第190話・凝然とのこと
「それじゃ、お疲れ様でしたぁ」
ホールに設置されているテレビのニュースで、VRギアを所持している成人男性が、【不審な投身自殺を迎えていた】ことを知ったその晩。バイトを終えたオレは、星藍と鉄門が店から出てくるのを待っていた。
「おまたせ、煌乃くん」
「待たせたな」
店の裏口から出てきた鉄門と星藍が、んっ……と背伸びをする。
「あ、そうだ。煌乃くん、ちょっと口開けて」
星藍に言われたとおり、口を開いてみると、なにかを入れられた。
「んっ? すこしウェハースみたいなサクサクとした細くてあまい……スティックチョコか」
「さっき調理場からくすねてきたんだよ」
ということは、チョコパフェにトッピングするスティックチョコを盗んできたってことか。
「なにやってんだか」
ヘタしたら窃盗罪で捕まるぞ。
「でも美味しいでしょ? 疲れた時は甘いモノを食べるのがいいってよく言うじゃない」
当人はまったく反省の色なしだった。
「それじゃ、ぼつぼつ駅まで歩きながら話すか」
そう言いながら、オレは歩き始める。鉄門と星藍も一緒になってオレのうしろを歩き始めたのを気配で感じ取れた。
「ホールにおいてあるテレビで言っていた投身自殺のことか?」
鉄門の問いかけに、オレはうなずいた。
「ニュースではVRギアを所有していたって言ってたからな、詳しいことはまだわからないみたいだけど」
「今日起きたことらしいからね。ただ煌乃くんが気になっているのは投身自殺というところじゃなくて、【
星藍の言葉を聞き、オレは足を止める。
「あぁ、目の前で漣の自殺を目撃しているオレや鉄門も、あんなに明るかったアイツが突然自殺したことがいまでも信じられないでいる。もちろんなにか理由があったとは思うけど、でもやっぱりただ理由もなしに投身自殺をしたとは思えない」
朗さんは漣の自殺はイジメによるものだってかたくなに言ってるけど、よくよく考えたら、漣がイジメられていたのはあくまで中学までで、高校の時はオレや鉄門と一緒にいたから、イジメられているみたいな噂は聞いてなかったんだよな。
「漣の場合はな。でもニュースで言っていた成人男性は、もしかしたらブラック企業に引っかかって超過労による自殺も考えられないか?」
「それならそれで理由がしっかりある。でもその証拠くらい警察が掴んでいないってのはおかしいだろ」
「たしかにね。ニュースでは自殺が発覚したのは今日のお昼ごろで、遺体は自宅のマンションのベランダからだったらしいし」
……お昼?
「お昼ごろなら、夕方のニュースで言うよな?」
オレはうしろを振り返り、普段ホールに出ている鉄門と星藍を交互に見やる。
「飲食店の夕食時こそ書き入れ時でもあるからな。いちいちテレビの声なんて気にする余裕はなかったよ」
「わたしも、接客とか厨房からホールを行き来してたから」
テレビを一瞥するほどの余裕もなかったということか。
「煌乃くんのほうはどうなの?」
「事務室にテレビは置かれてないんですけど」
星藍に聞き返され、そう返答する。
まぁ星藍は面接の時でしか事務所に入ったことがないし、領収書を持ってくるだけだったからな。知らないのは仕方ないか。
「落ち着いてニュースが聞けたのは、客入りが落ち着いた午後十時前の、ちょっとした五分間ニュースだったもんな」
「星藍、孫五龍社長にVRギア所有者について……」
「ごめん、わたしもそれは調べてあげたいんだけど、日本には個人情報保護法があるから、社長の娘であるわたしでもそれは厳しいかな」
星藍が平身低頭の声色で両手を合わせる。
「それにVRギアはなにも[セーフティー・ロング]だけの製品じゃないし、スペックさえ大丈夫なら他のVRギアでもうちが配信しているゲームをプレイできるからね」
「星藍のおやじさん……孫五龍社長にお願いできても時間がかかりすぎるってことか」
鉄門が嘆息をつく。オレも似たような気持ちだった。
