクリーズが出てくるんだ?」


 いくら思い出そうとしてもまったく思い出せない。


「えっ?」


 それこそ鳩に豆鉄砲といった表情を見せるジンリン。その顔を見て、ますますわけがわからなくなってきた。


「ちょ、ちょっと待ってください? シャミセンさま? もしかしてその歳でアルツハイマー病とかじゃないですよね?」


 すごい失礼なこと言うねキミ?



「さすがにボケてはないけど……、あっと待てよ……どういうことだ?」


 それ以前にどうしてジンリンはクリーズのことを調べるみたいなことになったのか、それをまず知ることからだな。



 ジンリンが言うには、シュエットさんのお店を出る直前、外からクリーズがオレを呼ぶような声が聞こえ、さらにワンシアがクリーズに苛立って襲撃。さらにはセイエイの溜まりに溜まった鬱憤が爆発して、しかたなくオレがクリーズを叱るみたいなことになった。

 そしてその決闘中、やつの言動や行動がおかしいと判断したオレが、ジンリンにお願いしてクリーズのVRギアを調べてほしいとお願いした……らしい。


「――まったく覚えていないんですか?」


「ごめん、まったく……気がついたらフィールドでセイエイと、あの子が連れているテイムモンスターのレベル上げを手伝っていたってことしか」


 落胆とした表情を見せているジンリンの言葉は、彼女が嘘をつくのになんの特があるのか。

 そもそも記憶がなくなるなんて本当にありえるのかね。


「……おそらくその場にいた全員に効果があったということでしょうか」


「記憶を奪うみたいなことってありえるの?」


「視界の残像というのはご存じですか?」


 聞いたことがある。文字や絵画の一点を凝視し続けた状態で、他の場所に視線を向けると、凝視していた部分がトリミングされたように残像として浮かび上がる幻覚の一種だ。


「あまり想像は……運営側の人間としてはしたくないですが、脳にある記憶の媒体を一時的に弄ったと考えるべきではないでしょうか?」


「ちょっと待て? それって人権蹂躙になるんじゃ」


 いくらVRギアから発せられる微弱な電磁波で脳に刺激を与えられるのは百歩譲っても、プレイヤーの意志とは関係なしに記憶を消したり、もしかしたら記憶をすり替えたりもできるってことじゃないの?



「っていうか、そんなことって可能なんだろうか」


「不可能に近いと言えますが、可能といえば可能とも言えるでしょう。星天遊戯において、VRギアが人の感情を読み取る技術を使ってゲームを盛り上げていることは、ある程度周知の事実ですし、そもそも人がなにかを思い出したり、想像することでも脳波は揺らぎますから」


 つまり、それをサーチして、人の記憶をいじっているってところか。


「もちろん、何者かがそんなことをしているとすれば人道に反することですから」


 ジンリンは「ふぅ……」と一息つくと、オレの肩に腰を下ろした。



「話を元に戻しますが……クリーズは一昨日の晩の前後に亡くなっていると思われます」


「一昨日の晩って……ちょっと待ってくれ? それじゃオレやセイエイが見たっているクリーズはいったい誰なんだよ?」


 オレがそう聞き返すと、ジンリンは虚空に仮想ウィンドゥを展開させた。

 そこには十六進数が表示されており、



「ここを見てください」


 ジンリンは指でその部分になぞった。それを示したように十六進数の文字は赤く変化していく。



 6C 69 66 65 20 74 6F 20 64 65 61 64 6C 69 6E 65



「これってなに?」


「クリーズの脳波状態を調べた時に出てきたものです。これを文字として起こすと[life to deadline]……生死不明ということになります」


 それって死んでいるとも言えるし、まだ生きているとも言えるってことか。


「普段、シャミセンさまたちが健康優良状態でプレイしている場合は[green zone]と表記されていて、すこし熱っぽい場合は[Heat]と表記されています。睡眠不足の場合は[Sleepless]と判断され、状態によっては強制ログアウトされてしまいます」


 しかし、[セーフティー・ロング]のVRギアにそんな機能があったとはなぁ。もしかしたら医療機器の研究の一環として作られていたものを、孫五龍社長がVRMMORPG用にプログラミングを改良したってところだろうか。


「ということは、ジンリンの言っていることが本当なら、オレがクリーズと最後に遭遇していた時、やつは既に死んでいたかもしれないってことか」


「もしくは……想像したくありませんが誰かがアカウントを乗っ取っていたということになりますね」


「アカウントをハッキングされていたってことか」


「ただハッキングされていることがわかっていれば、こちらから強制的にログアウトさせることはできたはずです……それができなかったということは――そのアカウントはハッキングされていなかったということになります」


