第16話

「全く、痛かったぞ」


 そう言って咎めるお父さんの口調は優しかったけど、私は胸がズキッと痛むのを感じて、反省して肩を落とした。


「ごめんなさい……」


 私は小さい頃、良くお父さんを連れ立ってホーム内を遊び回っていた。何度かお父さんをどこかに置いていってしまうことがあり、そのたびに泣きながらお母さんと一緒にホーム全体を探し回っていた。


「ははは、そう落ち込むな。無事に治ったんだ。心配してくれてありがとう、芽ぐ」


 そう言ってくれたお父さんの声はとても優しくて、その分だけ私は自分を責めた。あろうことか、私は何度かお父さんを落としてしまったこともあり、そのたびに泣きながらお母さんに相談して、ホームの人に手当てをしてもらうよう頼んでもらっていた。今回もお父さんを落としてしまい、顔のところに大きなヒビが入ってしまった。私は手当てを終えたお父さんを受け取り、ホームの人に叱られた。


「もう本当にダメだからね、芽ぐちゃん。今回もディスプレイと外装の取り換えで済んだけど、内部領域が破損したら、直せないからね? このWX0003QY型はハードの構造そのものが演算と記憶の補助機能を持っているんだから、バックアップで何とかなる話じゃないんだ」


 ホームの人の説明は私には難しいけど、「治せない」ということの意味は分かった。お父さんが、死んじゃうってこと。それは、絶対に嫌。考えたくもないこと。だから、私は段々とお父さんを連れて行くことをやめて、部屋に置いていくことにした。その代わりに、お父さんにしてあげられることを何だってしてあげたい。そう言ったら、お父さんは少し寂しそうにしてたけど、でも笑顔で、優しく、こう言ってくれた。


「そこまで気にすることはないんだが……まあそうだな、部屋の外であったこと、その日のことを、私に教えてくれないかな。簡単にでも。芽ぐが何を見て、何を聞いて、何を感じたか。それで一緒に出掛けた代わりになるだろう――」




 朝日が窓から差し込み、私の顔を照らした。私は起き上がろうともせず、周囲を目で探った。やっぱり、お父さんはいなかった。ホームは静かだった。空いちゃんの声も、お母さんの声も、ホームの人達の声も、何も聞こえず、ただ風の音が響いていた。


 あれから、何日経っただろう。私は、こうしてずっと横になったままだった。お父さんのいないこの部屋で、一人、ずっと。最初は、ホームのどこかにお父さんがいるんじゃないかと思って、いっぱい、いっぱい探した。だけど、お父さんはどこにもいなかった。あの人達がお父さんを連れて行ってしまったんだ、っていう考えが頭を何度かよぎるたび、そんな筈ない、そんな筈ない、って否定した。でも、ダメだった。探せば探すほど、私は、現実を思い知った。


「うう、ぐう、ケホッケホッ、ぐす……」


 私は横たわったまま、涙を流し、嗚咽を漏らした。もう、何もする気が起きなかった。次第に横になる時間が増えて、何かを食べることもなくなり、いずれ、一日中寝ているようになった。ホームの皆にお水をあげなくちゃ、って何度も思ったけど、立ち上がろうとするたびに、強い吐き気が襲ってきた。もう、全てが辛かった。


 お腹はずっと悲しい音を立てていた。喉もカラカラだった。熱があるのか、頭もボーッとして、何かを考えることが嫌だった。だから、ずっと寝ていたいと思った。眠っている間は、つらいことを思い出さなくて済んだ。それに、昔の夢を見ることもあった。お父さんとの思い出、お母さんとの思い出、空いちゃんとの思い出、ホームの人達との思い出。手を伸ばしても、二度と手に入らないものが、夢の中でいくらでも見付けられた。だから、私は今日も寝ていようと思った。


 ――サリサリ。


 ふと、ドアの向こうで、何かがこすれるような、引っ掻くような音が聞こえた。だけど私は体を起こす気もなくて、何かを考える気もなかった。しばらく目を瞑っていると、ドアが音を上げてゆっくりと開くのが聞こえた。


 ――ガチャ。


 目を開けてみると、そこには1匹のキツネがいた。キツネは私を見付けると、嬉しそうな顔で駆け寄り、私の顔の目の前まで来た。だけど、私はもう何もしてあげる気もなかった。キツネはしばらく私の様子を眺め、そして私の頬を舐めた。


「……なみ、ケホッ、んん。涙を、拭いてくれて、ケホッ、るの?」


 するとキツネは部屋を離れ、どこかへと歩いて行った。私はすぐにまた気を失うように眠りについた。頭がガンガンと金槌で叩かれているように痛かった。喉の奥もヒリヒリとした。眠っている間も、体の不調は少しずつ夢に現れた。昔の夢を見ることもあれば、悪夢にうなされることも増えた。




 ――ゴトッ。


 ふと目を覚ますと、そこには再びキツネがいた。そして、床にはリンゴが転がっていた。そっか、空いちゃんの部屋に行ったんだ。私のことを心配して、リンゴを取ってきてくれたんだ。でも、私は、リンゴを見ているだけで、食べようとはしなかった。お腹はずっと鳴っているけど、何も喉を通りそうになかった。ただ、悲しかった。


 キツネが私の前で丸くなった。その背中には傷跡がなかった。こっちは油揚げだな、と思った。すると、私の中で1つの疑問が湧き上がった。


「ね、ケホッケホッ、たぬ吉は……たぬ吉はどうしたの?」


 私が話し掛けてきたことに反応し、油揚げは嬉しそうに体を起こした。もちろん、油揚げは私の問い掛けに答えてはくれなかった。


「油揚げ……ねえ、もしか、ケホッ、して」


 私は、嫌な予感がした。あれだけ仲が良さそうだった油揚げとたぬ吉が、一緒に行動していないのは、それなりの事情があってのことだと思った。


 そして、油揚げがホームに1匹で来たのも、これが初めてだということに気付いた。


 ――ドクン。


 私は、嫌な予感を、否定したかった。


 ――ドクン。


 たぬ吉は、私の、大切な友達だった。


 ――ドクン。


 そのたぬ吉が、もし――。



「答えて、油揚げ。お願、ケホッ。たぬ吉、どこ行ったの? ねえ、ケホッケホッ、教えて」


 だけど、油揚げは、答えてくれなかった。


 しばらくして、油揚げは帰っていった。


 私は、これ以上考えちゃいけないと思った。


 自分が、壊れちゃうと思った。


 そして、そのまま、深い眠りについた。

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