VRギアが全世界で五千万台以上は導入されているからなぁ、日本だけでもその五分の一と考えてもいいかもしれない。
「これに関してはわたしたちが出る幕じゃないと思う。もちろん……NODで起きている事件と関係のあることだとしたら、どうにかしないといけないけど」
グッと自分の二の腕を掴み、苦悩に満ちた憂いのある顔を浮かべる星藍を見て、オレは言葉が出なかった。
NODは彼女の父親である孫五龍社長が運営している[セーフティー・ロング]が制作したVRMMORPGだ。星天遊戯の時とは違い、直接的にも、間接的にも関わっていないとしても、彼女にとっても我が子のような感じなんだろうな。
そんなゲームの中で殺人事件が起きてしまっている。その確証があるわけじゃないけど、彼女にとってはそう思ってもしかたがないのかもしれない。
「思ったんだがな、ゲームの中で人を殺すみたいなことってできるのか?」
「正直に言えば可能といえば可能かな。フチンが作ったシステムは人の感情を読み込むけど、人を殺すようなシステムは作ってない。でもVRギアには臨場感を与えるために微弱な電波で脳に刺激を与えるシステムが導入されているけど、これも人を殺すような強い電波は与えていないと思う」
たしかに人を殺すほどの電波を発していたら、そもそも不良品以前の問題になってニュースに取り上げられかねないものなぁ。
――あ、いや……どうもログインはしているみたいなんですけど、連絡が取れないんですよ。
ふと……、今日の夕方、NODにログインした時、ドゥルールさんから聞いたことを思い出す。
相手がログインしているのに、返事もなにもなかった。
「なぁ星藍、病院に入院している時、星天遊戯に制限なしのログインをしていた時の話だけどさ。恋華とか咲夢さんからメッセージを受け取る時って返事とかしてた?」
「NODみたいに魔法文字での制限がなかったし、フレンドやスタッフ以外からのメッセージは拒否してたけど、ちゃんとしっかり返事は書いてたわよ。それがどうかした?」
「それって、いつでも?」
「いつでもって、人が寝てる時とか? それはどう考えてもムリでしょ? いくらわたしが星天遊戯のスタッフでログインの制限時間の限度が免除されているからって、それはあくまでスタッフという名目で関係していたからだったし、それに脳が生きていたことで脳波がしっかりしていたから、フチンが制作したVRギアにプログラミングされていたB・M・Iを使って星天遊戯にログインできていたからね」
「ということは、当然寝ている時にメッセージの受け渡しなんて……」
「できるわけないでしょ? 煌乃くんだって寝たい時くらいあるでしょ」
言い返され、うなずくしかできない。
「それにログインした状態で返事がないというなら、なにか戦闘があったりとかしていたんじゃないかしら」
「それなら俺も心当たりはいくらでもあるんだけどなぁ、でもそういうのは高々五分程度だろ? 戦闘が終わってメッセージが来ていたことに気付いて返事を送るってのもあるだろうし」
鉄門が、うむうむとうなずく。
「でもドゥルールさんは何回もメッセージを送ってるけど、まったく反応がないって言ってたしなぁ」
オレがそう口走るや、
「ドゥルールって、たしか恋華にちょっかい出してたっていうプレイヤーだっけ?」
星藍の眼の色が変わった。
「逆だ逆。ドゥルールさんじゃなくて、クリーズが恋華にしつこくフレンド申請のメッセージとか送っていたんだよ」
オレがそう訂正すると、「そうだっけ?」といった、いぶかしげな目で首をかしげる星藍。
「……帰ったらNODにログインして、ジンリンに聞いてみるか」
聞くだけムダかもしれないけど、確認しないわけにも行かないからなぁ。
問題はドゥルールさんがログインしているかだけど……、うん、一時的でもフレンドになっておけばよかった。
§
B10鉛筆の濃度でカケアミに塗られたような暗闇でも、かすかな白は浮かび上がる。
「…………」
それを露草色の、長い髪の少女は、ジッとその闇の中を見つめるように、ゆっくりとその先へと歩み寄る。
