第11話
校庭からはサッカーか何かの掛け声が聞こえる。ぼーっと窓の外の木々を眺めていると、私の机の横に一人の女学生が現れる。
「二人とも進路決めた?」
長い髪。一見すると無愛想な表情。しかし、親しみのこもった穏やかな声。その呼び掛けに、私の前に座っていたショートヘアの女学生が振り向く。ビーズの髪飾りで纏められたしっぽのようなかわいらしい髪型とは裏腹に、眉間に皺を寄せている。
「うー、それ言うかあ?」
ビーズの女学生は、深々と溜息をついて肩を落とす。長髪の女学生は無表情のまま、ビーズの女学生の頭にぽんぽんと手をやる。見慣れた光景である。
「恵(めぐみ)、まだ時間はあるからさ、ちゃんと考えよ。ね?」
私はそんな二人を見て、ハハッと笑いながら和んでいる。すると恵と呼ばれた女学生は顔をガバッと起こし、長髪の女学生を見上げる。いかにも不平のこもったアヒル口だ。
「そーいう愛(あい)はどーなのよお」
すると、愛と呼ばれた長髪の女学生は先程までの無表情と打って変わってニッコリと嬉しそうに微笑む。早く言いたくて仕方がない、と言わんばかりの笑顔だ。
「私ね、医者になる。……私、二人が大好きだから、いつか、もし万が一にね? 二人が重い病気にでもなったら、私が治してあげたいんだ」
ぽかーんと口を開けている恵を他所に、私は驚きと羞恥で顔を引きつらせる。恐らく端から見て明らかなくらい顔を赤らめているだろう。親しい女性に、学校の教室で、笑顔で、面と向かって好きと言われたら、意識していようがいまいが、誰だってこうなる。こうなるのだ。
「ちょ何赤くなってんのよ! 愛もそういうこと軽々しく言わないの!」
心なしか愛も恵も顔を赤らめていた。この二人も本当に仲が良い。しかし医学部を受けるとなると、大学は別になりそうだ、と私は少し残念に思う。
「いつまでもにやけてないの。で、あんたの進路はどうなのよ大輝?」
「――!!」
目を覚ますと、視界には天井が広がっていた。それは、飽きる程に見慣れた格子模様だった。私はいつの間にか眠りに落ちていた。久しぶりに二人の夢を見……
(二人? 誰だったか?)
私は体を起こそうとしたが、微動だにしなかった。それもそうだろう。私に起こす体なんて備わっていない。あるのはディスプレイを持った端末だけだ。そんなこと前提すら揺らいでしまう程、私の意識が朦朧としていた。これまでになく強い眠気。そういえば昨晩は芽ぐの身を案じて夜通し起きていたのだった。その反動だろうか。
(そうだ、芽ぐ! 芽ぐは……!)
私は芽ぐのことを思い出して周囲に意識を巡らせると、少し離れたところに芋虫のようにうずくまる女の子がいた。真っ白だったワンピースも、キツネの毛や足跡のような砂汚れにまみれている。その見た目では寝ているのか倒れているのか判断しにくかったが、スー、スー、と心地良さそうな寝息が聞こえることに気付いた。炎天下を歩き回った疲労もあるのだろう、しばしば不規則に「ンゴッ」という喉の奥からつっかえたようないびきも聞こえた。……半開きの口元から少しよだれも出ているようだが。
(芽ぐ、良かった……)
そういえば何かの夢を見た気がする。どのような夢だっただろうか、全く思い出せなかった。私に「心」が自覚されてからというもの、こうして夢を見ることもある。その夢の存在もまた私には不可解なものであり、そしてその内容には身に覚えのないものも含まれていた。そもそも起きた直後には忘れてしまうので、身に覚えがないという感覚以外のことは何も残っていないのだが。私は、芽ぐの無事に安心し、薄れゆく意識に、身を委ね、そのまま――
「受かった! 受かってるよ! 大輝! ねえ! 二人とも番号ある!」
厚手のブレザーに身を包んだ恵が大きな手袋に小さい紙を握りしめ、番号のズラリと並んだ看板を見上げ、歓声を上げる。私も恵の隣で同じポーズだ。すると不意に後ろからギュッと抱きしめられる感触を覚える。恵と一緒に抱きしめられたようで、恵の体が私に強く押し付けられる。私がびっくりして、いや、どちらかと言うと焦って後ろを振り向くと、私と恵を両腕に抱え込むようにして俯く中腰の何かがいる。
「ふ、ふだりども、う、う、よが、良がったね、うう、ううう」
その何かは顔を下に向けているせいで、頭部はだらーんと長い髪しか見えない。だが、その聞き慣れた声の主が誰かなのは顔を見るまでもなく、私達には明らかだ。
「ちょ、愛、離し、もう!」
恵は白い息を吐きながら、必死に身を捩る。頭部を私達の間に押し付けている愛のマフラーが弾みで地面に落ちる。それでも拾う様子もなく、ただ力いっぱいに私達を抱きしめ続けた。恵はというと、合格の喜びに潤ませた目と、抱きしめられた恥らいに赤らませた頬とで何とも珍しい表情になっている。今にも泣きそうな恵の瞳を見ていると、私も鼻の奥がツーンとするのを感じた。
「だで、だっで、うう、ほんどに良がっで、ううう、二人ども、おめで、ゲホッゲホッ」
中腰で抱きついたままの愛は、涙と嗚咽で言葉にならず、とうとう咳き込んでしまった。私は合格発表で泣くつもりは毛頭なかったのだが、ここまで素直に喜んでくれている愛を見て、思わずもらい泣きしてしまった。幸せな涙をこぼし、笑いながら隣を見ると、恵もまた、堰切れたようにうわあああと大声を出して号泣した。
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