第11話

 しばらく本棚を物色していると、お盆を持った代志子さんが部屋に入ってきた。お盆の上には湯呑みが2つ、緑茶が入っているようだった。……今度は冷たいお茶だと嬉しいな。


「何か見付かりましたでしょうか? こちら、熱くて申し訳ないですがお飲みになりますか?」


 やっぱりね、かすかに湯気が出ていたもの。私はそれでも好意に甘えさせてもらうことにした。吾朗もちょっと迷っていた感じだったけど、喉が渇いていることには変わりないようで、ヘコヘコと頭を下げて湯呑みを受け取った。


「色々と読ませていただいてます。それにしても……」


 冷房はないんですね、と言おうと思ったけど、さすがにやめた。冷房をせがんでいるようでアレだし、多分また「冷房? それはどのような棒でしょう?」みたいに返される気がしたからだ。


「えと、……本多いですね!」


 代わりに、我ながら変な感想を言ってしまった。吾朗が「何だそりゃ」と笑ってツッコミを入れた。しかし、本が多いというのは率直な感想だった。そもそも代志子さんは字が読めないわけだし。まあ今はいないだけで他の人がいるんだろうけど。すると代志子さんはフフッと上品な笑みをこぼし、本を棚から1つ取り出して愛おしそうに撫でた。


「ええ、伊那倭様がたまに読み聞かせて下さるのです。おかげで、字の読めない私でも、幾つかの書はそらんじております」


 そう語る代志子さんの顔は、うっとりとしてどこか遠くを見ているようだった。おいおいノロケ話かよ、と内心思ったけど、それより大事なことを聞かなくてはいけなかった。


「伊那倭さんっていうのはここのご主人様ですか? お二人で住んでらっしゃるんですか?」


 私が気にしているのは、2つの本だ。1つが「桐の祠」。伊那倭という亀の化物が、男女を離れ離れにさせたというお話し。これはどこかで聞いたことがある。そしてもう1つが「伊那倭の伝」。伊那倭という男が病気の妹のために盗みを働いて捕まり、許しを得るためにいじわる問題を解く話。どちらも無関係そうな話なのに、登場人物? 登場化物? に同じ伊那倭という名前がある。そして代志子さんの話にも伊那倭様とやら。これは何かあるに違いない。


「伊那倭様は、私のつまでございまして、ここは私と、伊那倭様と、八千代様の住まいです」


 え!? 妻!? え!? 代志子さん女性ですよね?? もしかしてそっち系なのでしょうか?? かくいう私もそういうお話しは好きですけども、ええと、そうなんですの?? と突然の餌に私が目を回していると、吾朗が呆れたように耳打ちした。「古語」とだけ。ああ、そうか、確か古文では「夫」と書いて「つま」と読むんだったな。意味はそのまま旦那さん。ああはいそうですかっと。あ、でも「夫と書いてつまと読む」って言葉の響き、何かいいな。そんなこんなで私が肩を透かされていると、見かねた吾朗が口を挟んだ。


「その伊那倭さんと八千代さんって、これとこれの登場人物に関係ありますか?」


 そうだ、何ボケッとしているんだ、私。八千代さんっていうのもどれかの本に出てきたぞ。と思い吾朗を見ると、両手に先程の2冊を持っていた。そういえば「伊那倭の伝」の方に出てきた妹さんの名前が八千代さんだった気もする。てか1回しか名前出てなかったよな。色々本を漁っていたせいで忘れてた。吾朗のくせによく覚えてたな。


「あら、懐かしいですわ」


 代志子さんは片手を口元に当て、嬉しそうに微笑んだ。目尻に皺が寄っているのに、逆に綺麗だと思った。ずるい。


「そちら、伊那倭の伝は伊那倭様と八千代様のお話しなのです」


 なるほど、同一人物だったんだ、と私は思ったけど、すぐさまおかしいことに気付いた。この本、正確な年代は分からないけど、明らかに年季が入っている。使われている言葉遣いも古語だ。いくら何でも無理がある。


「まるで思い出話をするように、嬉しそうに読み聞かせて下さいました……そういえば最近は読んでいただいていませんね」


 隣を見やると、吾朗もまた口を半開きにして硬直している。そういえば吾朗の説では大昔へのタイムスリップだったんだっけ。でも代志子さんの話を鵜呑みにすると、伊那倭さんが「私達のいる今」より更に昔の人ということになる。いずれにしても辻褄が合っていない。私は代志子さんの真意を確かめるべく、少し踏み込んで聞き出すことにした。


「ところで、その伊那倭さんと八千代さんはお留守なんでしょうかね? あはは……」


 変な愛想笑いをしてしまった。とにかく伊那倭さんもしくは八千代さんって人に会えば色んな謎が解けるに違いない。何だか親切にしていただいている代志子さんの発言を疑ってしまっているようで申し訳ないけど、私達は早く真相に辿り着かなくちゃいけないんだ。何しろ、もう日は高い。学校が始まっている筈だ。無断欠席はマジでやばい。しかも吾朗と一緒とか。こんなのバレたら、お父さんにめちゃくちゃ怒られる。つらい。恥ずい。つらい。とか何とか考えていると、何やら代志子さんが固まっているようだった。異変に気付き声を掛けようとすると、ぽつり、ぽつりと呟くように代志子さんの口が動いた。


「伊那倭様は……どこ……に……?」


 かすれるようなその声は、どこか悲しみと不安のこもったものだった。何か聞いてはいけないものを聞いてしまったように思って怖くなった。そして――


「伊那倭様ああああああああ!!!! わ、わ、わ、私を置いて、い、い、いなくならないで下さい!!!! 伊那倭様、伊那倭様、伊那倭様伊那倭様伊那倭様伊那倭様ああああああ!!!! お慕い申して、と、と、と、永久の契りを、私と、常の世に、火、嫌、火、火が、嫌、来ないで、伊那倭様が消え、消え、嫌、嫌です、嫌、いや、イヤ! いやああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 膝を突いて泣き崩れ、両手を口元に添えながら取り乱し絶叫するその姿は、先程までの淑女の影もなく、まるで老婆のようだった。虚空を眺め、時折虫を払うように両手をじたばたとさせ、懇願し、何かに慄き、苦しみ、そして糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。吾朗と二人で呆然と眺めていると、外から雨音が鳴り出し、それはすぐさま豪雨へと切り替わった。

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