第45話

 真っ暗な世界。


 音もなく、匂いも、肌をかすめる風もない。


 ただ、そこに私と、1人の少女がいた。




『夢の八千代……』


 私が呼び掛けると、その子は驚いた表情で私の方を振り返った。


『あなた! 無事だったのね……良かった……。あなたの指示通りに手紙を掘り起こしたら、あなたが殺されるなんて書いてあったから……私いてもたってもいられなくて……』


 ここは、私の夢の中。いつもの、安息の夢。私にとっての、もう1つの現実。


『心配掛けて悪かったわ。そしてもう1つ、ごめんなさい。私、やっぱり無事じゃなかったの』


 私の告白に、夢の八千代は表情を曇らせ、そしてたちまち顔を涙と鼻水で汚した。私はそっと彼女の髪を撫で、優しく抱きしめた。


 しばらくそうしていると、彼女の嗚咽は収まり、やがてゆっくりと会話を始めた。


『でも、どうしてあなたがここに? あなたが亡くなったら、もう二度と私の夢には現れないと思ってた。だってここは、あなたの夢でもあるんでしょ? あなたが生きて、自分の世界で夢を見ているからこそ、ここに来れるんでしょ?』


 彼女が疑問に思うのも、無理はないことだった。


 私は最後の夢で、彼女に手紙を隠したことを告げた。その手紙には、まさに「桐の祠」の台本通りに伊那倭が桐の祠の儀式に失敗すること、それが原因で私が殺されるだろうこと、そして私がこの夢に現れることはもうないということを記した。私を心から信頼している彼女は、私との別れを疑うこともなく悲しんだだろう。


『どういうわけか、私は死ぬ直前に、心が2つに分かれてしまった。1つは遠い彼方の世界に、もう1つは私のいた世界に。そして、私はあんちゃんに殺された。ううん、正確には殺されそうになったところで滑り落ちちゃったの。いずれにしても私は死んだわ。同時に2つの心のうち半分は死に、もう半分だけが残った。今の私は、残った片割れよ』


 私は正直に自分の状況を伝えた。


 大事なところは隠して。




 実は、私が憑いているこの体には、気が遠くなるほど膨大な情報が蓄積され、またそれを遥かに凌駕するほどの情報へと接触する機能があった。


 未来の技術。それは私がいた世界の人々から見れば、人知を超えた神々の記憶。私はこの体に入り込んだ瞬間に、それを手にしてしまった。同時に、私が今いる世界がどんなもので、この世界がどういう状況に置かれているかも把握した。


 私は、何故自分の心が2つに分かれたのかを知っている。何故、代志子と私の心だけがこの世界に飛ばされたのかも知っている。ただ、それを彼女に伝えるのは、得策でなかった。


『そうなの。……あなたが亡くなってしまったことは残念だけど、またこうして会えるのなら嬉しいわ』


 そう返す夢の八千代の笑顔は、悲しみと安堵の入り混じった複雑なものだった。私は彼女を傷付けてしまったことに少し罪悪感を覚えつつも、私は自分のすべきことを思い出し、行動に移すことにした。


『ええ、私もあなたにまた会えて、本当に良かった。だけど、私はあんちゃんのいる世界に、もう戻れないの』


 私がそう言って彼女の顔を見ると、彼女は少し不思議そうな顔をして、直後悲しげな表情に戻った。これは、「意図が分からなかった」表情と、「意図が分かり、それに共感して悲しさがこみ上げてしまった」表情だ。


 私の体には、表情を読み取る機能がそれなりの精度で備わっている。それなりに、というのは人間の表情がそもそも感情を完全には表しておらず、数割程度のノイズがこもっていて情報が一部欠落しているからだ。そこから感情を取り出す原理そのものが、精度への限界を与えている。


 対して私の体には、表情で感情を表現する機能はそこまで備わっていない。それは、この体の開発された目的上、さほど重要でなかったからだ。だから、彼女は一瞬私の感情が読み取れず、意図の把握に時間が掛かったのだろう。ノイズが掛かっていようと、残りの数割の情報だって感情の推測には十分役に立つということだ。




『でもね、あんちゃんに会う方法、なくもないんだ』


 私がそう言うと、彼女はうなだれていた頭を勢い良く上げ、目を見開いて私をじっと見た。


『え? どうするの? 私に何かできる?』


 私は、ニィッと笑った。私がこの体で作れる表情のうち、一番分かりやすいのが笑顔のようだ。しかし彼女は私の表情に対して、少し畏怖と動揺が混ざったような表情を返していた。それはともかく、私は「計画」について話し始めた。




『――分かった。桐の祠に、20年毎に、ね。うん、任せて。絶対、あなたのあんちゃんに会わせてあげる。約束!』


 私の「計画」は、至極単純なものだった。



 私は桐の祠の正体を知っている。儀式を使い、「伊那倭以外」の人間を、この世界に送り込むことができる。



 私は未来の技術を知っている。心を知っている。ここにある機器を使い、心も、体も、取り替えられる。



 人には寿命がある。いずれ代志子は死ぬだろう。だけど、代志子の記憶を、心を、身体的特徴を記録し、第三者に植え付け続ければ。代志子を永遠にこの世界に留めることができる。もちろん、完全な代志子ではないかもしれない。それでも構わない。人は、移り行くもの。本物の代志子だって、月日を減れば元とは別人になる。それが自然だから。



 あんちゃんの心のデータはここに存在しない。だから、作るしかない。私の思い出を頼りに、0から作る。全く別人の心や体が作られてしまうと思う。それでも、少しは似ているところがある筈。その情報を強化して、また作り直す。何度も何度も作り直す。何千回、何万回でもダメかもしれない。



 だけど、私と――には無限の時間がある。



 何度でも繰り返せば、いずれ伊那倭と同じ人間が作られる。



 そして、いつの日か、私は望みを叶える。




 ずっと、変わらない世界を。元通りの、3人で。

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