赤ちゃんが、生まれるその裏で
ハヤシ・ツカサ
覆された「コウノトリ」伝説
「タカシ。私…、できちゃったみたいなんだけど」
「え?…マ、マジ?ごめん。俺、ユカの父親になる自信ない。まだ高2だし」
「ハァ?タカシ、私のこと、そんな風に思ってたの?」
「ごめん。ユカのお母さんには内緒にしてて。中絶費用、何とかすっから…」
ここは、天国の中に位置する「神様の国」。人間の新たな生命は、必ずここを経由し、臨終の後もここに集まり、また、新たな生命となる。言わば、生命の橋渡し的役割を担う秘密の機関とでも言えるシークレット・スペースだ。
日本人担当の職員、国神は、中絶された命を再生できる1年間の研修を終え、某県の専属となった。
今日もまた、不倫、未婚、未成年同士、そして一夜のアバンチュールの結果、望まざる、と勝手に判断された「命」が地上で失われていく。虚しい現実が書かれたデータが毎日、国神の元に渡される。
「神様の国」の元には、不幸にも中絶された「命」が、国外不出の「ライフ・ボックス」にいったん、ストックされる。当然ながら全員、赤ん坊である。本来なら、どこかの誰かの母親の元で育てられる筈の皆、尊い生命。その光景は、さながらどこにでもあるような産婦人科の一室、とでもいえようか。
「国神さ~ん!この県の若者って『避妊』、って言葉、知らないんですかね~、全く!あたしだって未婚の乙女なんだから、毎日毎日、赤ちゃんのお世話、正直、キッツイんですけど」
まもなく三十路を迎える専属職員ベビーシッターのアキコが、左手にガラガラ、右手に哺乳瓶を持ちながら愚痴をこぼしている。
「悪いよなあ、アキコ。でもな、一応、仕事なんだから…。お前が結婚して出産するときの参考にすればいいじゃんかよ」
国神のもうひとつの仕事は、専用のパスワードでその都道府県の婚姻データを調べ、きちんと結婚した夫婦の元にそれらの赤ん坊を配置すること。
日本では少子化が叫ばれる昨今だが、国神の担当県は昔から工業地帯が多く、雇用情勢も悪くないことから婚姻率も高く、けっこう忙しいのだ。
国神は、国神以外誰も知らない特殊な方法で、赤ん坊をひとりづつを女性の体内に送り込み、妊娠状態にさせる。男の子が欲しそうな夫婦には男の子、双子に憧れる夫婦には望み通り、二人の赤ん坊をさばくことになる。妊娠検査薬の結果や産婦人科からの報告を聞いたときの、女性が母親に、そして男性が父親になる瞬間の笑顔を俯瞰で見るときが、国神やアキコらスタッフの、最も苦労が報われる瞬間なのだ。
「国神さ~ん!この子、なんか変なんです~。まだ8ヶ月なのに、もう一人前に独り言、喋っているの…。次の夫婦んところに、彼を配置してあげてくれます?」
「え?本当?そいつさあ、すげえ遺伝子持って生まれてきたんじゃねぇの?」
「そうかも知れないのよね~。こんな天才を中絶させちゃうなんて、もったいないわ」
「なんて言って愚痴ったりしてんの?」
「それがね、『もっとミルクの味付け濃くしてよ』とか、『おネエちゃんの乳首から直接、栄養欲しい』とか、例えて言うなら、小学生の超・生意気バージョン?他の赤ちゃんは普通にギャーギャー騒ぐのに、こいつだけそんなこと言っちゃってるの」
「よし。明々後日の…、じゃ、ここの夫婦の5人目に、そいつを配置しちゃおうか。ちょうど、男の子欲しがってるみたいだし」
アキコが、心底ホッとしたような表情で呟いた。
「あ~、いいですね!早く配置してあげてくださいよ。あいつのお世話、もうしたくないっつーの…」
彼は、100万人にひとりの、誕生の瞬間に突然変異で15歳並みの意思を持って生まれてきた赤ん坊だった。とはいえ、外観は当然、どこにでもいそうな普通の赤ん坊のまま。一応、自分と同じ年格好の周囲を見ながら赤ん坊のフリをしているのも、彼にとっては大変苦痛なことである。