「っと……きこ……える?」
別の、気の弱そうな声を出す少女が、暗闇へと向かおうとしている長髪の少女を呼び止めた。
「聞こえてる。どうかしたの、ニネミア」
ニネミアと呼ばれた、ショートカットの、前髪で片目を隠した雀色の髪の少女は、目の前で自分を睨んでいる長髪の少女を怯えながらもまっすぐ見据える。
「あっ……と、ね、みん、な――怒って、る」
「知ってる。もしかしてそれを言いに来たの?」
突き放すような長髪の少女の言葉に、ニネミアは視線を逸らした。
「それだけだったら、私はなにも言うことなんてないわよ。騙されるほうが悪いんだから」
「で、でも……わ、わたし……も、あ……れはやり過ぎ……だと思う」
長髪の少女はニネミアを睨みつけ、口を黙らせようとするが、
「はぁ……あんたにキレたところでどうにもならないわね」
と頭を抱えた。
「騙したことは本当だけど、騙そうとしたわけじゃないわよ」
長髪の少女はニネミアの肩を叩き、
「アレはまだ簡単なクエストでしょ? それをクリアできない人がどうして新製品のテストプレイヤーに呼ばれたのか、私からしてみればそっちのほうが疑問だったわ」
と言葉を続けた。
「て、天使と……悪……魔の、川渡り」
「あれくらい簡単でしょ? 似たような奴でももっと難しかったり、ルールが複雑になっているのもあるんだから」
二人が会話しているのは、天使と悪魔の川渡りという知能ゲームだ。
大きな川を隔てて、天使と悪魔がそれぞれ三人ずつ川岸におり、全員を向こう岸まで渡らせなければいけない。
ルールとしては、天使と悪魔は
「答え教えてあげようか?」
そう言われ、ニネミアはうなずいてみせた。
「そんなに難しくないわよ」
長髪の少女は初級、中級、高級HP回復アイテムと、同様にMP回復アイテムを、計六種類のアイテムをストレージから取り出した。
「HP回復ポーションを天使、MP回復ポーションを悪魔とするわね」
確認を取るように、長髪の少女はニネミアを見た。
「わかった。HPが天使で……MPが悪魔」
ニネミアはジッと二種類の回復ポーションを見つめる。
「それじゃ始めるわね」
長髪の少女の言葉に、ニネミアはうなずいてみせた。
「まず最初に、どれでもいいから天使と悪魔の番を移動させて、天使を戻す」
[0]
◇A地点
・[天使a] ・[天使b] ・[天使c]
・[悪魔Α] ・[悪魔Β] ・[悪魔C]
◇B地点
[1]
◇A地点
・[天使b] ・[天使c]
・[悪魔Β] ・[悪魔C]
◇B地点
・[天使a]
・[悪魔Α]
[2]
◇A地点
・[天使a] ・[天使b] ・[天使c]
・[悪魔Β] ・[悪魔C]
◇B地点
・[悪魔Α]
「次に、残った悪魔を移動させて、どれでもいいから元の場所に移動させる」
[3]
◇A地点
・[天使a] ・[天使b] ・[天使c]
◇B地点
・[悪魔Α] ・[悪魔Β] ・[悪魔C]
[4]
◇A地点
・[天使a] ・[天使b] ・[天使c]
・[悪魔Α]
◇B地点
・[悪魔Β] ・[悪魔C]
「番となっている天使と悪魔を一緒に移動させてから、悪魔二匹をそれぞれの番がいる岸に帰らせる」
[5]
◇A地点
・[天使b] ・[天使c]
◇B地点
・[天使a]
・[悪魔Α] ・[悪魔Β] ・[悪魔C]
[6]
◇A地点
・[天使b] ・[天使c]
・[悪魔Β] ・[悪魔C]
◇B地点
・[天使a]
・[悪魔Α]
「最初の場所に残ったままの天使二人を渡らせて、悪魔を一匹渡りかえす」
[7]
◇A地点
・[悪魔Β] ・[悪魔C]
◇B地点
・[天使a] ・[天使b] ・[天使c]
・[悪魔Α]
[8]
◇A地点
・[悪魔Α] ・[悪魔Β] ・[悪魔C]
◇B地点
・[天使a] ・[天使b] ・[天使c]
この時点で、元の位置(A地点)には悪魔のみ、向こう岸(B地点)には天使のみとなった。
「悪魔二匹を渡り直させて、天使を最初の位置に戻してから、元の岸にいるその番を渡らせる」
