第191話・演繹とのこと


 オレがバイトから帰宅したのは、ちょうど午後十一時をすこし回っているところだった。

 一階のリビングの、明々としたヒカリがカーテン越しに浮かんでおり、二階を見上げると、両親の寝室がある部屋の窓から、柿色の間接電球のぼんやりとした灯りが浮かんでいた。

 これだけでも両親がまだ起きている様子が目に見える。

 それでも時間的にはもう寝る準備をしているのだろうと思いつつ、オレは玄関のドアをゆっくりと開けた。

 気を使っていても、ドアの開ける音が、静寂した周りの空気をかき乱した。


「あぁ、煌乃、おかえりなさい」


 ちょうど、リビングから出てきた母さんと目があった。


「ただいま」


 靴を脱ぎながら、そう返事をする。


「お腹空いてない? ついさっきお父さんと夜食でうどん食べ終えたところだったのよ。汁は残っているし、うどんを一玉湯掻くだけだから、すぐに用意できるわよ」


「あぁ食べるよ」


 母さんは、「はいはい」と、踵を返すようにしてリビングへと戻っていく。

 それを目で追ったオレは、着替えるために自分の部屋へと上がった。



 しばらくして、一階のリビングへとくだると、テーブルの上には横幅三〇センチほどの、黄枯茶きがらちゃ色のランチョンマットが敷かれており、その上にはできたばかりの、温かい湯気を立たせているきつねうどんが置かれていた。

 白狐びゃっこ色の油揚げと紅白のかまぼこが二切れ、分葱わけぎがおおさじ二杯ほど澄んだうどん汁にトッピングされている。

 オレはテーブルの上に座り、箸を持って「いただきます」

 と手を合わせ、出来たばかりのうどんの麺を箸ですくい上げると、吐息ですこし冷やし、口の中へと啜り込んだ。


「おぉほぅ」


 思わず喉から温かいものを口にした時の、情けないような声が出た。秋の夜風は思った以上にからだを冷していたようだ。

 柔らかいうどんの温かみが、冷えたからだをゆっくりと暖かくしていく。

 油揚げは噛めば噛むほどに、滲み出てくるうどんダシがまたよく、かまぼこの手応えのある噛みごたえは柔らかくコシのある麺とはまた違う触感があり、いいアクセントとなっている。薬味にと入れられた分葱の、いやネギ類の独特とした苦味がまたいい。

 自然と箸が動く。自分が思っていた以上にお腹が空いていたようだ。



「ごちそうさまでした」


 ふぅと、おなかがいっぱいになった満足感が、オレの全身をゆっくりと余韻として駆けていく。

 お茶うけにと出された、砂糖水で作ったシロップを白玉にあえた甘味を、小刀調に切り整えられた爪楊枝で白玉を刺し、口に含む。

 しっとりとした白玉の口当たりと、ほのかなシロップの甘みが、疲れた身体をこれだけでも癒してくれるほどだった。

「あぁ、食器は洗っておいてね」

 ふぅあ……と、母さんはアクビを浮かべ、リビングを後にする。

 オレは言われたとおり、空になった食器をキッチンの方へと持って行き、洗い片付けた。



 §



 NODにログインしてみると、ビコウが宿屋のロビーでオレを見つけるや、こっちへと手招きしてきた。


「帰ってきたらすぐログインするかなぁと思ってたけど、なにかしていたんですか?」


「夜食にきつねうどんと白玉のシロップあえを食べてた」


「なにそれ? わたしなんて家に帰ってきたら誰も起きてなくて、仕方がないからシャワーをして、パジャマ着てログインですよ?」


 ビコウが、なんて羨ましいといった目でオレを見据えてきた。

 いや母さんが起きていただけで、寝てたらオレも、シャワー浴びて……あれ? そういえばシャワー浴びたっけ?



「ちなみにピンクのネグリジェ……を想像して欲しかったですけど、普通にパジャマです」


「えっと、珠海さんとかサクラさんは起きてなかったの?」


「スルーですか、そうですか。わたしが家に帰ってきたのが十一時もだいぶ過ぎていたころくらいでしたからね。兄は仕事で起きていたかもしれませんけど、珠海さんとサクラは自室で休んでいたと思いますし、恋華にいたってはぐっすり夢の中ってところでしょうね。――それで、今日はどうしますか?」


 ロビーのソファに座りながら、足をブラブラさせているビコウを見ていると、なんともそわそわしている子どもに見えてすこし失笑してしまう。

 オレは、ジンリンに色々と聞きたいことがあるけど、


「やっぱりでてきてくれないか」


 呼び出して反応があっても、ただのF&Aを言うだけのシステムフェアリーでしかないようだ。


「シャミセンさんは、あくまでジンリンに用事がありましたからね」


「あの子だったら、なにか知ってると思ったんだけどなぁ」


 妙に抜けている記憶のこととか。


「出て来ないとなれば、こちらはドゥルールというプレイヤーがログインしていることを祈るしかないですね」


 ドゥルールさんはレベル的に第二フィールドまで行っているだろうし、同じフィールドにいるとすれば、転移魔法で彼のところへと行くことができるが、あくまでフレンドでないといけない。


