第20話 宿屋にてマヒロとエミリスと

 ――フィーネ……。


 フィーネが死んでしまった。フィーネが殺された。


 大勢の人間になぶられるようにフィーネは殺された。周囲の群衆もフィーネを助けようとはしなかった。群衆はフィーネを殺せと叫んだ。どうしてフィーネを殺さなければならなかったんだ。


 俺もフィーネを殺した一人だ。助けようとしなかったんだから。助けられなかったんだから。

フィーネを助けるためにあの中へ飛び込むことはできなかった。


 もうフィーネには会えない。愛くるしい小さなゴブリン。フィーネはひとりで寂しく沼のほとりで生きてきた。俺といっしょのフィーネは子供のように無邪気でいた。誰かと一緒にいる、それだけで楽しそうだった。


 初めてこの街に潜り込んだ時、フィーネの跳躍力に驚いた。


 軒先に干していた白いシーツを拝借して身を包みながら「似合う?」といたずらっぽく笑った。


 ハンバーグを口いっぱい頬張るフィーネ、口元にソースをたくさんつけていた。ミミカのコンサートも眼を輝かせて食い入る様に見ていた。


 もうフィーネはいない。矢を体に受け、魔法弾を浴び、皮膚は裂け、体は血でまみれ、フィーネは奈落の底へ落ちていった。


 俺がフィーネをあの穴の底へ落としたのか。俺が突き落としたのか。穴の底へ落ちていくフィーネと目が合った気がした。黒目には光が灯っていなかった。生気の感じられない瞳だった。


 俺の腕ががくんと床へ落ちる。思わずはっとした。いつの間にか宿屋のベッドの上に寝ていた。いつここに戻ってきたのか、いつ眠りについたのか、いつ目が覚めたのかまったく記憶がなかった。舞い散る埃が窓からの陽光できらきらと反射している。夜が明けてからだいぶ経っていることはわかった。


 こんこん、部屋の扉が叩かれた。


 訪ねてくる人に心当たりはなかった。宿の主人だろうかと思って返事をする。


「どうぞ」

「失礼する」


 部屋に入ってきたのはエミリスさんだった。


 エミリスさんとは火事の直前に別れたきりだった。


「あのお嬢ちゃんはいないのか……」

「フィーネは……」


 答えられなかった。


「ゴブリンの死体が見つかっていないそうだ」


 唐突にエミリスさんは言った。


「ゴブリンが落ちた穴の中は広大な空間になっていたそうだ。そこに仲間のゴブリンが潜んでいたのかどうか、わかっていない。もぬけの殻だったそうだからな」


 フィーネの死体がない? どういうことだ?


「少し気になったことがある。お前がゴブリンの人質になっていたんじゃないかというのを耳にしてな。お前といっしょにいたあのお嬢ちゃんだが……。お前はゴブリンの人質じゃなく、いっしょに行動をしていたのではないか?」


 無言の俺にエミリスさんが再度同じ問いを繰り返す。


「そうなんだな。ゴブリンだったんだな」


「知っていたのですか……?」


「やはり、あのフィーネというお嬢ちゃんはゴブリンだったのか……」


 エミリスさんは確認するように呟いた。


「いや、確信はなかった。私の知っているゴブリンは好戦的で悪意に満ちた醜悪な存在だ。あのフィーネというお嬢ちゃんからはとてもそんな印象を受けなかったからな。半信半疑だった」


 そしてエミリスさんは俺に詰問する。


「あのゴブリンがお前をそそのかしたのか?」


「フィーネがそんなことするはず……」


 俺はフィーネがそんなことをするとはとても思えなかった。


「だがな、ゴブリンはゴブリンなんだ。ゴブリンどもは人間を襲い、殺し、女を犯し、残虐の限りを尽くした。私たちの心にはそれが深く刻み込まれている。昔はゴブリンはさほど手のかからない容易く葬ることのできるモンスターだったのだ。だが、ある時点でゴブリンの力が急速に高まった。何者かが人間という種族を滅ぼすためにゴブリンを強化したのではないかとの憶測が広まった」


 邪悪なる存在が背後にいて、ゴブリンを使って人間を襲わせたというのだ。


「そのころからゴブリンたちは頻繁に人間を襲うようになった。人間側もゴブリンに対抗した。現在では互いの戦力は拮抗している。西端の国境線でゴブリンの進行は食い止められ、一部の野良ゴブリンが国内に残るだけだった」


 エミリスさんの口調は冷静で、それがかえって俺の心に突き刺さるようだった。


「私も噂だけでは聞いていたんだ。温厚な性格のゴブリンも存在すると。だが、ゴブリンを恐れる我々は殺さざるを得なかった。王国騎士団にも野良ゴブリンの調査と場合によっては討伐の命がくだされている」


 エミリスさんは淡々と語る。


「フィーネとやらは死んでしまったのだろうが、地下の空間に別のゴブリンが潜んでいた可能性がある。殺されたゴブリンの死体を持ち去ったと私は見ている。お前が何か知らないかと思ってな。ここへ来たわけだ」


「俺はこれ以上は何も知りません」


「そうか、邪魔したな」


 エミリスさんがくるりと反転して部屋から立ち去ろうとする。


「エミリスさん!」


 俺は叫んでいた。


「俺も、俺もフィーネを探させてください」


「死体を探すとでもいうのか?」


「フィーネは……フィーネは死んで……ほんとうに……」


 ふいに俺の脳裏に情報が飛び込んできた。それは映像とも文字とも言葉とも音とも取れなかった。脳の中にある新しい知覚領域。何か自分の一部であることは間違いがない。


【スイートスメル】

スキル発動対象者:白き清浄の女神、フィーネ・ガルフ・エラント 二名に対し、スキルは正常に機能しています……


「フィーネは……フィーネはまだ生きている……」

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