「この離乳食、まっじーんだよ!あのアキコって女、30前の行き遅れだってな?こんな仕事に就いたばっかりに、毎日赤ん坊の世話も正直、イヤだろ」
その月の19日に中絶された一人目ということで、彼のコードネームは「19-1」。
「19-1」の旅立ちの日が、日に日に迫って来ている。
「こいつさあ、こいつの父親になる筈だった予定の男、けっこういいところのボンボンだったらしいってよ」
正午を少し過ぎた昼休み。乙女とはほど遠い、大口を開けサンドイッチをかじりながらのアキコに「19-1」の出生データを見ながら、国神が話しかけた。
「で、なんで中絶なんかしちゃったんスかね?」
「ん?愛がなかったんだろ。しかもまだ未成年、ってのもな…。ボンボンってのはたいてい『ヘソから下は我儘だから人格がなくなる』って言うだろ」
国神が、インスタントラーメンのスープを一気に飲み干した。
「きっと、あれ、っスよね。なんでもかんでもお金で解決できる、って思っちゃってるから、どうせ、女を捕まえてはヤリたい放題、ってクチじゃないスか?」
サンドイッチの包み紙をごみ箱に投げ捨てるアキコ。「19-1」の担当になってストレスが増大したのか、昨日は命中したのに今日はコントロールが狂った。
「お前さあ、ガキの面倒見始めてから、なんか口調がおかしくなってねぇか?普通、あんな仕事してたらさ、内面から女っぽくなってもいいと思うんだけどな」
国神が呆れながらアキコに忠告した。
「国神さん。あたしだって出会いを求めてるの!人妻になりたいの!こう見えても苦労してるんだけど!毎日毎日、赤ちゃんのご機嫌取ったり、おむつばっかり変えてたら、いくらなんでも超ストレス溜まるんだから!」
国神がスマートフォンのスケジュールページを開いた。
「あのさ、お前、今度の金曜、有給取っていいよ。トモコさん、シフト入れ替え効くだろ、たぶん。男探しに行けよ、アキコ」
「マジっスか?」
アキコが数ヶ月振りの満面の笑みを浮かべた。
「ああ。トモコさんは産婆歴20年のベテランだから。俺がなんとか、話、つけるよ」
「19-1」の旅立ちの日が、3日後の午後に決定した。国神らの会話を盗み聞きした「19-1」は、会話の内容から配置先がかなり貧乏らしいことを知った。
「マジかよ…。俺、ちゃんと育てて貰えるのかな…」
不安に駆られる「19-1」。隣の赤ん坊が泣き始めた。「19-1」も、たまらず大泣きしてみた。
「母ちゃん!男の子だとええなぁ!もうすぐだから、頑張ってくれよ」
41歳の父親、サトシは、5人目の出産を迎える妻を産婦人科の病室で、懸命に励ましていた。頬はこけ、父親の代から続くちっぽけな建設会社の二代目ではあるが、昨今の公共工事の激減で経営は芳しくない。でも、誰よりも子供を、家族を愛する近所でも評判の超が付く、マイホーム・パパである。
「あなた…、やっと、あなたの跡取り息子ができるのね…。私、嬉しいけどなんだか、怖い」
妻・ヨーコは、四姉妹を抱える肝っ玉母ちゃんだ。「男の子が欲しい」その執念だけで頑張った成果がまもなくあらわれる。
病室の一角で、仲良くヨーコの世話をする四姉妹。四女はまだ、小学生になったばかりで、右も左もわからない。姉たちの後をくっついて歩くだけだ。自分に弟ができる実感は恐らく、ない。
「神様の国」では、「19-1」との別れの日のための準備が行われていた。見た目はごく普通の赤ん坊なのに、毎日生意気な口をきく「19-1」とも今日が最後か、と思うと、アキコは心の中に何かがこみ上げてくるのを感じていた。
「ネエさん…、俺の行くところ、お金持ち?普通のところ?」
いつの間にかアキコのことを「ネエさん」と呼ぶ「19-1」。生意気にもほどがある。
「それは、私の口からは何にも言えないの。このことは、秘密なの」
「秘密、なんだ。他の赤ん坊も、みんな口、聞けないからな。仮に教えたとしても、理解できないまま、妊婦さんの体の中に入るんだってな」
