第192話・悵然とのこと


 翌日、大学のオープンテラスで昼食を取ろうとしていた時だった。


「お隣いいかな?」


 星藍が、市松模様のきんちゃくを片手に、オレが座っているテーブルへとやってきた。


「いいよ」


 と相槌を打つや、星藍はオレの斜め前の椅子に座った。


「今から昼食?」


「あぁ、今さっき豚の生姜焼き定食を注文してきたところ」


 オレの手元には『十三』と記された番号札が無造作に置かれている。

 メニューが用意されると、店内アナウンスで番号が呼ばれるといったところだ。


「星藍は、今日は弁当か?」


「弁当っていうよりはおまけってところかな。実は今日、恋華の学校がお弁当の日だったみたいなのよ」


 つまりそのついでに余ったものを弁当箱に詰めてもらったわけか。


「んっ? 中学生の弁当って毎日じゃないの?」


 おもわず首をかしげてしまった。

 オレが学生の時は、中高とほとんど弁当だったんだよな。


「あ、やっぱりそこに行き着く? サクラも同じこと言ってたよ。うちのほうも……というかわたしが中国に住んでいる時の話だけどね、ほとんど学校の昼食は給食だったわよ」


「場所も違えば時代も違うってところか」


「まぁ、わたしは正直いって日本の給食のバリエーションの多彩さと、栄養面や衛生面の厳しさにおどろいてるけどね。前に一度、昔の給食が食べられるっていうレストランで、日本の給食を口にしたことがあるんだけど、揚げパンのなんともいえないパンのカリカリ感とふっくら感にきな粉の甘さとか、ソフト麺に絡む万人向けとも言えるミートソースの、ケチャップソースのあますっぱい風味とか、ココアパウダーを牛乳で溶かして飲んだりとか……正直中国に住んでいる時よりはるかに羨ましいと思ったわよ」


 その時の味を思い出したのかどうかはさておき、星藍のほころんだ地蔵顔を見るかぎり、彼女の中ではかなり美味しかったようだ。

 小学校の時の給食って、おとなになるとなんか無性に食べたくなるんだよなぁ。今度コッペパン買って揚げパンつくろうかな。


「中国の食品事情って、ひどいって耳にするけど――」


 よくニュースで見るんだよなぁ。この前だってアメリカの、有名なビール会社の商品と偽って、投げ入れた空の、まだ蓋がされていない缶ビールを、手袋もなにもしていない状態で、ビールをなみなみと入れられたボックスの中に缶を放り投げ入れて、それをさらに素手で缶の中にビールをすくい取ってフタをしているみたいな、不衛生極まりない方法で売っているのを摘発されたというニュースを見たことがある。

 もちろん全部が全部そうじゃないだろうけど。

 と、星藍の方を見るや、彼女は激しく首を縦に振っていた。

 もしかしてオレが思っている以上にひどいってことなんだろうか。


「ひどいって言うよりは、衛生面のほうがじゃないかな。いや、もちろん場所が場所だったのかもしれないけど」


 はぁ……と、星藍は頭を抱える。


「だからといって、ムチンがメシマズとかじゃなかったわよ。むしろ逆ですごい料理上手」


 まるで自分のことのように自慢をする星藍。よほど美味いんだろうなぁ。


「特に白身魚の甘酢和えとか南蛮漬けは美味しかったなぁ」


「日本食と中国料理でやっぱりイメージ変わるか」


「イメージが変わるというよりは、日本食はいい意味で魔物だと思うわよ。昔のお店のラーメンとかよく中華そばなんて言うけど、本場であるはずの中国のラーメンのほとんどが日本のお店が出店しているか、パクリだったりするし、カレーだって本場のインドより種類豊富でしょ? オムライスとかナポリタン、焼き餃子に冷やし中華なんて、日本食というよりは日本発祥の洋中食だからね」