「こんなことになるくらいなら、ドゥルールさんだけでもフレンド申請しとけばよかった」


 ――だがクリーズ、てめぇはダメだ。


「その人とフレンドになっていても、本人がログインしていなかったら元も子もない気がしますけどね」


 ビコウが苦笑を浮かべながら、ロビーを見渡している。


「星天の時と違って、名前の隠匿がシステム上できないのはいいことですけど……うむ、これだけ多くの人がログインしていると探すのも一苦労かもしれませんね」


 パッと見ただけでも、ロビーには四十四人くらいのプレイヤーが集まっていた。ネットゲームだと、この日付が変わる辺りのほうが多かったりする。

 プレイヤーの名前などは、簡易ステータスとして、名前とXbが頭上にポップされているので、当然他の人達からもオレやビコウのことは見えているため、


「おい、そこにいるのシャミセンじゃね?」


「うわぁマジか? ってかその横にいるのビコウだろ?」


「やばいっ! 星天のトッププレイヤーが二人もいる」


「スクショ撮ろうぜスクショ。二人が一緒にいるところなんて結構珍しいぞ」


「あれ? そういえばセイエイちゃんいなくね?」


「そう言われればそうだな。大体いつもセイエイちゃんいるし」


「バカかお前ら、セイエイちゃん中学生だぞ。さすがにもう寝てるだろ。くそっ、あのおっぱい拝みたかった」


「あれ? シャミセンってロリコンだろ?」


「しかも巨乳好きと見た。ビコウもそうだけど、セイエイも結構スタイルいいからな」


 という、野次馬の声がダイレクトに聞こえてきてくる。

 ビコウを一瞥すると、恥ずかしそうというよりは、呆れたといった顔を浮かべていた。


「わたしも恋華も、好きでおっぱいが大きくなっているわけじゃないんですけどね」


 ビコウは頬を膨らませ、野次馬どもを睨んでいる。

 セイエイの場合は遺伝な気がするぞ。

 珠海さんって結構グラマラスな雰囲気があったし。


「今、珠海さんのこと想像しませんでした?」


 ビコウが見上げるようにオレをキッと睨んできた。なぜわかったし。


「言っときますけど、わたしも自慢じゃないですが遺伝ですよ。ムチンも結構スタイル良かったほうですからね」


 ビコウは自分の胸を隆起させ、強調させるようにうったえる。


「それに女性は結構そういうのに敏感なんですから気をつけてください」


「あれ? ビコウって結構そこらへんあきらめているみたいな感じだと思ってたんだけど」


「あくまでTPOをわきまえてくださいと言っているんです」


 うむ、あんまり彼女の扇情的な容姿に関しては言わないほうがいいのかもしれないな。



 さて、ロビーにいるプレイヤーの中にドゥルールさんの名前はどこにも見つからない。となればほかの場所にいることは確実だ。


「みつからないなら、聞くまでじゃないですかね」


 そう言うや、ビコウはササッと、人海の中へと潜っていった。



 しばらくして……「ドゥルールさんと連絡が取れないみたいですよ」

 と、ビコウは肩を落として、オレのところへと戻ってきた。


「ドゥルールさんとフレンドになっている人がいたの?」


「はい。ただクリーズってアホとはフレンドになっていない人のほうがほとんどでしたけどね」


 なんとも、アホの部分が強調的だったのは突っ込まないでおこう。

 とかく、クリーズを毛嫌いしている人が多く、クリーズがログインしていなくて、ドゥルールさんだけがログインしている時にパーティーの申請を送ったりとかしているんだとか。

 うん、あの傲慢な態度では、誰もフレンドになりたいとは思わない。なっているとすればリアルで知り合いのドゥルールさんくらいだっただろうし。


「あの人も気苦労が絶えないだろうなぁ」


 はぁ……と溜息が出てきた。


「それで、ドゥルールさんと連絡が取れないってことは、彼はログインしていないってこと?」


「みたいですね。こっちからフレンド申請を出すことはできるかもしれませんけど、いかんせん彼自身フレンド申請拒否の設定にしているみたいなんです」


 本末転倒か……直接あってフレンド申請するしかないってことだな。



「…………っ?」


 不意に、ビコウの目が険しくなったのが印象的だった。


「どうかした?」


「――っ、あ、いえ……ちょっと妙な視線を感じたものでしたから」


 彼女は、納得のいかないような怪訝そうな目で訴える。かといって、云われているオレにはなにも感じなかった。オレとビコウを見ている野次馬の視線とは、また違うものだったのだろう。


「視線ねぇ……VRギアにもそういうのを感じさせるシステムでもあるの?」


「システムと言うよりは人間の察知能力ってところですかね。危険を察知するみたいな防衛本能は意外に脳波でわかるみたいですよ」


 それも植物人間の時に知ったことなのだろう。

 もしくは彼女の小学生くらいの幼い身丈とは不釣り合いの膨よかな胸元を凝視する人が多く、警戒するような感じなのかもしれない。


「あ、それからさっきドゥルールさんとフレンドになっているプレイヤーにお願いしたんですけど、彼にメッセージを送って、後日こちらから連絡をといった形にはできました」


 ビコウは、そのパイプをつなげるために、ドゥルールさんとフレンドになっているプレイヤーとフレンド登録はしたようだ。オレもしておけばよかった。


「まぁ今日は時間が時間ですし、わたしたちもそろそろ休みたいですからね」


「だな……。それにしても、そろそろいい加減第三フィールドに行きたいものだね」


 オレはゆっくりと天井を仰いだ。

 天井には、カラカラと、昔のアメリカンチックな喫茶店にあるような、羽根が剥き出しになった扇風機はゆっくりと回っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る