第20話

「そんな……」


 お婆さんの回想に聞き入りながら、私は当時の人々に思いを馳せた。自らの心臓の音が、そして声が、植物の遺伝子を呼び覚ますこととなった、お祖母ちゃん。そのお祖母ちゃんを命懸けでかばった、大輝さん。2人を支えるために医者になり、お祖母ちゃんのクローンを生み出した、お婆さん。お婆さんを支えた、大輝さんの後輩のお爺さん。そして何より衝撃だったのが、初めて聞く、私のお母さんのことだった。


「私のお母さん、おばあちゃんのクローン、だったんだね」


 さっきお婆さんが言っていたこと。大輝さんは、私のお祖父ちゃんではない。その意味が、ようやく分かった。私に、大輝さんとの血の繋がりはない。お母さんは、株分けされた植物のように、お祖母ちゃんの遺伝子だけから生まれたのだから。


「ええ、そうよ」


 お婆さんは遠い目をして、そう呟いた。お爺さんは、そんなお婆さんのことを、優しい目で見守っていた。お婆さんは、どこか、つらい様子だった。私はその理由を知っている。だって、この話の続きには、とても悲しい結末が待っているから。私が、この目で見たように。そして、お婆さんは再び重い口を開いた。


「……もう少し、あなたが生まれるまでについて、教えてあげるわね」




 ――振り出しの日。夫は即死だった大輝の遺体から、「脳核」を摘出した。夫と大輝の研究によると、人の経験や記憶はこの脳核という、小脳の中枢部にある無機物に近い砂のような部位に集積されるという。そして人の「心」は、その脳核によって生み出されると考えていた。


 私の祖母と両親もまた、振り出しの日に亡くなった。私はその遺産、特にホームの跡地を相続した。既に住居者がおらず閉鎖されていたホームは全壊してしまったので、私はホームを新たに建て直し、研究施設として生まれ変わらせた。


 そしてそのホームで、私は恵達の遺伝子の研究を続けた。天国の大輝に見せるため。私は、必ず2人の繊維性細胞硬化症を食い止めると誓った。


 私の夫もまた、このホームで大輝の研究を引き継いだ。人の「心」がたった1粒の脳核という砂から取り出せることを信じ。いつの日か大輝の「心」を取り出し、恵達に見せるために。




 私の研究も、夫の研究も、大きな進展は得られなかった。私達は使命感に駆られ、ずっと、ずっと、焦っていた。そして、お互いを気遣い、支え合った。私と夫の間にも娘が生まれ、少しずつ心に余裕が出来てきた。子供がいることで、私達はどんなに救われたことか。そして、その幸せを感じるたびに、私は大輝への申し訳なさで胸が一杯になった。


「ママー、遊ぼうよー」


「ごめんね、ママ、忙しいから。あ、パパの邪魔もしちゃダメよ」


「はーい……」


 私達は、お互いの研究に没頭するあまり、娘に愛情を注いであげる時間が少なくなっていた。それでも娘は真っ直ぐな子に育ってくれた。共に多くの時間を過ごしてきた、恵の娘のおかげだと思う。やがて娘は私達の仕事に興味を持つようになり、同時に、自らの友達が抱える繊維性細胞硬化症という問題を知ってしまった。




 更に年月は流れ、娘は私達と同じく研究者の道を歩んだ。ただし、その方向性は私達と違った。それは、育成プログラムの開発。それは、私達両親からの愛情に飢えて育ってしまったことによる代償なのかもしれない。両親のいない子供を、親の代わりに愛してくれる存在。娘はそんな育成プログラムを目指し、研究に励んだ。


 最初は人工知能の学習があまりに遅く、まるで成功とは言えなかった。昔ほど資源のない昨今、電気も計算機も十分に用意できなくなったことが大きい。そこで、娘はソフトだけでなくハードも成長させるシステムを考案した。その名も、WX0003QY型。


 夫はそのシステムを聞き、驚きと喜びが混ざった表情で娘に懇願した。その中枢に、1粒の砂を組み込ませられないか? とのことだった。それは、大輝の脳核である。夫は結局それまでの研究で脳核から「心」を取り出すことは出来なかったけれど、WX0003QY型に組み込むことで、ある1つの可能性を見出していた。


「思考の伝播?」


「ええ。脳核が脳に心を与えるように、ハードそのものが1つの脳のような働きをするWX0003QY型なら、脳核から心を取り出せるかもしれないのです。馬鹿げた話に聞こえるかもしれないですけど、動物同士での脳核の移植実験から、十分な裏付けは取れています」


 つまり、大輝の「心」を育成プログラムに反映させる、ということだった。そう言う夫に、娘はとても嬉しそうだった。娘にとっては、夫がここまで娘を頼りにしたのも初めてだったから。


 順調そうな夫と娘を見て、私は更なる焦りを感じていた。私はこれまでの長年の研究において、繊維性細胞硬化症への解決策を、ただの1つも得られていなかった。


 一方の恵は既に皮膚の硬化が進行し、全く食事を摂らずにも、水と呼吸だけで光合成により生命を維持する状況になっていたというのに。


 すっかり大人になった恵の娘にもまた、細胞内の構造変化といった、水面下での進行が確認された。そして、恵と同様に、彼女に子供を生む機能が備わることがなかった。


 最早、時間がないと思った。そこで、私は最後の手段を、ベッドに寝たきりの恵に打ち明けた。


「……じ、こ、じゅ、せ、ね」


 硬化した口をゆっくりと動かして、恵は一言ずつ発した。


「ええ。恵の時は、既に細胞の植物化が進んでしまった状況だったから、人工授精は絶望的だった。そして、あの子もまた、恵と同じ変化が始まっている。変化の浅い今しか、もう希望は残されていないと思うの」


 辛い決断だった。恵の娘の植物化を止められそうにない。そう告白しているようなものだったから。そして、それは当然、恵の植物化についても、である。私は、恵を救うことを、何十年と身を捧げてきた目的を、ついに、諦めてしまった。


 私は、自分が選んだ道を、大輝と恵を支えるために医者になったという道を、自分で否定したことになる。自分の無力さに、言い様がないほど、悔しかった。


「ん。そ、ね……」


 恵はそんな私の気持ちを察していたのかもしれない。


 薄く開いたまぶた越しに、恵の目は、しっかりと私を捉えていた。


 樹木の幹のように固まりつつある表情はほとんど動かなかったけれど、きっと恵なりの笑顔を浮かべていたのだと思う。


 私は、一生忘れない。あの時の、恵の言葉を。


「愛、あり、がと。の、子、よ、ろし、くね。あな、たを、愛、し、て、る」

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