第25話 兄の悩み
放課後になって解放された生徒達の雑談で賑やかになった教室。
そこでリティシアのことを気にしながら立ち上がろうとした光輝のところに希美がやってきた。
「お兄ちゃん、転校生が来たんだってー」
相変わらず上級生の教室でも気にせずに入ってきて、明るい顔をしてはきはきと訊ねてくる妹。長い一日の授業の終わった直後なのに元気な人だった。
「ああ、お前もよく知ってる奴だ」
「リティシアでーす」
近づいてきて彼女が自分から挨拶する。もう一人の妹も元気だ。
希美はびっくりした顔をして、孫にも衣装というほどでもない可愛いリティシアを見た。
「おお、学校の制服似合ってるー」
ひとしきり彼女の姿を頭からつま先まで見て、後ろにも回り込むようにして見て、少し服を引っ張ったりもして、満足したように腕を組んで頷いてから、希美は再び何かにびっくりしたかのように口を開けた。
「って、お兄ちゃんと同じクラスということは、リティシアちゃんって、あたしより年上だったの!?」
「そうみたいだねー」
光輝としてはそう答えるしかない。同じクラスならそうなるだろうなと。
希美はさらに畳みかけるように続けてくる。
「しかも、お兄ちゃんと同い年」
「そうみたいだねー」
「妹なのに」
「だねー」
このまま詳しく突っ込まれるとまた前世だとか闇の世界の話に飛びかねない。
それは嫌なので、光輝は誤魔化すように目線を逸らした。
その方向に郁子がいた。
彼女は黙々と自分の席に座ったまま教科書とノートを整理して纏めていた。
自分も同じように黙々としていたいと思っていた光輝のところに、郁子と同じ闇のハンターである翔介が話しかけてきた。
俳優だと言っても信じてしまえるような爽やかなイケメンだ。さすがの希美もちょっと目を丸くして息を吐いていた。
彼は優しい甘さを感じさせる声で言った。
「君が郁子を助けてくれた少年だね」
「はい」
彼の真摯で意思の真っ直ぐな視線に光輝は少し緊張してしまう。敵意は無いが強さは感じていた。
「たいそうな働きだったようだ。あのことも話しておいた方がいいか」
「お兄様」
隣の席で郁子が立ち上がった。
兄妹の間で無言のアイコンタクトが行われる。何かが伝わったのか翔介はうなずいた。
「別に何かを無理強いする話ではない。ただ彼もあながち無関係でも無いので我々の事情を少し知っておいて欲しいと思ったのだ」
「事情?」
光輝は訊ねる。
「この人って……?」
「ああ」
自己紹介を聞いていない希美は知らなかったのだろう。小声で訊いてくる希美に光輝は教えてやった。
「凛堂さんのお兄さんだよ」
「凛堂翔介です。はじめまして」
「はじめまして」
緊張しながら彼と握手と交わす希美。光輝は少し面白くないと思いながら、こちらも紹介した。
「妹の希美です」
「時坂希美です。よろしくお願いします」
「よく出来た妹さんだ」
翔介は余裕のある大人の笑みで答えていた。
隣をそっと伺うと郁子が少しムッとした顔をしていた。自分があまり出来ていない妹だと思ったのかもしれない。
光輝は溜飲を下げつつ、内心で彼女に頑張れとエールを送った。
翔介は何も気にせず話を始めた。
「では、こちらの話をしておこうか」
「それって、あたしも聞いていいんでしょうか」
「構わないよ。ぜひ」
希美に答え、翔介は話を続けた。
「我々はハンターだ。闇の者と戦うことを仕事としていることは君も知っての通りだろう」
「はい」
確かにそれぐらいのことは郁子から聞いていた。
郁子は自分が闇の者と戦うハンターだと言っていたし、連絡する相手がいた。
翔介の話は続く。
「最近、闇の世界の動きが活発になっているようなのだ。情報では闇の竜が討伐されたらしい」
「へえ」
後ろでは今日の飼育当番の生徒が「ドラきちに餌を上げに行こうよ」「うん」とか言っている。
竜はクラスのみんなの間ではドラきちと呼ばれていた。
どこまで情報を知っているのか、翔介の真面目な話は続く。
「我々はこう考えているのだ。ついにリティシアが闇の女王の座について動き出したのかもしれないと。彼女の腹心のゼネルは野心家だ。この動きには気を付けないといけない」
「あたし何もしてへんけど」
リティシアは不思議そうに小首を傾げる。郁子は下を向いて黙ったままで、光輝はどう反応していいか迷った。
