第30話 目覚め

「マ……ヒ……ロ……」その声を聞いたことははっきり覚えているのだが、その後の記憶は曖昧だった。気が付いたらベッドの上で目を覚ましていた。横を見るとエミリスさんとラミイさんは別のベッドでまだ寝ていた。


 ここはどこなんだ? 俺は眠っていたのか。あれは夢だったのか? 夢の中で女神様に会っていたような気がする。女神様に会ったのは夢だったのか現実だったのか。はっきりとは覚えていなかった。


 その時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「マヒロー」


 共同墓地の地下で聞こえてきた声と同じ声だ。あの時は遠くから微かに聞こえてきただけだった。今ははっきりと聞こえる。声はまっすぐ俺の方へ向かってきた。


「マヒロー、気がついた?」


 フィーネだ。この声はフィーネだ。廊下の向こうからフィーネの声が聞こえてきた。


   ◆


 あの時もそうだった。フィーネの声が遠くから近づいてきたのだ。


 閉じ込められていた墓地の地下で、ばん、ばん、と石を叩く音が天井から聞こえた。天井からぱらぱらと小石が降り注いだ。こぶし大ほどの石も落ちてきた。どかっと大きな音がして眩しい光が唐突に差し込んだ。


「マヒロ!!」


 ゴブリンの顔だけを覗かせて中を確認したフィーネはすぐに俺たちが横たわる場所へ飛び降りてきた。そして空腹で動けないでいる俺に抱きついた。


「マヒロ! 探したよ! 何日も探したよ! やっと、やっと会えた! 会いたかった!」


 フィーネに抱きつかれたことも夢かと思っていた。


「突然に香りの糸が伸びたんだ。それで香りを辿ってきた。ゴブリンの嗅覚はすごいんだよ。褒めて、マヒロ。褒めてよ!」


 俺は心の中でフィーネのことを褒めた。フィーネ、ありがとう。良くやった……。それだけを思って、フィーネに会えて安心した俺はその後に気を失っていた。全部が夢のようで、もしかしたら俺はただ気絶していて何も聞いていないし、何も見ていないのかもしれない。ただぼんやりとその時の印象だけが夢のように残っている。


   ◆


 部屋の扉は開け放たれていた。そこからひょこっとフィーネが顔を出した。


 新調された黒いローブを身にまとってフードからゴブリンの顔を覗かせている。


 そしてフィーネの頭の上にもう一つの頭が同じくひょこっと現れた。


 ミミカだ。フィーネの上から部屋を覗き込んでいる。二人は姿を現し、部屋に入ってきた。ミミカは屈託のない笑顔で話しかけてきた。


「はじめまして。マヒロくん。如月(きさらぎ)ミミカです。マヒロくんのことはフィーネちゃんからいろいろ聞いているよ」


 ミミカは神官服を身にまとい、聖女然とした足取りで近寄ってくる。ステージ上で振り乱していた長い栗色の髪は後ろで一つにまとめていた。フィーネとミミカがベッドの脇に立った。


 俺はベッドで上半身だけを起こした。フィーネが近寄り、俺の足元の布団にぼすっと頭をうずめた。


「会いたかった。マヒロ……」


 俺はフィーネの頭をなでる。フィーネが頭を埋めた布団は涙で湿った。俺は顔を上げてミミカに尋ねる。


「ミミカさん、ここはどこなんですか? 俺たちは一体どうなったんですか?」


「『さん』なんかつけなくてミミカでいいよ。ここはこの世界での私の友達――メリルちゃんが院長を務めるエアリアスの病院だよ。あなたたちはオルマール共同墓地の地下で倒れていたの。フィーネちゃんがそれを発見してここに連れてきたんだ。私の方こそ聞きたいよ。どうしてあんなところに閉じ込められちゃってたの?」


「え? それはミミカさん……ミミカが、ミミカが手紙を書いたからだろ?」


 俺はエアリアスの隠れ家で手紙を読み、ミミカを追って墓地へ向かった話をした。ミミカは「私はそんなこと書いていないよ」と言う。俺達の話を聞いていた兵士が手紙を取りに隠れ家へと向かった。しばらくして隠れ家からその手紙を持ってきた。


 ミミカは手紙を読んだあと、それを強く握りつぶした。


「後半部分は誰かが手紙に書き加えている。私はフィーネちゃんの治療をメリルちゃんに頼んでフィーネちゃんの回復を待った。そしてラノキアに戻ったんだよ。この手紙はすれ違わないように、隠れ家に置いておいたの。この時点ではまだフィーネちゃんの生死は不明だったので、状況だけ書いて病院に行っちゃったから」


 ミミカは当惑と怒りの入り混じった複雑な表情を浮かべた。


「ここにあるゴブリンの女の子の埋葬と共同墓地へ向かったという内容は誰かが書き加えた。いったい誰が……」


 眉根を寄せて考えこむミミカに俺は別の質問をした。


「ミミカ、聞きたいことがあるんだ。これを知っているか?」


 俺は緑と赤の二つのスキル玉を取り出してミミカに見せた。


「スキル玉ね」


「知ってるんだ」


「うん……」


 ミミカは何かを思い出したように暗い表情を浮かべた。


「ミミカはこれがどうやって生み出されるのかを知ってるのか?」


 俺はミミカを問い詰めるような聞き方をしていた。ミミカは「それが出てくる所を見たからね」と言って初めてスキル玉を見た時のことを話してくれた。


 かつてミミカ達の仲間は大勢いた。スキルを奪おうとするガリュウ・ドミニオンに対して、ミミカ達はただ身を守るだけだった。相手を殺そうとはしないミミカ達に対して、ミミカ達の仲間を殺してスキルを増やし、強くなっていくガリュウ・ドミニオンとの勢力の差は広がるばかりだった。なすすべもない状況になっていた。


 ミミカが初めてスキル玉を見た時は同じメンバーの死に立ち会った時だったそうだ。エミル・タナカ、ミミカはその名前を忘れないと言う。エミルは同じ転生人の恋人がいた。その恋人も同じミミカ・ドミニオンに所属し、二人はこの世界で結婚の約束もしていた。だが、エミルはその恋人を目の前で殺された。


 ミミカは殺されそうになったエミルだけを助けることができた。エミルは無気力になったまま数日間を過ごし、この世界に悲観したのち首を吊った。エミルを発見したミミカが慌ててロープから彼女を下ろしたがすでに遅く、スキル玉だけが残されていた。


「餓死だけでなく、自殺の場合もスキル玉は残されるのか……」


 俺は静かに呟いた。


「たぶん、転生人に殺される以外の死に方をした場合はスキル玉が残るみたいなの。モンスターやこの世界の住人に殺された場合はスキルが失われるけど」


 ミミカは掠れるような声で話した。その時、俺とミミカの話に別の声が差し挟まれた。


「つまりミミカ殿ではなく、あそこで『実験』を行っていた者が別にいるということだな。犯人が転生人であれば殺してスキルを奪えばいい。転生人以外の者がスキルを手に入れるために実験を行ったのか。あるいは犯人が転生人ということもあり得るのか。スキル玉でスキルを共有することができるしな。いずれにしても犯人を探す必要があるということだ」


 いつのまにかエミリスさんが起きていてベッドに上半身を起こしていた。

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