第10話

「油揚げね、私の食べ終わったリンゴの芯見付けてかじりだしたんだよ。もう食べるところほとんどなかったのにね」


 芽ぐは私のディスプレイを持ち、更に両脇に抱える2匹のキツネを器用に撫でくり回しながら、おかしそうに思い出し笑いをした。たぬ吉さんも油揚げくんも気持ちよさそうに撫でられては、時折指を舐め返すといった反撃をしていた。芽ぐもくすぐったそうに、そしてとても嬉しそうに、2匹を愛でていた。


「それでね、この髪飾りなんだけど、くるみのプレゼントなの」


 髪飾り、という言葉に私は少し反応した。言葉自体に引っかかるものは感じないが、先程「見た」光景が頭をよぎった。淡い幻影のような、古ぼけた思い出のような、どこか心に引っかかる光景。芽ぐより少し大人びた、それでいて芽ぐと面影のかぶる女の子。改めて芽ぐの頭、かわいらしいしっぽのような髪型に注目すると、少し古びた雰囲気のあるビーズの髪飾りが輝きを見せていた。ここ最近はビーズを見る機会もあまりないな、と私は思った。


「最初はこのキラキラどう使うのか分からなくて、きれいだなーって思ってたんだけどね、たぬ吉のしっぽにいたずらしてる時に思い付いたの! これね、しっぽに巻きつけてみると、ぴったりだって! それでね、私も自分の髪の毛をまとめてみたらうまくいったの!」


 まるで大きな手柄のように胸を張り鼻息を荒げる芽ぐは、私のディスプレイを床にそっと置き、きっかけの褒美を取らせようと言わんばかりにたぬ吉さんを思いっきり撫でくり回した。当のたぬ吉さんは急な攻撃に「ケフッ」と小さな悲鳴を漏らし、嬉しそうに体をよじらせた。


「これどこかで見たことがある気がするんだよね、シーズとかブーツとかそんな名前なんだよ、いいでしょ!」


 たぬ吉さんのしっぽを優しく握りながら毛並みに沿って撫でていた芽ぐは、今度は自分の髪の毛をしっぽのように手でさわさわとして感触を確かめた。するとハッとしたように後頭部を押さえて、せわしなく左右をキョロキョロと探し始めた。


「あれ? 麦わら帽子は?」


 そういえば芽ぐは出掛ける時に少しぶかぶかな麦わら帽子をかぶっていた。夏の日差しの中、一番樹まで歩くなら当然の装備だ。そしてここに戻ってきた時には、顔を隠してはいたがどうも麦わら帽子をかぶっていなかったようだ。


「あれ? 嘘? やだ……。どこ行ったんだろ。行きはずっとかぶってたし……。あ、帰り道でこの髪飾り伸ばして頭をくぐらせようとした時にはもうなかった。ええと、うう、多分一番樹を離れた時にはもうかぶってなかったのかなあ」


 立ち上がって無意味にワンピースをぱんぱんと叩いたり足元をキョロキョロと見渡す様子を2匹のキツネは不思議そうに眺めていた。それにしても、帽子をかぶらずに帰ってきたとならば、一歩間違えば熱中症だ。日が高くなる前に向こうを発ってくれて本当に良かったと思う。


「あ、一番樹の子達から走って逃げる時に! あ、いや……」


 芽ぐは心当たりをつい口にしたようだったが、私はそれを聞き逃さなかった。口ごもる芽ぐを見て、私は1つの可能性を推測した。やはり芽ぐは、一番樹の麓の住人に嫌がらせを受け続けている。転んで顔が汚れた、と言っていたのも関係がありそうだ。本当に転ばされたか、泣かされて顔が汚れたか。


「ううん、何でもない!」


 そう言うと、芽ぐは作り笑いをしてみせた。ズキリ、と「心」が鋭い痛みを覚える。そして私は自分の「心」にフツフツと湧き上がるものを感じた。これが「怒り」であろう。何の罪もない、咎を受ける理由もない、一生懸命に毎日を過ごしている芽ぐに向けられた、残酷な悪意。芽ぐの口ぶりから、それは子供達によるものだろう。大人から大人へ伝えられた悪意。親から子へ受け継がれた悪意。子供から友達に広がった悪意。その矛先が、何故、私の一人娘に向けられてしまうのか。私は芽ぐを守ってやりたい。何故、私にはその力がないのだろうか。何故。


「きっとどっかに置いてきちゃったんだね、ちょっとぶかぶかだったから気付かないうちに飛んだのかも? あはは……」


 その場に座り込み力なく笑う芽ぐの顔を、私は黙って見守るしかなかった。2匹のキツネが芽ぐに寄り添う。私は、芽ぐを守るどころか、慰める言葉すら持たない。私は芽ぐのためだけに作られたプログラムであり、芽ぐのただ一人の父親である。その私にできることが、ただここで話を聞くだけとは。何という皮肉だろうか。何と無力だろうか。


「だからあの後すごく眠くなっちゃったんだね……。麦わら帽子なしで走ってたんだもん。そういえば頭がすっごく熱かったんだ」


 絶えず押し寄せる波のような自責の念を抑え、私は芽ぐの無事にただ喜びを覚えることにした。最悪の場合は熱中症で、脱水症状で、行き倒れになっていた可能性すらあった。たまたま日陰の多い一番樹の麓だったことがどれだけ芽ぐの無事に貢献しただろうか。


「でも一番樹の根っこがひんやりだったなあ。おばあちゃんが、私を守ってくれたのかもね!」


 そう言うと、今度は作り笑いではなく、本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。2匹のキツネを再び撫で込み、穏やかな時間が流れた。私は芽ぐの微笑みに心から救われたような気がした。芽ぐはいつだって、私のことを癒やしてくれていた。


 しばらく2匹を撫でていた手がふと動きを止めた。2匹のキツネは芽ぐの顔を覗き込むと、芽ぐは何か考え事をしているようだった。少しの沈黙の後、芽ぐはゆっくりと話し始めた。


「そういえば一番樹の枝、じっくり眺めたの初めてだったんだけど、裸芽性じゃなさそうなのに芽鱗痕が全くついてなかったの。葉腋も不規則に並んでて図鑑に載ってる植物と全然違って、……ホームのみんなとすごく似てるの。これって何でなのかな?」

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