第19話

「そっかぁ、おばあちゃんと大輝さんが結婚したってことは、大輝さんが私のおじいちゃんなんだね」


 私は何だか嬉しくなってそう言った。だけど、お婆さんはゆっくりと首を振って否定した。そして真剣な眼差しでじっと私を見据え、こう言った。


「いいえ、違うの。確かに戸籍上は、そうなるけど……大輝は、あなたのお祖父ちゃんではないのよ」




 ――更に数年が経った。私達は、相変わらず定期的に会って話した。一緒にいる時の楽しさはずっと変わらなかった。別れ際には、大輝が率先して次に会う予定を決めてくれるようになった。そういうところは気が回らない大輝だから、多分恵に言われたんだと思う。おかげで毎日が待ち遠しかった。ずっと、こんな日々が続けばいい、と思っていた。


「……繊維性細胞硬化症?」


 私の診察室には、3枚のレントゲンと最新のfMRI画像が貼り出されていた。恵と大輝は、私の言葉を反芻しながら、次第に表情を陰らせていった。


 きっかけは、大輝が私に相談してきたことだった。ここ2年程で恵の血糖値が異様に高くなっていること、それにもかかわらず恵の食欲が落ちていて、たまに何も口にしない日すらあること。嫌な予感がして、大輝と恵を呼び、うちの病院で診察させたところ、これまでに症例の報告がない現象が確認された。


「恵の細胞に、細胞壁のようなものが生成されている。まるで、植物のように。そして、動物には存在しない筈の、ピレイドに酷似した細胞内小器官が形成されている。ピレイドは光を吸収して炭酸固定を行う器官。つまり、光合成の核よ」


 後の検査では、恵の遺伝子には異常が見られなかった。何度も調べていくうちに、恵自身の仮説が浮かび上がった。それは、恵の遺伝子を読み取る方法が、人と違うということだった。つまり繊維性細胞硬化症の正体、恵の心音や声を触媒とした、遺伝子の後天的な音触媒反応だった。


「私の理論が、身を以て実証された、なんてね……」


 あの時の恵は力なく笑っていた。だけど、楽しそうに話す時のあの輝きが、そこにはなかった。私は、悔しかった。ずっと2人を応援するために、医者を目指したのに、私は恵の笑顔を、輝きを、失ってしまったように思った。もちろん、私も繊維性細胞硬化症の研究を始めていき、その究明を目指した。だけど、分かっていくことは解決策ではなく、現状起きてしまった問題と、今後起こりうる悲劇だけだった。


「嘘……」


 恵には、子供を生む機能が消滅していた。植物に備わっている機能が徐々に発現しているだけでなく、動物としての機能もまた、失われていった。恵が怪我をすると、血小板ではなく繊維のようなものが傷口を塞ぐようになった。関節の動きが悪くなっていった。少しずつ、少しずつ、恵の体は、植物のようになっていった。


「いつか、医療と科学が進歩して、きっと、恵の子供が生まれるから」


 私はそう言って、恵と大輝の細胞を受け取り、厳重に冷凍管理した。当時の私に出来ることは、それしかなかった。人工授精の研究は当時からあったけれど、健康な男女の細胞でさえ10分の1の確率でしか成功しない技術だった。まして、繊維性細胞硬化症を発症している恵の特殊な細胞は、専門医に協力してもらってもまるでうまく扱うことができなかった。


 代わりに、私はクローン技術の研究を行った。全くの専門外だった私だけれど、恵の想いを繋ぐには、最早これしかないと思った。クローンの方が、人工授精より遥かに技術が発達していたからだ。大輝との子供ではなく、恵単体の子供を、クローン技術で作る。それだけを考えて私は日夜問わず研究をした。


「また、痩せたんじゃない?」


 大輝と恵に会うたび、私はそう言われた。事実、あまりまともな食事も摂らず、ろくに睡眠もせず、ほとんど四六時中研究をしていた。そんな私を見かねて、大輝は自分の後輩を紹介してきた。


「あの、初めまして! 僕は、その、大輝さんの後輩で、同じ研究をしていまして! えと、大輝さんから聞いていますか? 人の心がどこにあるか、ってテーマで、脳核っていう部位を研究していて、脳核っていうのはごく最近見つかった、砂粒みたいな……」


 自分の名前も紹介する前につらつらと研究の説明を始めたその人を見て、私は久しぶりに笑ってしまった。そんな私を見て、大輝と恵は安心したって。その人は、私をいっぱい支えてくれた。私は、ずっと大輝と恵を支えることしか考えてなかったから、初めてのことばかりでびっくりした。そして、すぐに私はその人を好きになった――。




「照れますな」


 私がおばあさんの話を黙って聞いていると、ベッドを区切るカーテンの向こうから、おじいさんが顔を出した。


「あら、いらしていたならもっと早く顔を見せて下さいよ」


 相変わらず無表情なおばあさんの声からは、そのおじいさんへの信頼がひしひしと伝わってきた。私は、このおじいさんが大輝さんの後輩さんなんだな、と思った。




 ――更に数年が経った。私はその人と結婚し、クローン技術についての研究を続けた。


 人間のクローン生成には倫理的な問題があった。しかし繊維性細胞硬化症という人類が初めて直面する病気へのアプローチを込めた研究として地道に申請を繰り返していった結果、海外でクローン生成の許可が降りた。


 人体の心音を音触媒に利用した、初めての体外揺籃器。ただし、恵の心音は使わなかった。恵の細胞から発生した胎児の細胞には、恵由来の音から繊維性細胞硬化症を先天的に発症させるリスクがあったからだ。代わりに、恵と大輝の要望で、私の心音を使うことになった。最初は驚いたけど、2人が真剣だと分かって、心から嬉しかった。


 そうして生まれたのが、1人の女の子だった。幸いにして生まれたてのその子には、まだ繊維性細胞硬化症の症状が発現していなかった。




 だけど、良いことばかりではなかった。


 その子が生まれた日は、偶然にも、最悪の日と重なってしまった。


 それは、後世に語り継がれる、「振り出しの日」。


 あの日、世界中で多くの命が失われた。


 大人も、子供も、動物も、植物も、みな平等に、理不尽に、生を奪われた。


 大輝は、入院中の恵をかばって亡くなった。


 私は、大輝に、恵の子供を、見せてあげることが出来なかった。


 私は、恵の子供を、大輝に抱かせてあげられなかった。

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