第16話 燃え盛る大聖堂

 急ぎ、大聖堂へと向かう。


 大聖堂は火に包まれていた。だが、まだ消火の余地はありそうだ。周囲は不安そうに様子を見る人々と、懸命に消火活動に励む人々に分かれていた。


 火の手は大聖堂の一階部分を覆っているが、二階以上にはまだ火の手は回っていないようだった。


 聖女ミミがここに滞在していることは周知の事実なのであろうか、聖女ミミ様は大丈夫だろうかと不安そうに話す声が聞こえる。


 ――いったいどうして聖女ミミ様が? 放火ではないのか? まさかたまたまでしょう 誰が聖女ミミ様を困らせるというんだ? 皆に愛されている聖女様だぞ。聖女ミミ様が死んで得する人間なんて……。


 人々は暗い面持ちで心配そうに燃える大聖堂を見つめている。




 早く消火しないと、聖女ミミ様が……ミミ様が……。


 早く聖女ミミ様を助けて…。


 水を持って来い! 水を! 早く!


 え? ……誰かが放火したんだって?


 まさか……。


 でも見た人がいるって……。


 聖女ミミ様が誰かに恨まれていたはずないだろ? 聖女ミミ様が死んで得する奴なんているはずないだろ?


 いるはずないよな。いないよ。


 いるよ、ゴブリンたちだよ。


 え?


 最強種族であるゴブリンに対抗できるのは聖女ミミ様くらいのものだろう。


 聖女ミミ様ならゴブリンの軍隊にも対抗できるとか。それだけの魔力をお持ちだそうだ。


 じゃあこの火もゴブリンが?


 ゴブリン?


 そうに違いない。


 まさかこの街にゴブリンが潜んでいるとか……。ありえないだろ。




 俺とフィーネはミミカの安否が気になり、燃え盛る大聖堂のそばまで近づいた。


「だめだよ君、そんなに近寄ったら危ない……」


 誰かがフィーネのローブを引っ張った。フィーネの半身が顕になる。


「ご、ご、ゴブ……」

「ゴブリンだ!」

「ゴブリンがいるぞ!」


 誰かが叫んだ。

 俺とフィーネの周囲は堰を切ったように騒がしくなる。


「きゃあぁぁぁぁ!」

「ゴブリンだー、ゴブリンがいるぞ!」

「逃げろ! ゴブリンだ!」

「お、おい! ゴブリンだぞ! 警備隊はどうした? 早くしないと街が危ない!」

「こいつが火をつけたに違いない。こいつが聖女ミミ様を!」


 人々が右往左往する中、消火に当っていた人員も消火どころではなくなった。大聖堂をひとつ守るよりも街全体を脅かしかねないゴブリンの対処が優先されたのは無理も無いことだろう。


 消火活動が止まった大聖堂は火の勢いを増す。火の手が二階へと伸びる。勢いを増した炎は暴れまわる。聖堂内の空気は圧縮され、二階の窓ガラスを激しく割る。ばあんと大きな音がしたあと、周囲にガラス片が飛び散る。同時に火の粉が飛び、一階の壁の一部が崩れ落ちた。炎は三階、四階へとその手を伸ばす。


 フィーネの正体がばれてしまった以上、俺達はその場から離れるしかなかった。


 フィーネをゴブリンと知ってか知らずか、俺達を避けるかのように人混みが割れていく。その中を大聖堂と反対側へと小走りで走っていた。まずい、どこへいけば? ミミカは大丈夫だろうか。俺はフィーネの手を引きながらも煩悶としていた。行き先があるわけではない。ただ闇雲に走っていた。


 不意に俺は立ち止まった。囲まれていると感じたからだ。それも数人ではない。数十人にだ。俺達を囲んでいるのはただの街の人なんかじゃない。さっき俺達を襲ったような装備を固めた人間、いやあれよりさらに装備が充実した人間たちだ。


 豪華な鎧を身にまとった戦士たちが剣や槍や弓を装備している。他は全身をローブで覆った魔法使い、僧侶服を身にまとったクレリックたち、恐らくはそんな存在だろう。


 単体ですら一つの街を壊滅することができる存在、ゴブリン。


 そんなゴブリンに人が何も対抗策を講じずにいるはずもなかった。


 ゴブリンの襲来に備えて最低限の人員と緊急の際にはA級冒険者、B級冒険者に緊急招集がかかる。そんなシステムが構築されていることは、このときは知る由もなかった。


 俺とフィーネはいつの間にか完全に包囲されていた。


「ただいまよりゴブリンの掃討を開始する。プランAに従いゴブリンを囲み、弓を一斉掃射せよ。弓矢は一本たりとも無駄にするなよ」


 その弓矢は魔法強化されたもの。一本10,000ギルを超える高級品。言われるまでもなく、兵士達は無駄にする気など毛頭ない。

 弓を装備した兵士達が青白く光る矢を番える。


「掃射初め!」


 フィーネに向けて魔法強化された弓矢が一斉掃射された。


 矢が掃射される直前、


「君はこっちへ!」


 誰かに袖を引っ張られ、俺はフィーネから引き剥がされた。


 掃射される矢の海を横目に捉えながら「ゴブリンの人質になるなんて災難だったね」そんな台詞を聞いた。


 後ろを振り向いた時、俺が見た光景は弓矢が三本突き刺さったフィーネの姿だった。フィーネの周りには無数の矢が地面に突き刺さり、そのほとんどはフィーネが弾き返したようだが、掻い潜った矢がフィーネに噛み付いていた。フィーネの右の二の腕、左胸、左太腿に矢が突き刺さっていた。刺さった箇所からだらだらと赤い血が流れる。


