第17話 留守電

 6月1日金曜日 

 現在時刻:21時31分57秒


『ピーーーーー。もしもし、道信、今お母さんと病院にいるんだけど、家に帰ったら、すぐに連絡をくれないか』


 俺は目を見開いた。


 えっ?……。母さんと病院?どういうことだ。誰かになにかあったのか。


 親父からの留守電の用件はそれだけだった。しかし、俺には少し、親父が焦って話しているようにも感じた。


 とにかく、すぐに電話をしないとな。


「ウル、親父に電話をかけてくれないか」


「あ、うん。わかったわ」


 すぐに、俺の視界に現れる、コール表示。


『ティリティリ、ティリティリ、ティリティリ、ティリティリ……』


 ……呼び出し音が数回鳴った後、すぐに親父が電話に出た。


「あ、もしもし、道信。家に帰ったのか」


「あぁ、もうすぐ家に着く。それより、病院ってどうしたんだよ」


「道信……お母さんが入院することになった。まぁ、詳しいことは、あとで病院で話すから、家に着いたらお母さんの着替えと、なにか適当に持ってきてくれ。場所は桜ノ坂総合病院さくらのざかそうごうびょういんにいる」


「うん、わかった」


 俺はそれ以上聞かなかった。


「わるいな……それじゃ」


 そう言うと、親父はすぐに電話を切った。


 ……いつもそうだ。親父は電話ではグダグダと用件を話さない。まぁ、考えていても仕方がない。急ごう。


 そして、そこから俺は数分で家に着いた後、母さんの着替えやお金、冷蔵庫に入っていた飲み物など、適当に紙袋に入れ、すぐに病院へ向かった。


 この時、俺の心には、なぜあの時、すぐに留守電を聞かなかったのか、のんびりしている場合じゃなかった、というぼんやりとした自責の念が込み上げていた。

 

 病院へ向かう途中、俺はふと、さっき家に帰った時の誰一人いない真っ暗な部屋が頭に浮かび、いつも誰かが家にいるという当たり前の温かみをひしひしと感じていた。


 そういや、ばあちゃんが死んだときもこんな気分になったよな……。



 6月1日金曜日 

 現在時刻:21時55分11秒


 どういうことだ……。


 俺は病院に着き、まず、駐車された車の数に驚いた。


 冗談だろ。普段から夜に車がこんなにも停まっているわけがない。


 しかし、不思議と静まりかえっている病院……。


 明らかに不自然な状況から今日のアップデートのことが俺の頭の中で結びついたが、とりあえずウルと急いで、母のいる病室へと向かった。


「嫌な予感がする」


 病院内の廊下は暗く、静かではあったが、各々の病室には電気がついており、室内からは話声が細々と聞える。面会時間や消灯時間もとっくに過ぎているはずなのに……。


「302号室か……」


 親父からのメッセージチャットが届いていた。


 俺は3階まで上がり、母の病室の前まで行くと、親父が下を向きながら、自身の両手を握り、椅子に腰かけていた。

 

「親父……」


「おっ」

 

 俺に気づいた親父は微かな返事とともに俺の方をゆっくりと見るが、口は全く笑っていない。


「あっ、これ持ってきた」


 と言い、紙袋を見せた俺は、親父の隣の椅子にゆっくりと座った。


 紹介が遅れたが、俺の親父は今年で49歳になる。名前は、最上信さいじょうしん。11年前から派遣社員になった親父は月曜から土曜日まで、毎朝早くから夜遅くまで働いている。だから、俺の家は決して裕福ではなく、母親も働いている…。しかも、それに加え、俺はニートであり、支えていかなければならない立場であるにも関わらず、支えてもらってばかりいるのだ。本当にこればかりは笑えない……。


 ……だから流石に、いつも両親の前では後ろめたい思いをしていた。しかし、それを察してか、そんな親父はいつも俺には何も言ってこなかった。


 そして、俺は椅子に腰を掛けた後、ふと、親父の頭上に出ている戦歴表示を見て驚く。


『ID:Sin』 『戦歴:1戦1勝0敗』


 嫌な予感がした……。


「親父」


「道信、俺はやってしまった……。浅はかだった」


 その重い一言は、とても何かを悔いるように聞こえた。そして、親父は下を向きながら話を続ける。


「今日のアップデートを知っているだろ……。俺は、俺はな。何も知らずに、バトルをしてしまったんだよ」

 

 どういうことだよ……。

 

 その瞬間、俺は大きく目を見開き、すぐに立ち上がるとともに、母さんのいる病室へ一目散に向かい、ドアを大きく開けた。


 ガッシャン


 すると、そこには……。


「アニマ?」


 まず、俺の目に止まったのは、キノコヘッドのぽっちゃりとした小さな生物が母さんのベッド隣の椅子に座って、楽しげに会話をしている姿だった。


 驚いた様子でこちらを見る母さんとキノコヘッドの生物。


 俺と目があった母さんは俺の名前を呼んだ。


 ……いや、そう見えただけである。


 ……声が、出ていない。


 うそ、だよな……。

 

 俺はすぐに気づいた。母さんがペナルティを受けたのだと……。


 「母さん、ペナルティを受けたのか」


 そう言い、母さんに急いで近づくと、母さんとキノコの生物は驚いた様子で俺を見た。


 すぐに、母さんは口を動かすが、やはり俺の耳には何も聞えない。

 

「あら、みちのぶ、きてくれたんだね……って言っているわ」


 と、ウルが隣で俺の耳に囁いた。


「ウル、わかるのか?何を言っているのか」


「うん。口の動きを読み取るくらいはアニマにはできるから」


「そうなのか。それは助かる。わるいけど、母さんが何を言っているか教えてくれ」


「わかったわ」


 と、そう俺が、一人で話すものだから母さんは、驚いた様子でこちらを見ていた。


『あんたもそこにアニマがいるの?』


「あぁ、いるよ。ってか、このキノコみたいなのは母さんのアニマなのか?」


 頷く母。


『キノコクンっていうの。かわいいでしょ』


 そのまんまじゃねぇか……。


「ってか、それより、やっぱり足も動かないのか?」


 また、頷く母。


 その頭上には『戦歴:1戦0勝1敗』と表示されている。


 ……なんで、なんでこんなことになったんだよ。


「ねぇ、ミチノブ……」


 そう、ウルは俺に何かを言おうとしたが、俺は無視して、すぐさま、親父のところに向かった。


「おい親父!」


 病院内に響く俺の声。


「なんで、あんなことになったんだよ!」


 親父は黙ったまま椅子から立ち上がり、俺の前まで来る。


「わるかった」


 そう、少し頭を下げ、目を瞑る親父に、俺はそれ以上何も言うことができなかった。


 そして、俺の隣を過ぎ、病室に紙袋を置きに行った親父は病室から出てくるとともに俺に声をかけた。


「コーヒーでも買いに行こうか……」


 俺は静かに頷いた。



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