[9]
◇A地点
・[悪魔Α]
◇B地点
・[天使a] ・[天使b] ・[天使c]
・[悪魔Β] ・[悪魔C]
[10]
◇A地点
・[天使a]
・[悪魔Α]
◇B地点
・[天使b] ・[天使c]
・[悪魔Β] ・[悪魔C]
[11]
◇A地点
◇B地点
・[天使a] ・[天使b] ・[天使c]
・[悪魔Α] ・[悪魔Β] ・[悪魔C]
「はいクリア」
合計十一回の移動で長髪の少女は、提示された問題をクリアした。
「や、やっぱり……すご……い、ア、アリ……ア――って、言われていただけのことある」
う~んと、ニネミアは長髪の少女に向かって拍手をする。
「これくらいわかる人はわかるでしょ?」
ニネミアに褒められながらも、長髪の少女の声は平坦としている。
その声に感情などなかった。
「うれ……しく、なかっ……た? わ、わた……し、あ、あたま使うの苦……手……だから」
そんな言葉遣いでは、ニネミアを見た誰もが、彼女は知能に異常あるのではと思ってもおかしくないだろうと長髪の少女は思った。
「あなたはもうログアウトしなさい。学生でしょ?」
「それ……そっくり……かえす」
ニネミアの言葉に、長髪の少女は頭を抱えた。
ニネミアの言うとおり、長髪の少女も学生であった。
しかもどちらかと言えば、ニネミアのほうが年上なのだ。
「正直、これから先のフィールドに一緒に行ってもニネミアのプレイヤースキルじゃ足手まといになるの。わかる? 要するに邪魔だって言ってるの」
長髪の少女は突き放すようにニネミアの肩を強く押し、ニネミアに尻を着かせた。
「きゃっ?」
おどろきながらも、ニネミアはジッと長髪の少女を見上げる。
その眼の色は恐怖心からではなく、長髪の少女を憂慮している眼であった。
「それに……明日は学校で大事なテストがあるんでしょ? 学生の本業は勉強。それに友達が嫌でも学校には行かないと――」
「あな……たも……がく……せい――」
「あぁ、私は大丈夫よ。私が学校に行ったところでなにも変わらないから」
長髪の少女はうしろを振り向き、ニネミアの声を背中で感じる。
「でも、いつ……もエ、レンが話してる男の子……可哀想……」
「言われなくても、でも……言えないでしょ……」
長髪の少女の肩がちいさく震えた。
「それに、私ちょっと考えてるんだ。もしこのゲームの穴があって、それがなにか爪あとを残せるくらいだったら、どんだけおどろくだろうなって……」
ニネミアはゆっくりと立ち上がる。それを気配で感じると、
「それじゃ、わたしはそろそろ先に進むわね。――また明日」
長髪の少女はそのまま闇の中へと消えていった。
「うん、また明日ね……エレン――」
エレンを見送り終えたニネミアは、ホームに戻ろうと静かに踵を返した。
「***********」
なにか、悲鳴のような声が聞こえ、ニネミアはうしろを振り返った。
しかし、深黒の闇が広がっているだけで、人の気配はしない。
「……っ、エ、レン……?」
闇の中を覗きこもうとしたが、足を踏み入れただけですべてがのみこまれそうなほどの恐怖心がニネミアの全身を駆け巡った。
「……っ」
ドクン……とニネミアの鼓動が震えた。
一度、二度、三度……そのリズムはラルゴからモデラート、アレグロのへと高ぶっていく。
興奮ではなく、恐怖心による鼓動の高まり。
「エ、レン? だ、だいじょう……ぶ?」
ニネミアが暗闇の先に声をかけたが、なにも返ってこない。
いや、ニネミアの声を闇が食べているかのようだった。
「……っ、き、きの……せい?」
ニネミアは不安にかられながらも、エレンの安否が心配になっていたが、彼女は二の足を踏むだけで、なにもしなかった。
…………エレン――宝生漣が、薺煌乃と出間鉄門の眼前で投身自殺をしたのは、この二人の会話から翌二日後のことであった。
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