第14話
ホームの入り口の方が騒がしい気がした。ホームは1階の広間がドーム状になっているから、位置によっては音が大きく響く。私は、その音の中に人の声や足音が含まれていることに気が付いた。
「え!?」
私はお皿を床に置いて、体に巻きつけているタオルでベタベタになった手を拭った。まだちょっと指と指がペトペトとくっつく感じが残っているけど、それどころじゃなかった。
「どうしよう、お客さん? お父さん、どうしよう」
今のホームに人が訪れることは滅多にない。一番樹の麓からはそこそこの距離があるから、例えば子供が好奇心で歩いてくることもない。来る人といえば、ホームの元関係者か何かのえらそうな人達や、勝手に食べ物を漁っていく人達や、何だか危なさそうな人ばかり。私はこれまで何度も見付かりそうになったけど、「秘密基地」でやり過ごしていた。
「うう、こんな格好で見付かったらやだよぅ……」
今日のお客さんは悪い人じゃないかもしれないけど、今の私は服を着ていない。タオルを巻いているだけだった。さすがに、人目には付きたくなかった。こんなことなら、昨日のうちに洗濯をちゃんと済ませておくんだった。
「ごめんね、お父さん。ちょっと私、隠れてくるから……」
私はインカムを外し、お父さんを床にそっと置いた。遠くの方に、懐中電灯の光がいくつも見えた。ドアを出て、素足のペタペタとした足音を消すためにタオルを足の下に擦りながら、木々に隠れて移動していった。まず干していた洗濯物をまとめて抱え込んだ。もし泥棒だったら、もし洗濯物を全部盗まれちゃったら、タオルしかなくなっちゃう。水を吸った洗濯物はものすごく重たかったけど、うまい具合に地下の階段へ辿り付き、図書室へ向かった。
「暗いよ……何にも見えないよ……」
電気の通っていないホームの地下は、夜になると真っ暗だった。お昼の間は図書室の天窓から1階の光が降りてくるから、図書室とその近くにあるいくつかの部屋だけはそれなりに明るい。でも今は、図書室でさえ真っ暗闇に包まれていた。ひとまず空いちゃんの部屋の机の下に洗濯物を隠した。これだけ暗いなら、きっと見付からない筈。
「怖いよ……怖いよ……」
私はうわ言のように呟きながら、壁や本棚を伝って目的の場所まで行った。一番奥の本棚。私は本棚に足を掛け、タオルがずり落ちないように気を付けながら登っていった。遠くから、カツーンカツーンと足音が聞こえた。誰かが、図書室の辺りに来ているんだと思った。私は慌てながら、本棚の上に乗って、グッと天井を押した。天井の板の1つが小さな音を立てて開き、私はその中に飛び入った。
「ケホッケホッ」
その中はほこりっぽくて、とてもじゃないけどあんまり長くはいたくなかった。ここが、私の「秘密基地」。空いちゃんと一緒に見付けて、こっそり隠れたりした。あの時は、二人の時間が何もかも楽しくて、ほこりっぽいことにも笑っていた。天井の板を戻すと、辺りは静まり返った。今は懐中電灯もないので、完全に真っ暗だった。音もなく、光もない。私は周りにお化けでもいるような気がして、無意味に目をギュッとつむった。外の様子は全く分からないから、私はしばらく息を潜めることにした。
それから1時間は隠れていたんじゃないかな。私は、ほこりっぽい空気に耐えながら、必死に目を閉じていた。静けさが、暗さが、ひたすら恐怖心を煽った。だけど、今の私にとって一番怖いのは、暗闇でもお化けでもなく、得体の知れない大勢の人間だった。今までのお客さんとは違い、集団での来訪。何か目的があるのかもしれない。もしかしたら私を連れ出そうとしているのかもしれない。私の保護に来ているのだとしたら、怖がっちゃいけないんだけど、でも、私にはここを離れられない理由があった。お父さんに、お母さんに、空いちゃん。ううん、それだけじゃない。ホームと、ホームの皆。私にとって、ここの全てが、掛け替えのない宝物だから。ずっと、皆と、ずっと、一緒に。私は、考え事をしている間に、静かに、寝息を立てていた。
――少し時間を遡る。ホームの入り口に、人が集まっている。
「医院長。電気系統は完全に破損しています」
「噂通り、ホームの住人は全滅のようです」
「中に新しい生活の痕跡がないか、確認してみます」
医院長と呼ばれた老婆は、信じがたい光景を目にしたように表情を崩し、車椅子から転げ落ちた。慌てて周りの大人達が老婆を支えた。老婆の車椅子を押していた老人は、沈痛な面持ちでそれを見守った。老婆は両腕を地面に着いたまま涙を流し、ホームを見上げ、絞り出すような涙声で呟いた。
「ごめんね、恵……。大輝……。二人との約束、守れなかった……」
ようやく車椅子に体を戻した老婆は、老人に押してもらいホームへと入っていった。他の大人達が懐中電灯で辺りを照らすと、ホーム内の鬱蒼とした木々が老婆の視界に入った。彼女が若い頃はありふれた光景。しかし至る所が荒野と化した現代では、目にすることのない世界だった。
「水場に新しい水跡があります! 野生動物のものではなく、人間の活動痕跡があります!」
「浮浪者が隠れている可能性がありますので、一旦外でお待ちになった方がよろしいかと」
老婆は、耳が遠いながらも大人達の報告を真剣に聞き取り、その勧告には従わず、自らも捜索に加わった。とはいえ、そこら中に樹の根が這い、石が転がり、暗がりでろくに視界も開けないホームは、大勢の大人達が手分けしても思うように探索が進まなかった。
「私達は地下も調べますので、医院長は1階をよろしくお願いします」
老婆が制止を聞かないため、大人達は体裁上ホーム1階を老婆に任せた。とはいえ、1階はもうあらかた探索が終わり、残るは1つの小さな部屋を残すのみだった。老婆は、さすがに老人に地下まで車椅子を運んでもらうことはできなかったため、すんなりとその提案を飲み、ドアに手を掛けた――
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