第12話
しばらく、私は呆然としていた。気が付くと吾朗は肩に手を置いてくれていた。目の前で、代志子さんは倒れたまま動かない。もしかして、死んじゃったんじゃ、ない、よね? 早く、救急車を、呼ばなくちゃ。でも、電話がない。私は怖くなり、じわじわと目に涙を浮かべた。すると、不意にふすまが「ギシ……」と音を立てた。私はビクリと肩を震わせ、恐る恐る入り口の方に目を向けると、そこには私と同じくらいの女の子が立っていた。
「心配いらないよ」
その女の子はこの異常事態に全く動じることもなく、私達に声を掛けた。その態度が、逆に私の背筋を震えさせた。吾朗が腕にギュッと力を入れるのを感じた。
「どういうことだよ」
ぶっきらぼうに吾朗が問い質すも、女の子は物怖じするでもなく、淡々と状況を説明した。
「こういう人なの。ちょっとおかしくなっちゃう人でね」
女の子がスススと代志子さんに近寄った。すり足のような動作にもかかわらず、あまり音がしなかったので少し不気味に見えてしまった。考えすぎだろうか、ふすまが鳴るまで女の子の接近に気付かなかったのも今思えば不思議だ。ここいらの板張りは老朽化しているようで、私がゆっくり歩くだけでもそれなりにギュッギュッと軋む音がするのだ。もっとも、代志子さんの異変に気を取られて部屋の外の音にまで気が回らなかっただけかもしれないけど。
「この人ね、ずっと前から心が壊れちゃってるんだ。昔を思い出せない。本に書いてあることと現実を区別できない。現実を思い知らされると、こうして周りが分からなくなって気絶しちゃう」
呆れたように言い放つ女の子は、その口ぶりとは裏腹に、大事そうに代志子さんを担いだ。そこで吾朗が慌てて「あ、手伝う?」と聞いたけど、女の子は首を横に振った。
「慣れてるから」
自身の言葉を裏付けるように、女の子は軽々と代志子さんを引きずって行った。私と同じくらいの体格、いや私よりもちょっとスレンダーかなあ、ちょっとだけね、という感じなのに、本当に軽々と運んでいく姿に、私は強く違和感を覚えた。ふすまからさっさと出て行ってしまったので、私は慌てて女の子を呼び止めた。
「あ、ねえ、あなた名前は?」
すると女の子は、目を大きく開けて、口をニタリとUの字にした。心臓がバクンと跳ね上がると共に背筋をゾクッとした感覚が走った。口裂け女……そんな言葉が私の脳裏をよぎったけど、女の子の口は裂けてない。だけど、どこか、人間離れしたような、不気味な笑顔だった。先程までは少し年下くらいのかわいい女の子だ、と思っていたのに、笑顔1つでこうもイメージが変わるものなのか、と思った。そして女の子は、その口のまま、おかしそうに返答した。
「八千代だよ」
女の子、いや、八千代ちゃんが立ち去ってからも、私はしばらくふすまの向こうを眺めていた。何だかめまいのような貧血のような、体から力が抜けていく感覚を覚え、私は吾朗に身をもたれさせながらスルスルと床に腰を下ろした。吾朗が慌てて声を掛けてくれたけど、足がガクガクと震えて立ち上がる気力が沸かなかった。これを「腰が抜けた」というのかな。両手を床について体育座りの両足を広げたようなだらしない格好のまま、私はフルフルと身じろぎしていた。吾朗もしゃがみこんでしっかりしろとか言ってくれてるけど、自分の姿勢が恥ずかしかったのでどっかに行ってて欲しかった……。
ザー
ザー
ザー
「雨、すごいね」
ようやく落ち着いた私は、ぼんやりと窓の外を眺めていた。天気予報では何て言ってたっけ? 私は毎晩天気予報を見てから寝ているのに、今日は何故か天気予報が思い出せなかった。でも傘を持ち歩いていないということは、多分こんな雨だなんて言ってなかっただろうな。何だかツイてない。
「そうだな」
吾朗もまた、窓の外を眺めてぼんやりしている。さっきの光景、代志子さんの豹変にしろ八千代ちゃんの不気味さにしろ、私にとっての衝撃は多分吾朗にとっても同じくらい衝撃だったんだと思う。それでも私を気遣ってくれたのには、少し感謝かな。
「私、何か色んなことが分からなくなっちゃった」
まだお昼前くらいだと思うのに、今日一日で不思議な事が起き過ぎた。何もかも投げ出してしまいたい欲求に駆られる。夢なら覚めて欲しいと思う。そもそも何でこんなことになったんだっけ。そうだ、ペアチャレ。桐の祠で、おまじない。証拠写真を撮ろうとして、撮ったっけ? そうだ、写真を撮ろうにも電話を失くしちゃって、探していたらこんなことになったんだったっけ。足を崩して床に座りながら、頭を抱えて「うー」と唸っていると、気が付いたように吾朗が言った。
「ん……そういえば、俺もこんがらがってる」
吾朗は最初からボケボケじゃないか、と思ったけど、そんなことをツッコむ気力も沸かなくて、ただ流すように私は溜息をこぼした。しかし、吾朗は真面目な顔で私に問い掛けてきた。
「もう一度聞いていい?」
吾朗のもったいぶった聞き方に、私は少しイラッとして「何を?」と強い語気で返してしまった。そんな私の態度も気にせず、吾朗はそのまま続けた。
「俺達、亥馬岳に『何』をしに来たんだ?」
私はさっき聞かれた時と、同じことを答えた。吾朗が亥馬神社へお参りにとか勘違いしてたけど、私達はペアチャレに来ただけ。肝試しして、桐の祠でおまじない。すると、吾朗は更に踏み込んで問い質した。
「その『おまじない』って何だ? それを俺達にやらせたのは『誰』だ?」
私は沈黙した。そういえば、おまじないは誰から聞いたのだったか、さっきも思い出せなかった。クラスメイトに思い当たる人物がいない。そして、新たにもう1つの疑問。
「桐の祠の『おまじない』、何だったっけ……? 何で、私覚えてないんだろ……?」
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