第12話
朝の日差しが窓から部屋に差し込む。私のディスプレイに反射し、天井を照らす。私は徐々に意識を「夢」から現実へと移行させていった。私が目覚めると、すぐに芽ぐがもぞもぞと動き出す。いつもの光景だ。親子は起きる時間も似るものなのだろうか? と思ったが、父と母で起きる時間が違えば子の起床はどちらかとはズレるわけだし、そもそも私はプログラムであって生身の人間ではない。最近良く夢を見るせいか、たまに自分が生身の人間であるかのように錯覚してしまうことがある。
ところで芽ぐの父方の遺伝子提供者はどこかで生きているのだろうか。芽ぐの存在を知っているのだろうか。遺伝子提供者へは遺伝子の使用用途が必ず伝わっている筈なので、揺籃器による出生が成功した場合も知らせは行くものだろう。もし芽ぐのことを把握していながら、自分はのうのうと生きているとしたら、それは最早父親と呼べないのではないだろうか? もちろん、遺伝子提供者には何も責任はないのだが、生身の人間としての錯覚からだろうか、どうしても自分こそが唯一「父親」を名乗れる資格者だという自負が頭から離れない。これが嫉妬であろうか。あまり、気分のいいものではないようだ。
「うー」
しばらくもぞもぞと動いていた芽ぐが、体を起こして伸びをした。まぶたは閉じたままで、まだまだ寝足りないといった表情だ。これも、いつも通り。私は一人娘の愛らしい仕草をじっと眺める。芽ぐは目やにの付いた目元を手でこすりながら、薄っすらとまぶたを開け、手探りでインカムを求めた。すぐにインカムを見付けると、頭に装着し、私のディスプレイを拾い上げていつものように挨拶をする。
「おとーさん、……おはお~」
あくび混じりに捻り出されたその声もまた、私の心に安らぎを与えた。日常が戻ってきた気がした。芽ぐが帰らなかった一昨日。私は気が気でなかった。そしてようやく芽ぐに会えた昨日。嬉しくて、ホッとして、どっと疲れが出て、私も芽ぐも、いつしか眠りについていた。2匹のキツネ達、たぬ吉さんと油揚げ君はいつの間にかいなくなっていた。色々なことがあったけど、今日になって、ようやく、私は日常の平穏を噛みしめることとなった。
「お顔洗ってくるね~」
芽ぐはそう言うと、私のディスプレイをそっと床に置き、部屋から出て行った。おいおい、インカム付けっぱなしだぞ。まったくもう。
「ごろろろろ~……ぺっ!」
いい朝。私はいつも通り、朝を起きると顔を洗って、歯を磨いた。そういえば昨日は帰ってきてからそのままたぬ吉と油揚げと遊んじゃったから、こうして歯を磨くのも2日ぶりだ。正直歯を磨くのって少し痛くて面倒だけど、お母さんがちゃんと磨きなさいって言うし、実際2日ぶりに磨いてみると、とっても気持ち良かった。
「ふんふーん」
砂汚れのついた白いワンピースを脱いで、洗濯物かごに入れた。インカムが落ちた。そういえばつけっぱなしだった。ちょっと迷った後、結局全部脱いでそのまま水風呂にした。ホームに電気はなくなっちゃったけど、雨水をきれいにする設備は電気がいらないみたいで、お水だけは不自由しない。最近は夜も暑いからひどい寝汗だった。水風呂でさっぱりしたら、後でいっぱいお水飲まなきゃいけない。あ、そうだ、昨日も一昨日もホームの皆にお水をあげてないから、皆にもたっぷりあげないと。
「ぶくぶく~」
水風呂に顔を半分まで付けて、私は息で泡を作った。昨日はたぬ吉達を待たせてたからさっさと出ちゃったけど、今日はもうちょっとゆっくり浸かっててもいいよね。お水に浸かっていると、全身に水分が行き渡っていく気がする。皮膚呼吸? っていうのかな? 髪を洗う時になって、髪飾りをつけっぱなしだったことに気付いて慌てて取り外した。そういえば昨日も同じ失敗をしたんだった。おしゃれって大変なんだね。
「あり?」
水風呂から上がってすぐのところに棚を置いてある。ふわふわに畳まれた真っ白なタオルで体を拭いていると、私はちょっと良くないことに気が付いた。
「はあ……」
お洋服が、1枚も残ってなかった。全部洗濯物かごの中だ。そういえば昨日それに気付いて、仕方なく汚れやすい白のワンピースを着たんだった。昨日のうちに選択をしとけば良かったな、と思ったけど、昨日の疲れ具合から考えてそれは無理だった気もした。だから私は失敗したわけじゃないんだ、と思った。
仕方ないから、大きめのタオルを体に巻き付けることにした。案外うまくいくもので、そういう感じの衣装っぽくなった。ただし白いタオルなので、色が見るからにタオルなんだけど。今日一日の我慢。あ、髪飾り髪飾り。
「ふうー」
芽ぐが、手にインカムを持って部屋に戻ってきた。しかし、何故だろう、バスタオルをいくつか結んで体に巻き付けている。そのくせ、しっかりビーズはつけている。芽ぐよ、服はどうした。私はこの子の行く末が不安でならなかった。芽ぐは私のそばに来ると、片手でタオルを押さえたままインカムを装着した。
「お父さん、洗濯物溜まってるよ?」
幼子を咎めるようにいたずらっぽい顔をする芽ぐ。ああ、私のせいということなのだろうか。
「もー、私がいないとダメなんだから」
何故か「えっへん」と胸を張る芽ぐ。どこか誇らしげな顔だ。まあ、否定は出来なかった。
「とりあえず洗濯物先にしようかなあ? 皆にお水をあげるほうが先かなあ?」
さっさと洗濯しないと、乾くものも乾かないぞ、と言いたかった。外は砂埃が立ちやすいので、芽ぐは1階の一角に室内干しにしている。それなりに風通しはいい方だが、だだっ広いドーム状をしたホームは、空調が止まっている今だと空気の循環があまり良くないのだ。
「どう? おいしい?」
私はひとまずお水をあげることにした。まず真っ先に、地下へ降りて空いちゃんの部屋へ。空いちゃんはオレンジジュースとか好きだったなあ、なんて考えながら、たっぷりお水をあげた。
「ウン、オイシイヨ、メグチャンダイスキ」
なんて空いちゃんの真似をして喋ってみようと思ったけど、何故か裏声になってしまった。これではオウムか何かが喋っているみたいだ。ふと机の上を見ると、置いている果物の数が結構少なくなってきていた。また採りに行こうと思った。
地下の木々に一通りお水をあげると、私は1階に戻った。そして、なみなみとお水を入れたじょうろを持って広間の一番真ん中へ。
「……お母さん」
ホームで一番大きな樹。私はじょうろを傾け、木の周りを回りながらお水をあげた。
「ただいまを言うのが遅くなっちゃってごめんなさい」
私のじょうろは小さいから、これくらい大きな樹だともう1往復は必要だと思った。樹が必要な水分の量は種類によるし、ホームの木々は図鑑に載っていないんだけど、何となくの目分量で。
「おばあちゃんのところ行ってきたんだ」
一番樹が私のおばあちゃんであるように、この樹は、私の、たった一人のお母さんだ。
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