第40話 奴隷馬車

 がたがたと振動が体に伝わる。首が痛い。俺は今どこにいるんだろう。


 ここは薄暗い。


 周りを見回した。狭い場所に人がたくさんいる。だが皆、うつろな目をしている。瞳に輝きがなく絶望が溢れていた。何人かはぶるぶると震えて怯えている様子だった。だれも一言も発しない。


 体が擦れ合うほどの距離に十人以上がひしめき合う。ぼろぼろな衣服を身にまとい、中には上半身が裸の者もいる。一人残らず首輪をつけている。首輪からは鎖が伸び、それを二体のゴブリンがまとめて手にしている。中央には睨みをきかせるゴブリンが一体。


 俺は自分の首に手を触れた。首輪がある。服はところどころ破れて穴が開いている。


 そうだ、ミミカ、ミミカはどうなったんだ?


 あたりを見回すがミミカの姿はない。ミミカには【スイートスメル+】のスキルを使っていなかった。俺にはミミカの存在を確認する方法も、生存を確認する方法もなかった。


 がたがたとした振動はずっと続いている。


 周りは幌のようなもので囲まれていた。馬の蹄のような音がする。どうやら馬車のようなものに乗って移動しているようだ。


「ここはどこなんだ?」俺は呟いたつもりだったが喉が締め付けられ、声が出なかった。代わりにうめき声が口から出た。「うご、がが、がががが」


「おとなしくしろ、奴隷が」


 中央にいたゴブリンから平手打ちが飛んできた。俺はぶざまに転がる。周りの人は俺に手を伸ばしかけたが、すぐに引っ込めた。これは奴隷馬車なんだ。俺は奴隷として扱われている。


「降りろ」


 ゴブリンが命令する。幌が開けられ、まぶしい光が目に飛び込んでくる。


 年老いたゴブリンが目の前にいた。


「ふむ、これはまた、たくさん仕入れてきましたね」


 ゴブリンは顎のあたりをさすりながら、にやりと笑った。皺の寄った顔がさらに醜く複雑に線が増えた。


「あ、あたしあれがほしいー」


 子供が指をさして叫んだ。叫んだ子供はゴブリンではなかった。見た目は人間の子供だが、頭からはぴょこっと獣の耳が生えていた。女の子のようだった。その少女がはしゃぐ度に、耳がぴこぴこ動く。


「奴隷はさっさと出ろ」と押し出されるように俺達は馬車から降ろされた。


 奴隷はいっせいに降ろされたため、その少女が誰を指しているのかは分からなかった。


「ん? ドリル、どの奴隷が欲しいんだい?」


 しわくちゃのゴブリンが少女に尋ねた。獣耳の少女はドリルという名前らしい。


「あれ、あれ、あの人間」


 みんな人間だろ、と俺は思ったが降ろされた奴隷の中にはエルフや肌が爬虫類のような者も若干混じっていた。


 ドリルと呼ばれた少女と目があった。綺麗な瞳で俺を見つめてくる。


「おい、その奴隷をこっちに」


 しわくちゃのゴブリンは俺を指して言った。俺は乱暴に引っ張られ、首から繋がった鎖がそのゴブリンの手に渡った。


「ドリル、これでいいのかい?」

「うん」


 無邪気な笑顔を向けてドリルは笑った。


「じゃあ、今日の晩ご飯はこれにしようかね」

「おじいちゃん、食べないよ。これはペットにするんだよ」

「おお、そうかい。ごめんごめん。じゃあペットにおし」

「うん」


 ドリルと呼ばれた少女が俺に繋がった鎖を手にした。強い力で鎖を引く。


 俺は「痛い」と叫んだつもりだったが、やはり「ぎがぎ」と呻くような声にしかならなかった。


「あなたお名前は?」


 答えようとしたが「がぎごごごご」という声にしかならない。


「奴隷はしゃべれないんだよ。ドリル」


 俺の代わりに皺くちゃのゴブリンが答えた。


「そうなんだ、可哀想に、私が名前をつけてあげるね。何にしよう」


「おじいちゃんはお仕事があるから向こうで遊んでおいでドリル」


「わかったー」


 少女とは思えない強い力で俺の鎖を引っ張る。思わず四つん這いになりながら、時折引きずられ、俺はそこから連れだされた。


 大きな屋敷へと入る。階段をいくつか登り、部屋へと入った。ピンクを基調とした壁紙に、玩具のようなものが散乱している。ドリルの部屋のようだ。隅には虎かライオンでも入れそうな巨大な檻があり、中は空っぽだ。


「名前何にしようかな。男の子だからゲゲゲがいいかな。ゾゾゾもいいな」


 ドリルは新しいおもちゃでも与えられたように陽気な声を出し、楽しそうだった。


「そうだ、お腹すいてない? これ食べる? ゾゾゲ?」


 何だ? 俺の名前がゾゾゲに決まったのか? ドリルはイモムシを焦がしたような物体を俺に近づけてくる。俺は首を振る。


 お腹すいてないし、ミミカを探さなくてはならない。いったいフィーネはどうしてあんなことをしたんだ? どうして俺達を襲ったんだ?


