第53話 永久凍結山

 石の中に埋まりかけた部屋は元に戻ってしまった。残っているのはガリュウに破壊された魔石の破片とミミカが眠らされていた水晶が乗っていた台座だけだ。


 ガリュウの怒りの顔は消え、再び笑みが浮かんでいる。すぐに襲ってくるわけでもなく、こちらの出方をただ待っている。さあ、次は何をしてくれるんだ? 何をして俺を楽しませてくれるんだ? さあ、勇者になれない君がいったい何をしてくれるんだい? そう心の中で嘲笑(あざわら)っているようだった。


 無機質な部屋に魔石の黒い破片と溶けた水晶が凝固してできた結晶が、何も知らないままただ機械的に光を反射している。全面を石の壁に囲まれた無機質な地下室は、外からの音を運んでこない。ここは外界と隔離されているようだった。もうこの世界にはガリュウと俺とミミカの三人しか残っていないような錯覚を覚える。


 それほど狭くはない地下室が、急に狭く感じる。俺は少しでもガリュウから離れようと後ずさりした。


 封じ込めることも許さない。攻撃も受け付けない。世界に君臨する者の圧倒的な強さ、フィーネが角うさぎの首をひねって殺した時の、あの強者と弱者の関係と同じような。


 小説の中で勇者が魔王を倒す。そんなシーンを何度も読んできた。しかしそんな魔王は偽物だと今なら分かる。本物の魔王は圧倒的なのだ。倒せる希望などそこにはない。弱者が強者を倒すなんて土台無理な話だ。魔王が与えるのは絶望、それだけだ。倒せないからこその魔王なんだ。


 ガリュウから遠ざかるように後ずさりしていた俺はつまずいて尻餅をついた。低い位置からガリュウを見上げる。ミミカが俺の肩に手を置く。諦めたような声で「もういいよ」と呟いた。


 手段がない。なさ過ぎる。手がまったくない。


 フィーネの力を借りた魔剣も消え去った。ガリュウの動きを止める魔法もスキルも残っていない。


 もう何も残っていない。俺にもミミカにもガリュウを倒すすべは残っていなかった。


 誰かが助けにこないのか? こんなとき誰かが助けに来てくれるんじゃないのか? 墓地の地下で餓死しそうになった時もフィーネが助けに来てくれた。今回もフィーネが助けに来てくれるんじゃないのか。エミリスさんは、エアリアス王国の騎士団が助けに来てくれたりはしないのか。カルニバスは、ドリルは助けに来てくれないのか。皇帝は、エラント皇帝はやはり俺達を見捨てるのか……。俺達を犠牲にしてガリュウを倒すつもりだったのか? 犠牲にすらならないというのに。無駄死にだというのに。誰か、誰か助けに来てくれないか……。フィーネ、エミリスさん、カルニバス、ドリル……。


 すがるように地下室の扉に目を向ける。一瞬の混乱、そのあと目はそこに釘付けになった。ない。あるはずのものがなかった。


 そこには扉がなかった。


 俺の視線につられてガリュウとミミカも地下室のかつて扉があった場所を見やる。


 そこは石壁だった。


 どういうことだ? 扉がない? 確かにその扉からこの地下室へと入ってきた。ミミカを逃がすことはできないかと考え、さっきあの扉を目にした。ほんの僅か前まで確かにそこにあった。そう、魔石から溶けた石が噴出するその直前までは。


「ふ、ふはははは。あははははは」


 ガリュウが高らかに笑い出した。


「やるな。やるな、エラントよ。こんな仕掛けを施していたとはな」


 ガリュウは【グローバル・ポジショニング・パーセプション(位置情報認知)】のスキルを発動させた。ぶつぶつと何かを呟く。そうか、こんな場所に連れてこられたのか、そんな感じのことを呟いている。


