第5話
「静稀ぃ!」
こちらから吾朗に駆け寄ろうとすると、吾朗から叫び声が聞こえた。
「何やってるんだ! 火! 消せ!」
私は吾朗の火を消さなくちゃ、という一心だった。言われなくても助けに行くつもりだった。でも、それが許されなかった。
「ごめん! 何でか動けないの! 動けないの! 自分で火を消して!」
私は泣きべそを書きながら、吾朗に懇願した。早くしないと、吾朗が燃えちゃう、燃えちゃう、と譫言のように呟いていた。私の足は一歩も、地面から動かせなかった。
「俺も動けないんだ! 早く火から出ろ! 本当に燃えちまうぞ!」
吾朗も同じく動けないと聞いて、私は背筋に悪寒が走った。一体何が起きているのか、何もかも分からなくて泣きたくなった。しかし、吾朗の様子を見ていて、何かがおかしいということに気付いた。吾朗は、気が動転しているものの、全く熱がっていなかった。
「……もしかして、吾朗は燃えてないの?」
私が吾朗にそう問い掛けると、吾朗は私の意図がさっぱり分からなかったようで、いいから早く自分で消せだのそこからどけだの繰り返していた。その反応を見て、私は状況を何となく理解した。吾朗は燃えていない。燃えているように見えるけど、何かの錯覚。
「吾朗! 私は燃えてないんだよ! この火! 蜃気楼みたいなやつ!」
私がそう伝えると、炎の中で吾朗は少し驚いたような顔をしているのが見えた。でも私が平然と立っている様子を見て、納得したらしい。そうだ、私から吾朗が燃えているように見えているのと同じで、吾朗からも私が燃えているように見えている。しかし、実際はどっちも燃えていない。どういう仕組みかは分からないけど、そういうことらしい。
「これ、どうなってんだよ。何で動けないんだよ。どう見ても燃えてるし」
吾朗は冷静な自分を取り戻したようだけど、さっきの本気で慌ててる顔を思い出すとにやにやが止まらなかった。炎越しに私の表情が見えているのかいないのか、何だかムスッとした空気を感じる。でももう吾朗の顔は完全に炎に隠れて見えなかった。私は動けないという状況に慣れてきて、周囲を見回そうとしたけど視線を動かすことすら出来なかった。
「おーい、もうすぐ消えそうだよー」
燭台の火がじわじわと降りて行き、小さくなっていく様子が伺えた。それに対して、吾朗は炎に包まれたままだった。多分私も吾朗から見て完全に炎に包まれているのだろう。
「そうだな」
私の声が定期的に聞こえることに安堵しているのか、吾朗はずっと平静そのものだった。また慌てふためく姿が見たいと思ったけど、それは絶対口に出来ないな、と思った。そんなこんなで燭台の火は消え、それと同期してか吾朗の体に纏わり付いていた炎も消え去っていった。体が軽くなる感覚を覚えると、私の足は簡単に地面から外れた。
「動けるみたい」
私が吾朗の方に歩き出すと、吾朗も同時にこちらへ向かっていた。
「ああ」
先程までの騒動が嘘だったかのように、静かな空気だった。そういえばさっきまでけたたましく聞こえていた、「ウーウー」という鳥の鳴き声もなくなっていた。虫の鳴き声は相変わらずだけど、危機を乗り越えて安心しているからかあまり不快には感じなかった。
「何だったんだろうねー、今の。もしかして占いのおっさん、何か仕掛けた?」
他に考えられない。何かすごくすごい仕掛けをして、どこかで隠し撮りをしているんじゃないだろうかと思った。隠し撮り、で思い出したけど、そういえば自分のカメラにはどう写っているのか気になった。まだ動画撮影モードのままな筈である。
「あれ?」
私は桐の祠の正面を見回すが、ない。どこにもない。私のカメラ付き。ない。カメラ付きを置いていた3つの石柱? 石像? すらない。私のアドレス帳もメールボックスも全部なくなった。顔から血の気が引くとはこのことだろう、と思った。
