第15話

「おいしい!」


 最初に通された和洋折衷の部屋で、私達は遅めの昼食をいただいていた。いつ見ても、畳に屏風、そしてシャンデリアの組み合わせは不格好だ。先程と違うのは、部屋の真ん中に小さな机が2つ置かれていること。そしてその机の上には、きゅうりのお漬物に、シンプルなお味噌汁、山盛りのご飯に、数々の山菜が並んでいる。質素ながらも優しい味わい。そういえば、もし代志子さんが昔の人だったら、お米は貴重な食品なんじゃないだろうか。


「……おいしいです」


 この無愛想男は相変わらずだ。おいしいならもっと「おいしい!」という表現の仕方があると思うんだけど。しかしそんな私達を見て、代志子さんは嬉しそうにニコニコしていた。


「遠慮なく召し上がって下さい。おかわりもございますよ」


 その笑顔は、どうも嘘をついているようにも精神を病んでいるようにも見えなかった。こんなおもてなしを受ける理由も見当たらないだけに、代志子さんの好意に甘んじてしまい続けているのには少し胸が痛んだ。


「お茶を持って参りますね」


 そう言い残し、代志子さんは部屋を去っていった。雨ということで今日はしばらく置いてもらうことになっているため、食事の後はまた書斎に戻ろうか、いや、代志子さんにもうちょっと話を伺ってみたほうがいいかもしれない、いや、それだったら八千代ちゃんに会った方が――


「……!!」


 ふいに背後から人の気配がしたため、私は箸からお皿に漬物をポロリと落とした。それと同時に後ろを振り返ったけど、そこには、誰も、いなかった。


「どうした?」


 無愛想男が無愛想な表情のまま私の様子を不審に思い、問い掛けてきた。私は、「誰かいた気がして」と答えようと思ったけど、だから何だという気がしたので、「別に」と返した。不満そうな表情でこちらを見ていたので、私は「それにしてもこのお漬物おいしいね」、とごまかした。


「ふふ、気に入りましたか? それはみかしら漬けというものです」


 いつの間にか代志子さんが部屋に戻っており、その手にはお盆が、そしてお盆の上にはやはり湯気の立った湯呑みが2つ置かれていた。私達はお礼を言い、熱々のお茶をありがたくいただいた。本当は冷たいお茶がいいんだけどね。


「あ、文の間以外も好きに使って下さって構いませんからね。それと、八千代様もお二人のことが気に入ったそうで、遊んで欲しいと言っておりました」


 八千代ちゃんのことを話す代志子さんは本当に嬉しそうで、心から八千代ちゃんのことを大切にしているんだな、と思った。ふと、二人の関係が気になった。代志子さんが言うには、代志子さんには伊那倭さんっていう旦那さんがいるらしい。『伊那倭の伝』がもし伊那倭さんと八千代ちゃんを描いた物語だとしたら、八千代ちゃんは伊那倭さんの妹さんということになる。ところが、代志子さんは若々しく見えるけど多分40歳前後だ。八千代ちゃんが私と同い年だとすると、そのお兄さんの伊那倭さんはせいぜい20代なんじゃないだろうか。あまりにも歳の差結婚だ。いや、昔の人ならそういうのも普通なのかな?


「お済みになりましたら、そのままに置いておいて下さい。ふふ、子供が二人できたみたいで楽しくなりますわ」


 私達はお言葉に甘えて、食器を置いてぶらりと歩いてみた。最初は文の間に行こうと思ったけど、文字をずっと読み続けていたので気分転換したかった。それに八千代ちゃんにも会いたい。会って確かめたいことがいくつかあるもの。すると、私の後ろで「あっ」という間の抜けた声がした。この間の抜けた声は、間の抜けたあいつだ。


「どしたの?」


 私が振り返って尋ねると、先程までの沈んでいた表情から一転して、何か良いことを閃いたという顔をしていた。今日のこいつは何だか頼りになるように感じるので、私も少し期待をしていた。


「そういえばさ、お前良くメモ取ってるよな」


 その通り、私は何か覚えなくちゃいけない時、頻繁にメモを取るようにしている。別に記憶力が悪いというわけではないけど、メモがあれば何かと安心するからだ。それも、電子媒体のように編集したり保存したり削除したりが煩わしいものではなく、要らなくなったら破って捨てられる紙媒体で。だけど、そのメモがどうかしたのだろうか?


「もしかしてさ、桐の祠のおまじない、メモってない?」


 それを聞き、私はハッとした。メモっている。間違いない。メモった記憶はないけど、肝試しやらおまじないやらごちゃごちゃしたものは、私だったら絶対にメモを取ると思う。廊下に屈み込んで鞄を漁ると、いつもの場所にメモ帳が入っていた。私がパッと開くと、そこには――


「……うさぎ?」


 私のデフォルメうさぎだ。メモ帳にたまに落書きもしている。っていうか何で勝手に見るんだ。乙女のメモ帳は交換日記のように秘密でいっぱいなのに。私は批難のこもった目でデリカシーのない男を制すると、更にページをめくっていった。そして、メモの取られた中で最後のページに、それが書かれていた。


「……え?」


 私は、何が起こったのか分からず、キョトンとしていた。そんな私を見て、あいつは首を傾げている。そんな筈はない。確かに、これは私の字だ。よく見慣れた、私の。


「えと……」


 私が手間取っていると、あいつが手を差し出してきた。見せてくれと言わんばかりに。私は、渋々そのページを破り、手渡した。しかし、それを受け取ったあいつの顔もまた、私と同じだった。


「ミミズがのたくったような字、だな……」


 私は習字が得意だ。書道も初段である。それなのに、反論のしようがなかった。本当に、ミミズがのたくったような字なのだ。まるで、読めない。何故私が、こんなメモを残したのか。私は、自分で自分が信じられなかった。しかし、その字を眺めていたあいつが、不意に顔を上げた。その表情には、驚きと、興奮と、そして、困惑が混ざっていた。


「……分かった、文の間で感じた違和感の正体が。何で、今まで気付かなかったんだ」


 私は、その真に迫った表情を見て、ゴクリと生唾を飲み込んだ。そして、あいつの説明を待った。ふと、後ろから視線を感じ、振り向いたけど、やはりそこには、誰も、いなかった。私は少し寒気がして、ブルッと身震いをしたけど、あいつは私のそんな様子に気付くこともなく、ゆっくりと口を開いた。

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