「ここは極北の地、永久凍結山の奥深くだ。この部屋ごと永久凍結山に埋められている」


「え……。ここはエル・ゴビアス帝国城の地下室じゃ……。城の地下室だろ……」


「最初からここに部屋を作っておいたんだろうよ。いや、違うな……。この部屋は遥か昔に作られている。どうりでかび臭いと思ったよ。おそらく凍結された山の中にあった遺跡か何かなんだろう。都合よく一部屋だけ残っていて凍結されていた、そんなところか。エラントは異界の書を持っている。だから知り得たのだろうな」


 ガリュウが言うにはこの国の極北に永久凍結山という巨大な氷の山がある。その山はこの世界の三分の一もの面積を占め、魔法により冷やされて固められた氷の山は溶け出すことはない。かつてそこに栄えていた国があった。だがその国は神の怒りに触れ、まさに「神の雷槌」により国ごと凍結処理されたという伝説が残る。


「まさか、こんなことになるとはな。エラントは城の地下とこの場所を魔法により接続したんだ。その通路となるのが、さっきまでそこにあった扉だ」


 扉のあった場所を指しながらガリュウはおどけるような口調に変わった。


「それをほら、俺が魔法を喰っちまっただろ。それで城の地下へとつながる通路が消失してしまったというわけさ。奴は俺が魔法を打ち消すことを読んでいた。最初からエラントはこれを想定していたのかもな。とんだ食わせ物だ」


 それでも余裕の口調を変えないガリュウに俺は問いかける。


「お前はスキルで出られるんだろ? 俺とミミカはここに閉じ込められるんだろうが」


「『神の雷槌』により凍結されたと言っただろう。一千万ダメージなんか軽く超えてくる化物の手によるものだよ。どんなスキルも魔法も意味を成さない。国ごと凍らせるんだ。そのダメージ数は数億とも数兆とも推定される。よもやダメージなどというレベルではない。ここから脱出する手段はあるかもしれんし、ないかもしれん。俺とてここから出ることは難儀だ。もしかしたら出られないかもしれない」


 平静を装っているようだが、ガリュウの顔に焦りの色が浮かんだ気がした。


「ふざけやがってエラントめ」


 ガリュウは悔しそうに悪態をついた。俺はガリュウに疑問を投げかける。


「だが、エラント皇帝がここと城を繋いだっていうのなら、脱出する方法が何かあるはず」


「ああ、あるはずだな。奴は異界の書を持っている。それで知識を得たのだろう。つまり異界の書が『今』、『ここ』にあれば解決するな」


 ガリュウですら手こずる手段で閉じ込められた。もうこうなっては戦闘どころではないんじゃないだろうか。横で立ち尽くすミミカも言葉がない。


「なら……休戦に……するか?」


 おそるおそる切り出した俺の提案にガリュウは首を傾げる。


「なぜ?」


「いや、なぜって……お前も困っているんだろ? ならここは……」


 この戦闘に勝利してもここから抜け出すことはできない。なら殺しあうだけ無駄なことなんじゃないか、そう常識的に考えたのだが。


「休戦とは、対等に戦闘をしていた者同士、で結ぶ協定のことを言うのだが?」


 氷のような冷たい言葉をガリュウは吐いた。ガリュウのこの言葉もちょっと聞くと正しいことのように聞こえた。だが彼はそんな正しいなんて思える思考を持っていなかった。


「お前らをいつ殺すかは常に俺のさじ加減で決まる。決めた、今この場でどちらか一人を殺す。男を殺して女をもてあそぶのもいいな。ここから抜け出せなくても、遊ぶおもちゃが与えられていれば退屈はしない」


 ガリュウが赤い舌を出し、ずるっと音をさせて唇を一周する。それを見て、横のミミカが俺の肩を強く掴んだ。


「それとも女を殺す方がいいか。男の目の前で女を殺して絶望した顔を眺めるのもいい。どちらもいいな、これは迷うぞ」


 さあ、ゲームの続きを始めようか、静かにガリュウは口を開いた。

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