第14話
「八千代ちゃんが何か企んでいるってどういうこと?」
私が聞き返すと、吾朗はいったん入り口のふすまを見やった。そこに誰もいないことを確認すると、改めて息を潜めて言った。
「代志子は字も読めないし電話も知らない。いかにも昔の人だ。しかも、夫と離別していることを匂わせる叫び。代志子の発言を全て真に受けるなら、代志子が『桐の祠』に出て来た女の方と考えるのが妥当だ。そしてその場合、代志子が本と現実を区別していないだけだ、という八千代の発言は真っ赤な嘘ということになる」
それはそうだ。そしてわざわざ嘘をついてまで隠そうとする事実が、そこにあるだろう。もしそうならば、八千代ちゃんが何か企んでいると考えるのが自然だ。
「この場合は、恐らく八千代って名前も嘘っぱちかもしれないな。俺達が『伊那倭の伝』を読んだことに気付いて、あえてその登場人物を名乗ることでミスリードを狙ったんだろう。だけどもしかしたら八千代の言う通り、代志子が本当に精神を病んでいるだけかもしれない。だから八千代が『桐の祠』の女の方である可能性も十分にある」
その場合は、八千代ちゃんが誰かと一緒におまじないをしようとしたことになる。『伊那倭の伝』を信じれば、八千代ちゃんは伊那倭という人の妹である。伊那倭って名前の神様が、伊那倭って名前の男性とその妹を永遠の世界に招待? ……何だか話がややこしくなっている気がする。
「ところが、そもそも八千代は俺達に何も聞かず、淡々と代志子を運んでいた。これは、俺達に興味がなかった場合を除けば、どこかで俺達と代志子の会話を聞いていたか、代志子から直接聞いたか、もしくは、最初から『全部』知っていたか、だ」
確かに八千代ちゃんは初対面の私達に物怖じもせず、ただ代志子さんの症状を説明し、不敵な笑みを浮かべて去っていった。自分の家に見慣れない男女がいたら、普通は不審がるだろう。ましてや八千代ちゃんは自分と同じくらいの年頃の女の子だ。吾朗みたいに目付きの悪いやつがいたら、普通にビビると思う。
「もし仮に八千代が『桐の祠』の女の方だったとしたら、八千代は俺達と同じ方法でこの世界に来たことになる。そして、俺達の状況を何らかの方法で知ったとしよう。その場合、もし八千代が何も企んでいないなら、知っていることを話すなり、自分の境遇を説明するなり、何かある筈だ。それが何もないのは、何かを知っていて隠しているからだと思う」
立て続けに吾朗が説明した。普段の吾朗からは想像できないほど饒舌で、説得力を感じる話し方だった。まだまだ腑に落ちない点は多いけど、何となく引っ掛かっていたところや疑問に思っていたところがスルスルとほどけていくような感覚を覚えた。
「うん、何となく分かったよ。可能性は2つ。1つは、代志子さんが過去の人間で、八千代ちゃんが私達にそれをごまかそうとしてる可能性。もう1つは八千代ちゃんが過去の人間で、同じ境遇の私達にあえて素性を明かさずに何かを隠している可能性。確かに、どっちにしても、八千代ちゃんが怪しいね」
少しすっきりとした私に対して、吾朗はいつの間にか眉間に皺を寄せていた。探偵か何かのように、右手の拳を口元に置き、右肘を左手で支えていた。そして、首を傾げながら、ポツリと呟いた。
「だけど、何か変なんだ。何だか分からないけど……この違和感は……」
更に時が流れた。外は相変わらずの大雨なので正確な日の高さは分からないけど、とっくにお昼は過ぎていると思う。現に、私のお腹がそう言っている。もう3時くらいだろうか。
「ねえ、本棚あさりもそろそろやめて、八千代ちゃん達を探しに行かない? 私、もう疲れたよ」
お腹がグゥグゥとのんきないびきを立てているので、私は吾朗から少し離れたところにいた。お腹をつねったり、ポコンと叩いてみたりしたけど、お腹の音は止みそうになかった。とりあえず八千代ちゃんにも状況を説明し直して、雨が上がるまでここに置いてもらうことと、もし良かったら食べ物を分けてもらえないかということを相談したい。初対面で図々しいのは承知だけど、この雨じゃしょうがないと思う。
「ねえ、吾朗ってば」
吾朗は、1枚の紙を眺めたまま、じっと硬直していた。その紙は、真ん中できれいに折り目がついていた。私の呼び掛けにハッと気付くと、吾朗はその紙を本の間に挟み、本棚に戻した。
「ん?」
何だか挙動不審に見えたので、私は問い質す意味で吾朗に疑問符をぶつけた。吾朗は「本に紙が挟まってただけ」、と答えたので、私はそれ以上追求をしなかった。そして書斎を出ようとしたところで、ちょうど代志子さんが現れた。
「申し訳ありません、どうやら暑さで目を回していたようで……八千代様に介添えしていただきました。お陰様でもうすっかり良くなりました。お二人にはご心配をお掛けしたと伺っております……」
代志子さんは申し訳なさそうに慎ましい微笑みを浮かべた。口元のほくろが蠱惑的で、先程見た老婆のような面影は微塵も感じられなかった。私は代志子さんの元気そうな姿を見て安心し、今の状況を説明した。
「――そうですか。また文の間をお使いになりたい時はどうぞ気になさらず使って下さい。それではおましの設けをいたしますので、しばしお待ち下さい」
おまし、というのはお食事という意味だった気がする。私はようやくお食事にありつけるということで、嬉しくなって吾朗の方へ振り向いた。しかし、吾朗はさほど嬉しそうでなく、どこか悲しげな表情を浮かべていた。
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