 フィーネは悲鳴も挙げず、一団を睨んでいる。いつのまにか手にしたのか、その右手には赤く光る幻影の剣を手にしていた。冒険者と戦った時とはまた違う種類の魔剣のようだった。


「つづいて魔法部隊。撃て!」


 魔法弾の雨がフィーネを襲う。おもわず飛び上がって逃げようとするフィーネだったが、魔法弾と弓の雨が降り注ぎ、被弾する。飛び上がってしまうと思うように剣が振れず、弓矢を払うこともできない。魔法を回避することもできない。狙い撃ちにされてしまうのだ。フィーネは上空には逃げ場がないと知る。


 次にフィーネは包囲された一団の攻撃が手薄な部分に穴を開けようと試みた。魔法の弾幕が薄い部分を目ざとく見つける。剣を構えて神速の勢いで突破しようと試みる。だが、それは罠だった。


 そこには槍を構えた部隊が待ち構えていた。槍も魔法で強化されているのであろうか、青白く光り、フィーネの鋼鉄のように固いはずの皮膚を容易に貫く。かろうじて致命傷は免れ、槍の攻撃を躱すフィーネだったが、体中に無数の傷を作ってしまい、やむを得ず後退するしかなかった。


 剣や槍での物理攻撃がゴブリン討伐には最適解であるように思えたが、部隊の隊長はそうは考えない。近接物理攻撃でゴブリンを仕留めることができるが、部隊側の被害も出てしまう。そう考えていた。


 肉弾戦で万が一にも隊列が崩れた場合、一気に形成が逆転する可能性は否めない。100%確実な勝利を手にし、しかも被害を最小に抑えるには包囲したうえでの遠隔攻撃が最適だ。


 ゴブリンの集団であれば肉弾戦を挑み、手傷を追うこともやむを得ないであろう。だが、今回は単体なのだ。可能な限り味方の負傷者は出したくない。


 そして単体であれば、遠隔攻撃によって時間こそかかるが確実に獲物を仕留めることができる。


 包囲にわざと穴を残したのは逃げ道があると思わせ、その実そこからの脱出は不可能と知らしめて戦意を削ぐためだ。


 実際にフィーネは魔法の一斉掃射を受けながら、身を縮ませその場から大きく動けないでいる。

 その場で小さくステップを踏みながら魔法を避けているがとても捌ききれる量ではない。フィーネは次々と被弾する。


 被弾するたびにフィーネの動きは鈍くなる。あまりの苦痛に顔を歪める。フィーネを外した魔法弾はフィーネの周囲の地面を抉っていく。


 フィーネの周囲には無数の隕石でも落下したかのようにぼこぼこと地面が抉られていく。

 被弾したフィーネが耐え切れずに片膝をつく。それを見た魔法使いが攻撃の手をさらに強めた。


 魔法弾のひとつがフィーネの顔面を捉えた。フィーネの顔が跳ね上げられ、口の端から血を流す。続けざまに腕、足、体と被弾する。フィーネの上半身ががくっと腰から折れる。立っているのがやっとだ。かろうじて魔剣を手にしているが、もうフィーネに魔法弾を避ける力は残っていない。


「フィーネ、フィーネ、フィーネー!」


 俺は叫んでいた。フィーネが死んでしまう。やめてくれ。もう充分だろ。殺さなくてもいいだろう。やめてくれ。やめてくれ。フィーネが、フィーネが死んでしまう。

 殺さなくてもいいだろう。フィーネが一体何をした。もうやめてくれ。


 ――さっさと殺せ。こいつが大聖堂に火を放ったんだ。誰がゴブリンを街に入れたんだ。もうあの恐怖はたくさんだ。ゴブリンを殺せ。俺の親はゴブリンに殺されたんだ。私の村はゴブリンに焼かれたんだ。早くゴブリンを殺せ。ゴブリンを生かしておくな。生かして返すと集団で街を襲ってくるぞ。周囲の喧騒が俺の耳に届く。


 ――殺せ!

 ――早く殺せ!


「フィーネ、フィーネー!!」


 ――殺せ!

 ――早く殺して!

 ――早く!


 俺の叫びが周囲の喧騒に掻き消される。


 フィーネの黒いローブはぼろぼろだ。破れたローブの間から覗く皮膚は出血で赤褐色に染まっている。皮膚が抉れて肉が見えている箇所もある。


 フィーネの足が折れ、腰が折れ、そのまま地面に顔を突っ伏しながら崩れ落ちていくのが、スローモーションのように視界に入ってきた。


 力なくその手から魔剣がこぼれ落ちる。魔剣の赤い輝きが消失する。


 フィーネの頬が地面に打ち付けられる。くの字に折れ曲がった体はぴくりとも動かない。地に顔をつけたまま虚ろに目を開いていたが、その瞳から輝きが消えた。無数の魔法弾がフィーネに向かって発射された。

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