 そもそもクリーズの脳波状態が生死不明だった。

 それを考慮すれば、そもそもクリーズがVRギアを使っていたことも疑問視されるってことだ。



「あっ……と、……あ、あの……」


 聞き覚えのある、覚束ない声が聞こえ、そちらへと視線を向けた。


「しゃ、シャミセンさん……こ、こんばんわ」


 そこにいたのは、前髪で左目を隠した、肩まで伸びた雀色のボブカットの少女だった。

 キトンの上に縁にギリシア文字が刺繍されているヒマティオンをまとっており、魔女というよりはギリシア神話に出てくる女性のような立ち姿だ。



 ◇ニネミア/Xb19



 相手の簡易ステータスが表示されたが、はて、聞き覚えのない名前だ。


「……あれ? 人違い?」


「いや、人違いではないですけど……もしかして彩葉さん?」


 そうたずねるや、ニネミアはパッと一瞬だけ顔を明るくし、コクコクとうなずいてみせた。


「きょ、今日は……なにか用事が……あった? 見かけたから……声を……かけたけど、……迷惑……だった?」


 迷惑ってわけではないけど――なんだろう、もう少し強気にいってもいい気がする。

 まぁ彼女の元々の性格からして、それができないってところか。



「いや、今日は特に用事があるってわけじゃないけど」


 ふと、ジンリンに視線を向けた時だった。


「…………っ」


 ただただ、目の前にいるニネミアの顔や姿を呆然とした目で見つめているジンリンの表情に違和感があった。


「どうかしたのか?」


「……あ、いえ……――。ところでシャミセンさんはいつの間に新しい彼女を作ったんですか?」


「彼……女?」


 ジンリン、お前が変なコト言うから、ニネミアさんが怪訝な顔で小首をかしげてるぞ。


「あんまり気にしないでください。ただの冗談ですから」


 苦笑を浮かべながら、そう弁解する。ニネミアさんはさほど気にしていないような顔でちいさくうなずいてみせた。



 フィールドに出て、さてこれからどこに行こうかを考えている時だった。



 ◇ビコウさまからメッセージが届いています。



 ビコウからのメッセージが届き、それを開いてみると、



 ◇送り主:ビコウ

 ◇件 名:無題

  ・ドゥルールさんと連絡がとれましたので、今から直接お会いしてクリーズのことを聞いてみようと思います。

  ・なにかわかりましたら、シャミセンさんやジンリンに折り入って話をいたしますので、スケジュールを空けておいてください。



 という旨のメッセージが届いていた。


「ドゥルールさんと連絡がとれたみたいだな」


「あまり想像したくないですけど……」


 最悪人が死んでるかもしれないからな。

 しかもベータテストの時から続いているっていうプレイヤーの不審な死となにかしら関係しているかもしれないから、すこし切羽詰まっている状態でもある。


「今はビコウからの連絡を待つしかないか」


 さて、オレができるようなことってあるんだろうか……。



 ≒



 第一フィールドにある拠点の町の一角。そこは路地裏とも言えるひっそりとした場所で、オブジェクトとして展開されているだけの家屋や店舗が入り乱れており、本来ならばイベントがない以上は使用されることのない隙間である。

 ただし、普段からプレイヤーが入ることの出来る場所でもあるため、ゲームの進入不可のシステムが意味をなしていないともいえ、それを悪用して隠れてトレードしたり、美人局つつもたせをしてプレイヤーから金品や最悪命を狙おうとしているPKもいる。

 もちろん運営からしてみればどこにいようが管理できるため意味など成していないのだが。



 そんな一角に、ふたつの影があった。

 ひとつは身丈一八〇手前の男性プレイヤー。

 もうひとつは、一五〇後半にも充たない幼い少女の姿だった。


「お忙しい中お呼び立てしてしまい、申し訳ございません」


 NODの魔女の姿ではなく、しっかりとしたレディーススーツをまとったビコウが、目の前のドゥルールに礼儀正しく頭を下げる。

 普段のおちゃらけた声色とは違い、しっかりとした社会人として自覚している声であった。

 彼女はプレイヤーとしてではなく、[セーフティー・ロング]の社員として、目の前のプレイヤー――ドゥルールと対峙していた。


「えっと、オレになにか御用ですか?」


 目の前の幼い少女に、ドゥルールは思わずしどろもどろとなっていた。


「運営からすこしお聞きしたいことがあるとメッセージがあったので、ここに来ましたけど……もしかして騙された」


「まぁ……わたしが相手ではそう思われても仕方がありませんが、わたしはこのゲームの運営会社である[セーフティー・ロング]の孫五龍社長の一子であり、社員でもある孫星藍と申します」