「え? どこ? ない? どうして? 私の、ねえ? 何で? さっきここに、ねえ?」
私が取り乱している後ろで吾朗が「何を?」「何が?」「なあ」とうるさいけど、ないものはない。これは本気でない。ありえない。さっきの火のトリックよりもない。
「あ、さては占いのおっさん!」
火のトリックでピンと来た。隠しカメラで撮影するのに邪魔だからか、さては私のカメラ付きをどかしたな。そう思うと少し、かなり、すごく頭に来た。やっていいことと悪いことがある。まず勝手に触っていいものじゃない。さすがにこれは許せない。
「あのおっさん探すよ!!」
私の剣幕に、吾朗は訳も分からず「お、う……」と返した。隠し撮りをしているとしたら、まだこの近くにいる筈。待ち伏せしてたのかずっと撮影してたのか。結構速いペースで歩いてきたから、もし待ち伏せでないなら私達の後ろから付いてきていたのかもしれない。ネタばらしをしに来るわけでもないようなので、こちらから出迎えなきゃ。そう思って来た道をずんずんと戻っていった。
「あ、あれ?」
するとすぐ近くに、大きな屋敷があった。道を間違えたのだろうか。いや、でもこんな大きな屋敷、近くを通っていなくても気付くような。この辺りは道も狭く両脇に木々が茂っていて、こんな開けた感じではなかった筈。この道をもう少し行ったところに、むげん? むえん? きっこうべとかいうお墓があった筈。どうしてこんなところに屋敷が。
「おい、道間違えてんぞ」
吾朗が何も考えずにそうツッコんだけど、そもそもお墓から桐の祠まで分かれ道があった覚えもなかった。しかしまだ夜が明けるぎりぎり前なので、手元の懐中電灯だけでは暗くて見逃したのかもしれない。そう思い私は吾朗と共に道を引き返した。空が紺、青、水色とグラデーションを描いていて、端から少しずつ明るくなっていたために最初は気付かなかったけど、ふと回りを見ると、何故か電灯が見当たらなかった。来た時はぽつんぽつんと視界に入ったのに。これは本格的に道を誤ったのかもしれないな、と思った。
「うーん、どこで間違えたんだろうね……」
私は道に迷ったのかもしれないと思い、少し焦りを感じた。さすがに亥馬岳みたいな低い山で遭難することはないと思うけど、家に嘘をついて来ているという引け目もあって、何となく胸がちくちくした。そんな時、視界の上端から細長い棒のようなものがぽとりと足元に落ちた。木の枝かと思い目をやると、それはカサカサと動き出した。
「いや! 虫!」
私は大きく飛び退くと、背中で吾朗のお腹に勢い良くタックルしてしまった。吾朗はびくともしなかったが、私が先程までいた足元を見ると、少し驚きのこもった声を上げた。
「ナナフシ? 本物初めて見たな。こんなところにいるんだ」
私は虫のことはさっぱりだったけど、確かに見たことがない形だった。虫が極端に嫌いというわけではないんだけど、さすがにあの大きさはちょっと反則だと思った。
「あ、夜が明けちまうな」
吾朗がそう言うと、私も何となしに目を向けた。遠くの方で空が絵の具をこぼしたように色を変えていった。少し眠気の混ざった顔でぼんやり夜明けを眺めながら欠伸を噛み殺していると、隣で、静かに、震えたような声で吾朗が呟くのが聞こえた。
「どこだよここ……何でいきなり……」
日の光で照らし出された亥馬岳の麓は、まさに見渡す限り森林であった。亥馬岳を囲むようにして栄える私達の街、亥馬野が、一晩のうちに見る影もなくなっていた。この時初めて、自分たちの置かれている状況がまともでないことに気付いた。私は、私は、、、
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