 星藍はそう説明しながら、市松模様のきんちゃくのヒモをほどいていき、なかのお弁当箱を取り出す。それと同時に『番号札十三番のかた』というアナウンスが聞こえてきた。

 オレはスッと椅子から腰を上げると、カウンターの方へと足を向けた。



 定食を乗せたトレーを持って戻ってきたテーブルには、見覚えのない人が星藍の横に座っていた。


「あ……、こ……こんに……ちわ……」


 口調からしてかなりおとなしめな人だということがわかる。

 容姿はなんとたとえればいいだろうか、よく日本家屋に置かれているような市松人形か。

 長い黒髪に前髪パッツンはたしか姫カットっていうんだっけ。顔は申し分なくよろしい。

 身丈は星藍とどっこいどっこいで、どちらかと言えば似ているというか、どっちも大学生と言われてもそう見えない。

 が、若干横にいる女生徒のほうが、大学生っぽいと言われればソレまでなのだけど。


「うぅむ……」


「あ……と、き、キミ……が、しゃ……み、せん?」


 謎の美少女がしどろもどろに聞いてきた。


「そうだけど?」


 そう応えると、少女はホッとした表情をオレに見せた。


「星藍、この子知り合い?」


 指で美少女をさしてたずねる。


「知り合いっていうよりは、いちおうこの大学での先輩なんだけどね」


 嘘だぁと顔に表しておく。


「う……そじゃ……ない」


 すこしムッとした表情を浮かべた、姫カットの少女は、ポケットから学生証を取り出し、オレに見せた。



『【大塚 彩葉】 KK大学文学部第三学生』



 学生証には名前と学部、それから姫カットの少女の顔写真が入っている。


大塚彩葉おおづかいろは。いちおう、ふたりの先……輩に、なる……」


「マジで先輩だった」


 しかもふたつ上って、オレすごく失礼なこと言ってたぞ。

 ちなみにオレと星藍は大学一年になるので、学生証には所属している学部の次に第一学生と記されている。

 鉄門の場合も同様だ。


「っと、あれ? なんでオレのことシャミセンって思ったんですか?」


 オレ、この人に会うのこれが初めてなんだけど。


「煌乃くん、相手が目上の人だってわかった途端に、てのひら返しするのはいけないと思うわよ」


 星藍がためいきまじりの視線をオレに向けた。いや、目上の人に敬語を使うのは至極当然の礼節だと思うんですけど。


「わ、わたし……も、き、キミくらいにだった……ら、フラ……ン……クに話して……くれても、別に……構わな……い」


「そうですか。それじゃぁ改めて、なんでオレのことをシャミセンなんて?」


 リアルでゲームの名前でオレを呼ぶのって、実際にゲームでフレンドになった人くらいなんだよな。

 星藍は大学が一緒で、本名を言ってるし、鉄門にしてもそうだ。


「あ……と、かの……じょ……が、言ってた……、キミのこと……すご……く、たの……しそうに……しゃべって……いたから、す……ごく……印象に……あった」


 ――彼女?


「その、彼女っていうのは?」


「……、知った……ら、た……ぶん、あな……た……傷つ……いてし……ま……う」


「オレの知ってる奴なんですか? しかも想像したくないけど――そいつはもう会うことができない」


 オレの言葉が引き金になったのか、彩葉さんはハッとした表情でオレの顔を見上げた。


「それも気になるけど、まず煌乃くんがどうしてシャミセンさんだって知っているかですよ」


 星藍は、視線を、オレから彩葉さんへと流れるように向けた。


「き、キミ……たちが、よく……NODの話を、している……のを耳に……して……る。それ……に、そのゲームで起き……ていること……も」


 彩葉さんの口調はしどろもどろだ。相手の顔色を窺うようなそんな声。おそらく彼女の気おくれしたような性格がそうさせているのだろう。

 オレは別に気にはしないけど、聞く人にとっては苛立ちを知らないうちに与えているような口調だった。

 客商売をしている手前、どんな客が来るかはその時までわからない。

 だから人の口調やら容姿やらでいちいち気にしていられないのだ。

 まぁ店をけなされたら、それはそれでイラッとくるけどね。


「NODで起きていることについて、なにか知っているんですか?」


 星藍は言葉使いからして、それこそ身を乗り出すような感じだったが、彩葉さんの性格を斟酌しんしゃくしてか、あまり強めの声色で聞こうとはしなかった。


「……NO……Dの……テス……トプレ……イヤーが……突……然亡く……なっ……たって……。わた……し……ベータテ……ストを……やった……けど、フレ……ンドになってい……たプレイヤーの中の一人と連……絡がとれなく……なっ……ていた。最初……はログ……アウトしている……か、リアルが……忙しくなって……ログインでき……なくなったんだ……とばかり……思って……た。で……もよく……考え……たらその人は……ログインした状態……なのに連……絡が取れな……いのはおか……しい」


 彩葉さんの証言を聞くや、オレと星藍の目があった。


「ログインした状態なのに連絡がとれなくなった?」


「それってクリーズと同じじゃないですか?」


 妙な話だ。だけど彩葉さんの言葉は、以前聞いたジンリンの言葉とかけあわせれば、平仄を合わせることができる。



『……実は、NODのベータテスト期間のことだったんですが、あるプレイヤーのアカウントが削除されているんです。まったく不正をおこなったり、他のプレイヤーに対して嫌がらせをしていないにもかかわらず、突然アカウントが削除されたんですよ』