 実年齢よりもはるかに幼く見られることは、もはやあきらめているビコウは、いつものことだといった表情をみせると、仮想ウィンドゥを展開させた。

 そこに彼女が[セーフティー・ロング]で仕事をする際に提示する社員証を表示させると、それをドゥルールに見せた。


「ほ、本当に社員の方だったんですね」


 恐懼の声でドゥルールはそう聞き返す。


「わたしは社長の子どもですが、あくまで社員なのでわがままは言えませんけどね。それにこのゲームはあくまでプレイヤーとして参加していまして、わたしが直接関与できるのは当社が運営している星天遊戯だけなんです」


 彼女が星天遊戯で口が出せるのは、あくまでバトルデバッグにおける微調整や、企画のアイディア出しだけである。


「そんな人が、どうしてこのゲームに? もしかしてなにかまずいことでもしたんでしょうか?」


 ドゥルールがバツの悪い表情を見せる。


「いえ、NODのスタッフに話を伺ったところ、ドゥルールさんはグリーンプレイヤー……つまり特に悪いプレイングをしていないプレイヤーとして見られています。もちろんなにか規約を侵すようなことをしていれば、なにかしら警告は来ているはずですから」


 [セーフティー・ロング]はプレイヤーに対して一種の警告ルールを用いている。

 突然アカウントを停止することはせず、まずどういった状態でこのような措置を行っているのか、その詳細をプレイヤーにメッセージで送りしらせ、そのゲームのホームとなる場所や部屋からの出入り禁止や、プレイヤーがフレンド登録している他者に対して、そのプレイヤーとのフレンド削除をしている。

 これらの処置を行ったのち、運営が抱えている調査プレイヤーがその周辺を調べ、それらがプレイヤーの意図的なことでなく、事件に巻き込まれたなど、被害を受けてのことであると判断された場合、アカウントの一時停止を免除されるのだ。

 以前、シャミセンが星天遊戯において一時的にアカウント停止を食らったのち、彼の無実が判明されてから、ふたたびゲームをプレイ可能になったのはそのためである。

 もちろん散々警告をしたにも関わらず、行動の自粛がされていなければ、当然レッドカード……つまりアカウント停止を余儀なくされてしまい、最悪VRギアに登録されているプレイヤーアカウントも削除され、二度とプレイできない仕様となっている。

 VRギアにプレイヤーのアカウントデータを作成するさい、プレイヤーの住所や連絡先を調べるのは、VRギアのアカウントを停止したところで、新しいVRギアを手に入れさえすれば、異なるアカウントIDで、また同じようなことを繰り返されてしまうという懸念を持ってのことであった。

 VRギアはMMORPGがプレイ可能のスペックであれば、買い換えることで済む話ではあるが、家の住所や携帯番号ともなれば、そうやすやすと変更するプレイヤーはいないのである。



「わたしが聞きたいのは、……あなたがフレンド登録しているクリーズの詳細です。あなたは昨日の夕方手前……シャミセンさんにクリーズのことをおたずねになったと、シャミセンさん本人からお聞きしまして……その詳細や、シャミセンさんと別れてからのことをお話いただけませんか?」


 ドゥルールは静かに点頭する。そして重い口を開いた。


「あの日、クリーズのやつが会社を無断欠勤していたんです。アイツは傲慢で、人に喧嘩を売るような性格なんで、周りに敵を作ることはよくあったんですけど、任された仕事だけはしっかりとこなしているあたり、仕事には真意に向き合っていたんだと思います。ゲームの中では鬱憤をはらしているといったストレス発散はしっかり出来ていたんです」


 ビコウもそういうプレイヤーがいることは肯定している。

 だが行き過ぎた行動まで肯定する気はない。

 セイエイがクリーズに嫌がらせを受けていると聞いた時、彼女は叔母として姪を守りたいと思ったのが六割強。制作会社の人間として、クリーズに行き過ぎた行動は控えるようにと忠告をしようといった気持ちを持っていたのが四割弱の割合だった。

 もちろんNODにおいて、ビコウはあくまでプレイヤーという立場であることには変わりないため、彼女にそのような権限は持たされていない。

 ……が、こと[セーフティー・ロング]が制作しているゲームの中で不審なことが起きているとなれば、彼女とて黙っていられるほど、事態は穏やかなものではなかった。


「わたしがシャミセンさんから聞いた話では、あなたはクリーズがログインしている状態なのに連絡が取れないと言ってらしたようですね」


「え、ええ……それで気になってあいつの家を伺ってみたんです。そしたら……家の前に救急車とパトカーが停まっていて――」


 ドゥルールの顔には微かに愁嘆の色が映し出されていた。

 それがすべてを、物語っている。


「クリーズは亡くなっていた……ということですか?」


 ビコウは確信をつくように、鋭い声で問い質した。


「…………っ――はい」


 ドゥルールはちいさくうなだれた。


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