 機嫌を悪くしたのかドリルは俺の鎖を引っ張る。俺は床に叩きつけられる。


「もう、ちゃんとごはん食べないと大きくなれませんよ」


 腰に手を当てて、大人の口調を真似る。


「じゃあ、お家に入りましょうね」


 そういってドリルはぴこぴこ耳を動かしながら鎖を引く。耳を動かす姿は可愛らしいのだが、乱暴な仕草で俺を引っ張り、部屋の隅にあった檻の中へと放り込まれた。


 俺の首から鎖を外し、檻の扉を閉めてがちゃりと鍵をかけた。


「お外行って遊んでくるー」


 そう言うとドリルは部屋を出て行ってしまった。


 首輪こそ残ってはいるが、とりあえず拘束はない。檻の扉をガタガタと動かしてみるが開く様子はない。握れるほどに太い鉄棒はとても曲げられるようにも思えない。


 どうしたもんかな、と思った。「うがががが」声を出してみるが変なうめき声のような声しか出せない。


 俺からつながっている細い糸は五本。二本は同じ方向に伸びている。これがたぶんラミイとエミリスさんに繋がっている。一本は上空へ伸びている。これはおそらく女神様。そして一本はラミイ達とはまったくの逆方向。これがフィーネじゃないかと思う。


 最後の一本だが、やたらと動いている。これは温泉で出会ったカルニバスのものだ。動いているということは近くにいる可能性が高い。


 その糸が部屋を横切るように動いた。そしてちょうど部屋の扉の前でぴたっと止まる。扉が開いた。予想した姿がそこにあった。


「あら、あらあら、美味しそうな匂いがするから来てみたら」


 悪魔の様な黒い羽を持ったカルニバスだった。さすがに今回はちゃんと服を着ている。服といっても黒い水着みたいな布で、やたら露出が多かったが。


「ドーテー。どうしてこんなところにいるんだい? やっぱり私とドーテーは赤い糸で結ばれているのかな。ふふふ」


 そこへドリルが戻ってきた。


「あ、お姉ちゃん。遊ぼ遊ぼ、探してたんだよ」


「ドリル、どうしてドーテーがここにいるの?」


 カルニバスがドリルの頭を撫でながら聞いた。


「ん? ゾゾゲのこと? ペットだよ バルバスにもらったんだ」


「あらそう、でもこの子、ドーテーという名前があるのよ」


「ゾゾゲだよ。この子はゾゾゲ。私が名前をつけたの」


「あらあら、いい名前だけど、ドーテーという名前はどうしましょうね」


「捨てちゃえば?」


「この子、お姉ちゃんのお気に入りなんだけど、お姉ちゃんにくれない?」


「やだやだ、ドリルもゾゾゲがお気に入りだもん」


「うが、がががが」どうしてカルニバスがここにいるんだ、そう言ったつもりだったが声が出なかった。


「ああ、ドーテー、声が潰されているね。魔法が詠唱できないように声を潰したんだね。ドーテーはまだレベル7だから魔法なんて使えないのにね」


 レベル7? また俺が知らない間にレベルが上がっているのか。


「どうせ魔法を唱えられないんだから、治してあげる」


 カルニバスは呪文を唱えた。俺の喉元あたりで青白い光が発した。「カルニバス!」俺の声が出た。


「カルニバス、ここはどこなんだ? どうしてカルニバスがここにいるんだ?」


「いきなり質問? 失礼すぎてドーテーじゃなかったら首をはねているわよ。ここはエル・ゴビアス帝国の東地区、上流階級が住むエリアね。イースタスと呼ばれているよ。私とドリルはここ、バルバスの館でお世話になっているの」


 エル・ゴビアス帝国。人間はゴブリン帝国あるいはエラント帝国と呼んでいるが、ゴブリン達はエル・ゴビアス帝国と呼んでいるらしい。そしてドリルは獣人族の族長、カルニバスは淫魔族の族長であり、賓客として招かれたが、居心地がいいのでそのままここに住んでいるという。


 バルバスは奴隷商人。しわくちゃの顔をしたゴブリンがバルバスだった。

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