「そうよ。でも、いくらアンタが喋れたとしても、新しい命になった瞬間、全部、記憶がリセットされるの。ここでの記憶が少し、残ってたとしても、全て消されるの。だから、アンタがいくら生意気でも、ちゃんとかわいい赤ちゃんになって生まれるから、心配しないで」
「そうなんだ…。でも、俺、ネエさんたちの会話、聞いちゃったんだ」
最後のおむつを替えたアキコの手が、一瞬、止まった。
「何を?何を聞いたの?」
「俺の行くところ、5人目の子供になるんだろ。俺が、赤ん坊のくせに生意気だから、ここに送っちまえ、って、国神さんと話し合ってたんだよね」
「だけど…、アンタは…、アンタはここにいるより幸せになれるのよ。アンタ、4人もお姉ちゃんのいるところに行くのよ。そこの、長男になるの。貧乏だろうけど、絆があるの。アンタは10年後…、いや、6年後くらいに実感すると思うわよ」
「ネエさん…。キズナ、って、どういう意味?」
「19-1」の突然の質問に、いつの間にか頬を伝わる涙に気付いたアキコの代わりに、国神が答えた。
「俺な、ひとりっ子なんだよ。だから、血の繋がった兄弟が欲しかったんだ。お前みたいな、生意気だけどなんか憎めない弟がいたら、兄弟の絆も、深まってただろうな」
自分の涙に気付いたアキコ。だけど、いつものように「19-1」の体を拭き終えると、「19-1」の僅かな髪の毛を右手で数回、整えてあげた。
「アンタは、生まれて5回は泣くと思う。一度目は生まれてきたとき。そして、4人のお姉さんが嫁ぐときに1回づつ、ね。そのとき、私と国神さんが言ってた意味がわかると思う」
「赤ちゃんらしくしてるんだぞ!今度こそ、幸せになれよ」
今にも貰い泣きしそうな国神が、せっかく整えられた「19-1」の髪の毛を乱すように、頭を撫でた。アキコの顔は、涙で化粧が落ちかけている。
「国神さん、アキコさん。今までありがとう。俺、幸せになるよ」
「19-1」の、最初で最後の感謝の言葉だった。アキコは、その場に泣き崩れた。
ヨーコの陣痛が激しくなった。4人の女の子とサトシ、そしてヨーコの母親が、初の長男となる「19-1」との出会いを、今か今かと手を取り合い、待っている。
「神様の国」では、「19-1」との別れの時刻の5分前に、別室にある金色のテーブルに「19-1」を静かに載せた。担当スタッフ全員が、彼を静かに見守る。
「今度は、幸せになってください。さようなら」
全員で、黙祷。時間にして、およそ10秒。ここまでが、儀式だ。
全員が部屋の外に出た。国神が静かに、部屋の電灯スイッチを切った。
すると、地上のヨーコの陣痛が、5秒だけ、止まった。
「19-1」は、ボブスレーの如く、それはそれは凄まじい速度で、ヨーコの真っ暗な産道まで一気に辿り着いた。
「うわ~!真っ暗だよ!アキコさん!国神さん!怖いよ!イヤだよ!イヤだ~!!俺はもっと、金持ちの家に生まれて、一生、遊んで暮らしてぇよ~!、苦労するの、イヤだよぉぉ…」
15時39分。ヨーコの横たわる分娩室に、ひときわ大きな産声が響き渡った。
「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
ヨーコは、うっすらと涙を浮かべていた。
この瞬間、「19-1」は「19-1」でなくなった。
国神やアキコら「神様の国」スタッフとの記憶は、完全にリセットされた。
「19-1」の父親になったサトシも、泣いた。四姉妹と、5人目の孫を見たサトシの母親も、つられて大泣きした。
どこにでもある、ごく普通の、産婦人科の一室での光景。
すずめとカラスの泣き声がこだまする、どこにでもある、初夏のある日のワン・シーンである。
赤ちゃんが、生まれるその裏で ハヤシ・ツカサ @tsukasahayashi
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