 その時に聞いた、ジンリンの言葉を、一文一句思い出していく。


「あの……彩葉さん、その連絡がとれなくなったプレイヤーって、他のプレイヤーに対して嫌がらせとか、そういうルール無用の人だったということは?」


 その問に対して、彩葉さんは首を横に振る。


「わたし……あんま……りゲームはとくい……じゃな……いけど、でもそ……の人……は色……々と……サポートしてく……れて……いた……」


 ということは運営からゲームのアカウントを消されてじゃないわけだ。

 いや、それ以前に彩葉さんはしっかりと、連絡が取れないプレイヤーはログイン状態になっていたと言っていたじゃないか。

 アカウントが停止されていれば、まずログインすることができないはずだ。



「なにか気になることでもあった?」


「色々とありすぎて、頭が整理できない……というよりは、まずはやっぱりオレがシャミセンっていうプレイヤーネームでVRゲームをしていることを彩葉さんがどうして知っているかってことだな」


「そういえば、彩葉さんはそのことを誰かから聞いたって言ってたけど、もしかして煌乃くん知ってるの?」


 星藍が怪訝な表情でオレを一瞥した。


「知っているというよりは、気付いているってほうがただしいな」


「わ、わた……し、か、かのじょに、あ、あやま……り……たい……けど、連絡先……しらない」


 彩葉さんは懇願するような目でオレを見た。

 だけど、それはもう無理なんだよなぁ。



「オレがゲームでよく使うプレイヤーネームをあなたに教えたのは……エレンだったんですか?」


「…………っ」


 沈黙はうなずき。微かにだったが彩葉さんの顔色が一瞬で変わった。


「エレンって……、もしかして宝生漣さんのこと?」


 確認するかたちで、星藍が彩葉さんの顔をうかがった。

 彩葉さんはちいさく、だがしっかりとうなずいてみせた。



「まじぃかぁ……アイツなにか言ってました? オレの悪口とか……」


「わ、悪……口は……言っ……てた……。で……も……痴話……喧……嘩みた……いな、そういう……惚……気け……た感じ……だった……から、多……分……嫌っ……ての悪……口とかじゃなかっ……たと思……う。それ……に……彼女があ……なた……のこと……を話し……てい……る時、本当……に……楽しそ……うという……より、どこ……か思い……つめたの……も印象……的だった……」


 彩葉さんはゆっくりとオレの、箸を持っていない方の右手に手を添えた。

 彼女の名前のとおり、カエデのようなちいさな手が震えているのがわかる。


「も、もしかし、たら、わ、わた……し、が、かの……じょ……を」


「…………っ」


 オレは無意識に彼女の頭を撫でていた。彩葉さんの顔が、怒られている幼子のように見えたのだ。

 それを彩葉さんはおどろきと戸惑った複雑な目で見上げている。


「誰のせいでもない。彩葉さんのせいじゃないですよ」


「そうですよ先輩。ただ本人の目の前で言うのもアレですけど、結局はなにを理由に彼女が自殺したのか……それが問題なわけですから」


 星藍が訴えるような目を向ける。


「そうですよ。それにオレだってアイツに文句のひとつやふたつは言いたいんです」


「ち、ちが……う……わ、わた……し、あの……子が……な……なにか……VRギア……の製品に……なにか……しよう……としている……」


 ちょっと待て? 漣がなにかをしようとしていた?


「それってどういうことですか?」


 同じ疑問をもったのか、星藍が詰め寄るような声で聞き出した。



「かの……じょ、VRギアの中に、穴を見つ……けたっ……て言っ……てい……た」


「穴……ですか? プログラミングとかセキュリティーの抜けを見つけたってことかな」


 バグを見つけて、パラメーターを弄るみたいなところか。

 しかしいくらVRギアのテストプレイと言っても、そんなものがあったらまず運営が気付かないわけないよな。


「でも漣ってゲームはうまかったけど、そんなにプログラミングに詳しいってわけじゃないんだけどなぁ」


「エ、エレンが、な、なにを……しよ……うとし……ていた……のか……はわか……らない。でも彼……女……と最……後に……別れ……た時、妙な、い……やな……ものを感じ……たことは今……でも覚え……てる」


「妙……な?」


 オレがそれを聞こうとした時だった。



「*********」


 誰かが嘲笑った。

 うしろを振り返ったが、誰もオレを見てなどいなかった。見ていたという素振りを見せるような学生もいない。


「……どうかした?」


「いや、誰かに見られているって気がしたんだけど」


 オレが視線を星藍と彩葉さんに向け直した時だった。


「あ、あな……た……も、感……じた? な……んか、私を……訴えてい……るみたい……な……そう……いう、視……線」


 彩葉さんの震えた目がすべてを物語っている。彼女も、オレと似たような視線を感じたのだろう。

 ただひとり、視線を感じていないらしい星藍が、オレと彩葉さんを交互に、それこそ狐に摘まれたようないぶかしけな顔で見ていた。


「やっぱりこれもなにか関係しているってわけか」


 しかし、この妙な視線……いつから感じてるのか、正直思い出せずにいた。


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