第22話

 私は恵の死後、植物と化した恵の遺体を祖母の遺した土地に植え、そこに墓を築いた。


 しかし、恵の死を受け入れられなかった私は、墓参りをしなかった。


 娘達が二人で定期的に掃除をしているという話は聞いていた。


 だから私が行かなくても、大丈夫だと思っていた。


 そうやって、自分に言い訳していた。




 私は自分の眼を疑った。


 そこには、見る影のない墓地。


 荒れているわけではない。


 掃除は行き届いている。


 ただそこにあったのは。




「恵、なの……?」




 人は彼女を一番樹と呼ぶ。


 広大な土地に植えられた、雄大な姿。


 恵は、決して死んでなんていなかった。


 ここに植えた時に枝に掛けたビーズの髪飾りは、遥か頭上で輝いていた。




 ホームに戻った私を迎えたのは、驚きの報告だった。娘が結婚したいとのこと。相手はホームの研究員。しかも、既にお腹の中に子供がいる。


 実は夫を始めとして、私以外のホームの人間はみな娘の付き合いを知っていた。ずっと研究に没頭していた私だけ、一番身近な家族の変化に気付いていなかった。


 ――自分にも、孫ができる。


 そう思うと、嬉しくてたまらなかった。


 この気持ちを、恵にも分けてあげなくてはいけないと思った。


 恵は、死んでいないのだから。


 まだ、恵に見せてあげられる。


 恵にも、孫を。





 最後の人工授精に向けて、私は更に研究を進めた。ここで失敗したら後がないので、絶対の自信が持てるまで、人工授精の環境を整えた。


 しばらくして娘が出産した。女の子だった。娘は私の名を取って、その子に「空い」と名付けた。自分と同じ発音で恥ずかしいと抗議したものの、娘は「一番好きな人の名前だから」と譲らなかった。ちなみに空いは娘夫婦が面倒を見られるため、WX0003QY型の運用はしなかった。あくまで、WX0003QY型の始動は恵の孫に、ということになった。




 その翌年。


 無事、人工受精は成功した。


 人工揺籃器の動作も順調で、胎児はすくすくと成長した。


 女の子であることが分かると、恵の名を取って、その子は「芽ぐ」と名付けられた。


 そして無事、ホームに元気な産声を響かせた。


 あれから更に一回り大きくなった恵に芽ぐを見せた時。


 私は肩の荷がすっと降りたのを感じた。




 大輝の脳核を組み込んだWX0003QY型は、赤子の芽ぐをあやすのに悪戦苦闘していた。どことなく不器用なところが、大輝に似ていると思った。私や夫に助言を求めてくることもあった。それが嬉しくて。急に世界が暖かさに包まれた。光が差し込んできた。私は、この数十年ずっと暗闇の中にいたんだと気付いた。


 芽ぐが1歳になった頃、私はホームでの研究を引退した。長い間の無理がたたったのか、内臓を少し患ったのと、歩行も困難になったことが理由だった。これからは民間の病院へ移り、医者として余生を全うする。優秀な研究者であった娘の旦那が繊維性細胞硬化症の研究を引き継いだので、私には何も思い残したことがなかった。




「――これで、私の話は終わりよ。長かったわね?」


 そういって、お婆さんは深く息をついた。ぼんやりと天井を眺め、当時の感慨に思いを馳せているようだった。私もまた、たった今聞いたことを、自分の中で何度も反芻した。


 子供が産めなかったお祖母ちゃん。


 そしてそのクローンのお母さん。


 お祖母ちゃんをかばってなくなった、大輝さん。――いや、お父さん。


 お婆さんの話だと、大輝さんの「心」が、私を育ててくれたお父さんの中にちゃんとある。それはつまり、大輝さんが私のお父さんだってこと。


『いいえ、違うの。確かに戸籍上は、そうなるけど……大輝は、あなたのお祖父ちゃんではないのよ』


 あれは、単にお母さんが大輝さんの血を引いていない、という意味ではなかった。大輝さんは、私のお祖父ちゃんではなく、私の「お父さん」だったんだ。


 血が繋がっていなくても、私の、たった1人のお父さん、なんだ。




――ズキン。


 私は胸に鋭い痛みを感じた。それと同時に、頬を伝わる涙に気付いた。


「あ、ごめんなさい……ちょっと、つらい話だったわよね……」


 お婆さんがおろおろしていると、お爺さんがハンカチを渡してくれた。私はハンカチで涙を拭うと、震える肩を必死に抑えて、お腹に力を入れて声を上げた。


「違うの! ひぅ……違うの。えぐ。ただ、せっかくお父さん、んぐ、のこと、分かったのに、ひっぐ、もう、お父さんに、ひぅ、会えないなんて……」


 お父さんは、あの夜、ホームを訪れた泥棒の人達に連れて行かれてしまった。だから、もうお父さんには会えない。それが、私にとって何より切なく、何よりの悲しみであった。


 すると、お婆さんはお爺さんと顔を見合わせ、慌ててみせた。


「え? え? あらいけない! 言い忘れてたわ!」


 お爺さんもそれに続き、しどろもどろになり、私に必死に説明をした。


「いや、違うのですよ。ええと、確かにしばらく会えないですが、そうじゃなくて」


 そしてお婆さんも交互に口走る。


「あのね、芽ぐちゃんのお父さんは、私達がね……」




 ――あの夜、ホームを訪れたのは泥棒さんではなく、お婆さんとお爺さんとその仲間の人達だったらしい。そしてホームに元の住人は誰も残っていないと思ったため、お父さんを回収したことを伝えに来なかった。


 ホームには人が住んでいる形跡があったけど、暗がりの中いくら探しても衣類が1つも残っていなかったから、定住しているのではなく浮浪者が仮の住まいとして利用していると判断したとか。まさか、タオルを着ながら全ての衣類を一気に洗濯して隠したなんて、普通は思わないものね。


 残念だけど、お父さんの体はもう治せないらしい。でも、お父さんの「心」は取り出せる可能性があるらしい。元々お爺さんの研究では脳核という部位から心を取り出すことはできなかったのだけれど、今回は私の「声」が関係あってのことらしい。だけどそれには時間が掛かるらしい。


 私は二人からいっぺんに色々なことを聞かされ、頭がパンパンになった。だけど、私なりに、必死に、必死に、理解しようとした。



 だって。



 だって。



 お父さんが帰ってくるかもしれないのだから!

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