第7話

 私と吾朗はあっけにとられてしまった。今時電話も知らない人がいるだろうか? 電話にも色々な呼び方があるけど、いや、だからといって電話って言葉くらいは知っている筈で。


「え? 電話、ないんですかね?」


 吾朗が吾朗らしく間の抜けた声で聞き返すも、その女性は「申し訳ありませんが……」と言葉を濁してしまった。女性が部屋を後にすると、私達はどちらともなくひそ話を始めた。


(あのおばさん、電話知らないとかおかしくね?)


(もしかして、ここかなりのお屋敷っぽいし、そういう事務的な道具は一切召使いさんに任せているのかもよ)


(その召使いさんはどこにいるんだよ。てかそうだとしても電話くらい知ってるっしょ)


(そんなこと私に言われたって!)


 しばらくすると、女性が再び部屋に戻り、いかにも礼儀正しい仕草で湯呑みを2つ、私達の前に差し出した。そして小さなお皿に、ちんまりと涼しげな和菓子まで用意してくれた。至れり尽くせりとはこのことだな、と思った。


「お熱いので、お気を付け下さい。こちらは葛の冷餅です。よろしかったらどうぞ」


 ひやもちって何だろう、と私は思ったけど、ちょっと歩き疲れてたし、そうでなくても魅力的なぷるるん加減に、遠慮なくいただくことにした。ていうか吾朗が先に食べ始めた。


「いただきます。……これうめえ」


 私も「いただきます」と言い木製の小さいヘラのようなものをつまんでそれで食べた。ほんとにこれうめえ。私は「おいしゅうございます」と何故か女性に合わせたような合ってないような口調で感想を述べた。しかしふと我に返ってみると、こんなことをしている場合でなければ、余分なカロリーを摂取するわけにもいかなかった。色々と心の葛藤を抱えながらも、無事に和菓子を食べ終えた私は本題を切り出した。


「あ、それでえっと、私達は道に迷ったと言いますか、道がなくなったと言いますか、何かよく分からなくなっちゃって、……あっ! ごめんなさい私、旭日静稀と言い、……申します!」


 女性は理解したのかしていないのか、おしとやかにニコニコし、首を少しかしげながら軽く頷いた。私に従って吾朗も自己紹介をした。


「俺は海野吾朗です。甘いやつすごくおいしかったです」


 とにかく吾朗はこういう時に人と話すのがあまりうまくないというか頼りにならないというか、何ともがっかりなので、私がうまいことこの状況を説明するしかないと思った。何気なく両手を服に当てると、何か堅いものが服の内側にあることに気が付いた。


「あ、これ、私達の名前! 封筒に入れてポッケにしまってたの忘れてた。こっちが私の名前で、こっちが吾朗の、こいつの名前です」


 別に漢字を見せてもしょうがないことは分かっていたが、とりあえず話を続けてこの微妙にいたたまれない空気を何とかしたかった。しかし、封筒から出された紙を見た女性の反応は予想外のもので、いっそう空気が不穏になっていくのを感じることとなった。


「これはこれは、字をお嗜みになるのですね」


 私は一瞬、何を言われているのかよく分からなかった。字がうまいということを褒められたのだろうか? いや、しかし私の字はともかくとして、まあそりゃ習字やってましたし、隣の吾朗の字はどう見てもミミズだ。丸字より読みにくい。お世辞にも字がうまいとは言えなかった。そして思った通り、女性の言葉は決して字の巧拙に言及したものではなかった。


「申し訳ございませんが、私は字が読めませんので」


 そう、字が書けるという点において、褒められてしまったのだ。確かに日本の識字率は99%とか99.9%とか読んだことがある気がする。だけど字が読めない人の多くはもっともっと年配の、戦争とかそういう事情で学校に通えなかった人とか病気で仕方ない人とか、そういう人達だと思っていた。目の前にいる女性は礼儀正しく品があり、何というかちゃんとした家の育ちのように見えたので、字が読めないという告白はあまりにギャップがあった。


「字、読めないんすか」


 しかも吾朗が聞き返してしまった。字が読めないっていうのは結構繊細な問題だってテレビで見たことがあるけど、それにしてもこいつは本当にデリカシーがない。私は少し過剰にもムスッとした顔で吾朗に肘を当てると、吾朗は意図に多少は気付いたのか「あ、いや」とだけフォローをした。そんな不躾な吾朗にも女性は嫌な顔一つせず答えた。


「ええ。しかし字が読めそうに思われたのでしたら、悪い気は致しませんね」


 フフッと上品に笑みをこぼすと、女性は空になった湯呑みと小皿をお盆に乗せ、部屋を後にした。再び、部屋に静寂が訪れた。私は内心ホッとしていた。


(でもさ、電話知らない字も読めないっていつの人間だよ。昭和とかからタイムスリップしたような人だよな)


 ひそひそ声で私にそう話し掛けた吾朗は、ハッとした表情で硬直した。


(ど、どうしたの?)


 私が心配になって吾朗に声を掛けたけど、吾朗は目を丸くしたまましばらく黙っていた。ようやく口を開いた吾朗から漏れ出た言葉は、先程までのひそひそ話とは違う力強い声で、しかし些かファンタジーな内容だった。


「……逆、だ。俺達がタイムスリップしたんだよ。昭和、いやさっきの風景の感じだともっと前か。亥馬野っていつ頃出来たんだろ。大正? 明治? もしかしたらもっともっと前の時代かもしれない」


 タイムスリップ。漫画で読んだことがあるキーワードだった。何か穴とかに落ちたり、時間の狭間? 何かギザギザしたものに吸い込まれたり、特別な事故に巻き込まれたりすると江戸時代とかの大昔に行ってしまうという話だ。しかし私は穴やギザギザに入った覚えもなければ、事故に遭った覚えもなかったので、あまりイメージが沸かなかった。


(何言ってるの。漫画の読み過ぎだって)


 それでも当の吾朗はどこか確信めいたものを感じているようで、私の反論には耳も貸さず、自分の考えを語り始めた。


「あの箱、桐の祠だっけ。あの時の炎がきっと俺たちを過去に飛ばしたんだ」


 炎、と言われ私も少し反応した。確かに桐の祠で遭遇した炎は異質なものだった。相手の体が燃えているように見えるのに、本当は燃えていなくて、しかも体が動かせない。もしかしたら本当に呪いとか魔法のような力で作られた炎なのかもしれない、……と少しだけ信じこんでしまった。しかし、それには腑に落ちない点が幾つもあった。


(昔の日本ってもっと和風の屋敷だし。見てよあのキャンドルでいっぱいのシャンデリア。ここどう見ても和洋折衷じゃない。それに大昔に自動ドアなんてないでしょ。どうして玄関が勝手に……)


 そう言いかけたところで、玄関の扉が勝手に開閉した時の感覚を思い出し、少し身震いがした。ここは大昔でもなければ、あれは自動ドア。そう自分に言い聞かせてはみたものの、現に私達の街、亥馬野が消えてしまったことに変わりがない。何か得体の知れない怪異に足を踏み入れている状況を再認識し、私はますます気分を落ち込ませていった。

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