佐賀国大統領の願い事
柳佐 凪
それ、願ったのと違うんだけどさ
『内閣総理大臣、
『はい』
テレビの中では、スラッとしたスマートなおじさんが、名前を呼ばれて歩きだした。
『ついに、この日が来ました。古い日本が死に、新しい日本に生まれ変わる……。私は、新しく首相を務めます、飯盛一郎と申します――』
テレビの前では、理沙が父の晴れ姿を笑顔で見つめている。
「こんなに早く、『お父さんを総理大臣に』って願い事が叶うなんて、さすが神様ね。本当にありがとう」
と言って、長い黒髪を揺らす。
二千年もの間、この土地の人間達を見守ってきた僕でさえ見とれてしまう。いつの間に、こんなに魅力的になったのだろう。まったく、人間の成長には目を見張る。
今、首相になった飯盛首相の娘、
でも、ちょっと危なっかしいのがたまに傷。
「あのさ、理沙ちゃん、お父さんが総理大臣になったのはおめでとう、いや、ホントに……でもさ、あなたの願い事、コレじゃないって話、もうしたよね?」
「え? ええっ? そうだっけ? 私の願い事って何だった?」
ほらね、自分の願い事には興味がないなんて、どうかしている。まったく叶えがいがない。こんなことだから目が離せないというか、ほっとけない。
彼女は間違いなく母親ゆずりの端正なスレンダー美人だし、気心も優しくて、今では立派なお嬢さんに成長したけれど、そんな事で優遇しているわけじゃない。
危なっかしいから見ていられない……けれど、目が離せない。つまりは、見ていたいと思わせる人間だ。
最近、彼女を見ていて思うことがある。
人間が守護霊と呼ぶ神達が、一体、何を考えているのか、僕にはよくわからなかった。何が悲しくて、生きている人間に付いて回らなければならないのだろうかと思っていた。行きたいところに行けばいいのにと……だけれど、理沙の願い事を聞いてから、ちょっとその気持ちが分かった気がする。
付いて回らなければならないんじゃなくて、ただ、見ていたいと思っただけなんじゃないかとね。
「あのさ、理沙ちゃんの願い事を、なぜ叶えてあげる事になったか……とか、覚えてる?」
「あ、それね! 覚えているに決まってるじゃない! 神様が私が着替えているときに家に勝手に入ってきてさ、急に、願いを叶えようって……」
「言い方! 言い方に気を付けて! そういう事じゃなかったよね? それだけ聞いたら、僕が変質者みたいに聞こえるよね? ちょっとさ……思い出してみようよ。君の願い事がどうやって始まったのか……」
◇
あの願い事を叶えるきっかけとなった、あの日の出会いを思い出して欲しい。
まだ、高校生だったあなたは、あの日、どんなことを思いながら、あの小道を歩いていたんでしたっけね……。
◇
私は、この小道の静けさが好きだ。
父親からは、人通りの少ないこの小道を通らず、少し離れた大通りを歩くようにと、口酸っぱく言われていた。もちろん、薄暗くなったら言われたようにしていたけれど、今日は部活が休みだから、久しぶりに早く帰る事が出来たので、この小道を選んだ。
少し冷たく、しんとした空気。時折、風が吹いて竹の葉をこする音が、ざわざわと騒ぐ。両脇の民家と竹林から、竹が頭を垂れる稲穂の様に覆いかぶさって、まるで、空から見えない様に、この小道を隠しているようだ。
竹林のトンネルの中、敷き詰められたとは言い難い、もうしわけ程度の石畳にコツコツと音をたてながら、姿勢を正して歩き出した。足音に合わせて小気味良く、短いチェックのスカートが跳ねる。
この小道を歩いていると、とても懐かしい気持ちになる。しかし、ぼんやりとした記憶は、あと、もう少しで映像になりそうなのに、途中で掻き消えてしまう。幼い頃の、母との思い出が浮かびそうになり、しかし、消えて行く……。
また風が吹いた。小道の奥の方から、ざわざわと葉をこする音が、急に加速しながら近付いて来たかと思うと、さっきよりも強い突風が通り過ぎ、後ろで一つに束ねた私の髪をなびかせた。
私は、広がったスカートを押さえて、その場にしゃがみ込んだ。
誰もいないはずだが、周りの様子を伺った。突風が過ぎ去った後には、何事も無かったかのように、さわさわと心地よい風が吹いているだけだった。
――大丈夫だ、誰もいない。
周りには誰もいなかった。ほっとして立ち上がろうとした時、ふっと、近くにあった石の塊に視線を奪われた。
――小さな頃から何度も通った事のある小道に、今まで気が付かなかった物があるなんて……。
小道の脇に、小さな祠があった。正確には、祠だと気が付くまでには、しばらく時間が必要だったのだが、それほど古ぼけた、石の集まりと言った方が良いものだった。
とは言っても、今日の今日まで気が付けなかったのが信じられない程の存在感を放っていた。
私は、風に乱された長い髪を直しながら、恐る恐る祠に近付いた。石で作られた祠は、あちらこちらにヒビが入り、苔で覆われている。まさか今日や昨日に作られたものではなく、作られてから百年や二百年は経っているだろう。泥や枯葉がこびり付いていて、数年は手付かずと言った
風がおさまった。押さえたスカートから手を離し、祠の泥を右手で払った。
「
風化しているが、そう読めた。
「願い事を聞いてくれるのかな?」
そんな事を考えながら、私は自然と祠の掃除を始めていた。素手で泥や埃を取り除くと、風化していながらも、大願成就の文字が、はっきりと読めるようになった。
掃除をしていると、今は亡くしてしまったが、きれい好きだった母を思い出す。母の気質を受け継いだ私にとって、この祠は格好の獲物だ。
素手では
竹の小枝を竹串のようにして、こびりついた泥を、少しずつ、丁寧に落として行った。まるで、テレビで見た事のある、考古学者の発掘作業の様だなと思い、ニヤニヤしながら作業に没頭していった。
どれぐらい経っただろうか、日も傾きはじめ、あらかた掃除が終わると、祠の印象も随分変わってきた。古びた石の塊から、神聖な物へと姿を変えた。
「おお!」
私は大層に満足して、もっとじっくり鑑賞しようと、祠から少し離れて眺めてみた。良い……かなり良い感じだ。
自分の掃除によって、この祠が元来持っていた美しさを引き出す事ができたのだと感じ、自らの手柄に酔いしれた。
今度は、祠に向かって足をすりながら小走りに駆け寄ると、細部をつぶさに観察した。多少、行き届いていなかったところを、竹串でこすりつつ、作品の完成を楽しんだ。
改めて見ると、祠の正面の平たい石が、実は扉であった事に気が付いた。そして、その扉は少し開いていて、扉の奥には何か小さな姿をしたものが覗いていた。
「神様――なのかな?」
体を屈めて中を見た。地面から三十センチほどしかない小さな祠なので、かなり頭を低くする必要があった。左手で地面を支えて体を倒す。
まとめた髪が地面に垂れてしまった。髪を伸ばしているとこういう時に不便だ。髪にかまわず、窮屈な姿勢でやっと奥の方が見えたかどうかと言う時だ。
背後に気配を感じた。
――背中は鳥肌全開だ。いったい何だろう? 確かに何かがそこにいる。
私は、しばらく、怖くて後ろを振り向けなかった。
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