第17話

 ――ピッ。ピッ。ピッ。ピッ。ピッ。ピッ。


「……?」


 私は、規則的にリズムを刻む電子音で目を覚ました。ホームから電気が絶たれて久しかったので、電子音特有の無機質な響きを耳にする機会も長いことなかった。


「おはよう、芽ぐちゃん」


 薄っすらと目を開けると、電灯の眩しい光が目に差し込んできた。そして、横たわる私を見下ろすように、知らないお婆さんが立っていた。電子音の他には、私の呼吸音がこだましていた。私は口をマスクか何かで覆われていて、そこから音が漏れ出ているようだった。私は状況が飲み込めず、不安になって首を左右に振って辺りを見回した。すると、お婆さんがゆっくりと、子供に言い聞かせるように話し掛けてきた。


「ああ、ごめんなさいねえ。驚かせてしまって。でも、あまり動かないの。あなた、絶対安静よ」


 お婆さんがそう言うので、私はじっとしていることにした。不思議と、このお婆さんの言うことが信用できてしまった。どこかで見たことがある気がしたのだけど、思い当たる人はいなかった。私の目には、細長い管と、液体の入った透明な袋が目に入った。細長い管は、私の方へと伸びていた。


「あと少し、あともう少し発見が遅れていたら、大変だったのよ。まさか、あなたが、たった1人で、何年も生き延びていたなんて、ねえ」


 私は、一人じゃない、と言いたかった。ホームには、お父さんも、お母さんも、空いちゃんも、皆も、ずっと一緒にいる。たまにたぬ吉や油揚げが遊びにも来る。だから、私はこれまで頑張れたんだ。そう思うの、何故か目に涙が浮かんできた。


「ホームに、『空い』っていう名前の子がいたのは、覚えているわよね? 何度か、あの子から、あなたのことを聞いていたわ。私は、あの子の、お祖母ちゃんよ」


 空いちゃんの名前が挙がった時、私は目を見開いてお婆さんを眺めた。そうか、そうだったんだ。見たことはない筈なのに、どこか見覚えのある雰囲気。確かに、空いちゃんとどことなく似ていた。


「びっくりしているようね。少し、昔話をしても、良いかしらねえ?」


 私は、コクリ、と頷いた。ずっと会いたかった空いちゃんと、ずっと話したかった空いちゃんと、また巡り会えたような気がして、私は、とても、とっても嬉しかった。目元がずーんと重くなるのを感じて、慌てて涙を我慢した。お婆さんは、相変わらずゆっくりと、お話しを始めた。




 ――遠い昔の日。


 私はまだ小さな子供だった。私のお祖母ちゃんは医者を営みながら、孤児院を設けていた。私の両親はその孤児院で働いていて、泊まり込みで働けるようにと私もその孤児院で暮らしていた。


 孤児院の名前は、ホーム。身寄りのない子供達にとっての帰る場所となるように、という想いで、私のお祖母ちゃんが名付けたのだそうだ。私はそれを聞いて、このホームという名前が好きになった。


 ホームには、様々な事情を持った子供達が住んでいた。そしてその多くは、両親からの愛情をほとんど知らない子供達だった。子供達は両親のいる私を羨み、妬み、いつしか、憎むようになった。私は、ホームの子供達から、いじめを受けていた。


 両親に何度か助けを求めたこともあった。だけど、まともに取り合ってもらえなかった。話せば分かり合えるとか、本当は何か傷付けるようなことを言ったんじゃないかとか、ホームの子供達は皆平等だとか、そんなことばかり。私は、平等ということの意味が分からなかった。


 いじめは、段々とエスカレートしていった。両親には見付からないように、だけど、私が、もっともっと、つらい思いをするように。本当に、ひどいこともされた。思い出したくないこともいっぱいあった。だけど、ある日、事件が起きた。


「あ……あ……愛ちゃ……を……い……いじめないで!!!!」


 それは、私と同い年の、小さな女の子だった。震えながら、泣きながら、だけど、目を逸らさずに、いじめっ子達を批難した。私の前に立って両手を広げるその子を見て、私は、天使が舞い降りてきたのかと思った。


 だけど、現実は、きれいなことばかりじゃなかった。いじめの対象が、私から、その子に、移ってしまった。そして、何よりつらかったのが、私が、もういじめられたくないという一心で、その子を、避けてしまったことだった。その子がいじめられている限り、私はいじめられないと思って。本当に、悲しかった。なんて、私は卑怯なんだって。


 しばらくして、私は自分の気持を、正直に告白した。自分がいかに卑怯かを、謝った。だけど、そんな私を、その子は恨んだりしていなかった。その子は、笑顔で許してくれた。


「うん、ありがとね。でもね、ごめんねするのは私の方、だよ。愛ちゃんがいじめられてるのを知ってて、私、ずっと怖くて、見えないフリしてた。ずっと、ずっと見えないフリしてた。だんだん、私は卑怯な子なんだ、だから、捨てられたんだ、って思うようになった。変わらなきゃ、って思って、そしたら、自然と愛ちゃんの前に立てた」


 あんなに怖がりで、いつも泣いていて、私よりもずっと弱いと思っていたその子は、私よりもずっと、ずっと、強かった。そして、私も、変われるかなって思った。それからは、私もその子と一緒に行動するようになった。いじめは二人に向けられるようになったけど、それでも私は毎日が楽しかった。


「恵ちゃん、何やってるの?」

「ビーズ! こうやってね、これでね、ほら!」


 恵といるだけで、とっても幸せだった。何度か、結婚の約束もした。女の子同士だけどね、当時はあまりそういう難しいことは考えてなかったから、ずっと一緒だよ、ずっと一緒だからね、って。私達は、本当に無邪気だった。


 ホームには、人の出入りもあった。新しく引き取り手の見付かった子や、全寮制の学校に進んだ子には、何度かお別れ会があった。両親の不幸に遭った子や、保護を受けた子には、お迎え会があった。そして、あれは、新しく男の子が入ってきた日のことだった。


「お前らみっともないな」


 お迎え会が終わった後に、私達二人が他の子達にいじめを受けているのを、入って来たばかりの男の子が目撃した。その子は、有無を言わさず、3人の上級生相手に殴りかかっていった。そして、こてんぱんにやられた。


「君、大丈夫……?」

「イッ……!! 痛くないし、全然。……ぐすっ」


 恵がその子を介抱しているのを見て、私は少しヤキモチを妬いた。事の顛末を聞いたホームの職員は、そしてもちろん私の両親も、関係者全員をこっぴどく叱った。お迎え当日に大暴れするなんて、前代未聞だって。


 それから、その男の子は、何度も、何度も、何度も、上級生に突っかかっていった。そのたびに返り討ちにあって泣かされていたけれど、だんだんと上級生も生傷が増えていき、億劫に感じるようになっていった。結局、あの子は一度もケンカでは勝たなかったけど、上級生は私達へのいじめを、ついに諦めた。最後に、上級生の頭が「もう俺達に構うなよ!」って言った時。男の子の顔は、アザまで出来てたのに、達成感に溢れてて、とっても、格好良かった。


「大輝くん、すごい。本当に、勝っちゃったね……」

「勝ってねえよ。ま、恵ちゃんも、愛ちゃんも、これで安心だな。痛てて……」

「ううん、恵ちゃんの言う通り。大輝くんの、勝ちだよ。ありがと、ね」


 ヒーローって、いるんだなって、思った。恵も、大輝も、私にとって、本当のヒーローなんだ、って思った。あの日から、私は恵と大輝の3人で結婚しよう、と心に決めた。

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