翔介は純粋な少女の言葉に大人びた笑みを浮かべて返答した。
「そう言えば、あなたの名前もリティシアと言ったか。同じ名前なのには驚いたが、俺の言っているのは闇の王の妹のことなのだ」
「だからあたしが闇の王の妹なんやけど」
「え?」
翔介の大人びた笑みが凍り付いた。リティシアは調子付いた。
「王の妹のリティシアやけど」
「え?」
「で、こっちがお兄ちゃんの闇の王やけど」
「え?」
「どうも、闇の王っす」
光輝は焦りながら挨拶した。剣を向けられたらどうしようと思ったが、幸いにも彼の矛先は郁子に向いた。素敵な笑顔で訊ねる。
「郁子、本部に情報は上げたかね?」
その威圧感と迫力に郁子はびっくりして顔を上げた。
「いや、だって、脅威じゃ無かったし」
「闇の王がいるんだぞ!」
「だって、光輝君とリティシアちゃんだし」
「む」
「どうも」
探るような視線を向けられて光輝は苦笑いするしかない。郁子は本部に連絡は上げていたが、闇の王のことまでは知らせていなかったようだ。
それは彼女なりの気づかいだったのかもしれない。光輝はありがたく思いながら頭を下げた。
郁子もちょっと笑みを見せて答えてくれた。
翔介は矛を収めた。その手が郁子の肩を掴んだ。
「郁子、ちょっと話をしようか」
「う……うん」
そうして郁子は根堀り葉掘りと話を聞きだされていったのだった。
数分後、そこには頭を抱えた兄の姿があった。
「王と姫が同じクラスにいたとは……」
「お兄様、知ってて来たんじゃ……」
「俺はエスパーかよ!」
翔介はどんと机を叩いた。さすがの彼でも精神に来る物があったらしい。
「お前が久しぶりに通信を寄越したと聞いたから来たんだ。何かあったんじゃないかと思ってな。そしたらご覧のありさまだよ!」
「何かごめん」
光輝は代わりにあやまってしまった。翔介は怒りを収めた。
「まあいい。王と姫がいるということは何かが起こる前触れかもしれない。様子を見させてもらう」
「そのために転校を?」
「関係者以外は立ち入り禁止だと言われたから仕方無かったんだ」
どうやら彼もなかなか思い切った性格のようだった。さすがは郁子の兄だと光輝は納得した。
翔介は窓から外を見た。放課後の校庭では飼育小屋から出された竜がサッカー部に混じって運動をしていた。
「竜がいるな。闇の竜ダークラーとはもっと恐ろしい存在なのだろうなあ」
あれがそのダークラーなんだけど、とはとても言えそうに無い雰囲気だった。
その頃、竜のいなくなった魔界の山で、動く人の姿があった。
主であるドラゴンが去ったことでその魔力に惹かれて集まっていた魔物達は解散し、目的を成し遂げた光輝の国の悪魔達も帰還したので辺りは静かになっている。
険しく何も無い荒れた山岳地帯だ。用事や求める物が無ければ誰もこの場所を訪れはしないだろう。
そんな場所に現れた彼らは、みんな一様に白いローブを纏った魔道士の恰好をしていた。
「竜がいなくなっているな」
先頭を歩く背の高いリーダー格の男が静かに呟く。
足で蹴った石ころが小さな音を立てて転がって、その先にいた小さなトカゲのような魔物が慌てたように逃げ出した。
とるに足りない物と彼は見る。強い者はもうここにはいないようだと。
魔法で調査を行っていた部下の魔道士が傍に来て、彼に報告を行った。
「魔力の痕跡が残っています。ここで戦いがあったようです」
「そうか。我らより早くあの邪竜を退治した者がいるのか」
男は冷めた言葉で呟く。
鋭い視線を向けてみても、竜を倒した者が見えるわけでもない。
男は再び周囲を眺める。
「それにしては竜の死体が無いのはどういうことだ? まあ、どうでもよいことか」
魔道士の国から南へ抜けるにはこの山道を通るしかない。
男にとっては竜はただ通り道を塞いでいた邪魔な存在であっただけだ。目標とする相手では無い。
邪魔な障害物を排除したのが誰かは気になったが、今は本題に意識を戻すことにする。
彼の視線が南を見る。光輝の支配する領土を。
荒野の向こうに城が見えた。
「では、神の天命を果たすとしよう。あそこに我らを待つ者がいるはずだ」
男は僅かに怪しい笑みを浮かべ、進軍を再開した。
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