第8話 お願いです、いいかげん街に入れてください
ゴブリン娘、フィーネと共に街の門までやってきた。
幸いにも閉じられていた門扉はふたたび開け放たれている。
門兵は前と同じ槍を構えた無精髭の男。俺を見てまたやってきたのか、という表情を浮かべたが、横にいるフィーネを見ると、さっと顔色を変えた。
慌てふためきながら男は指を輪っか状にして口に当て、息を強く吹く。ぴーー、ぴーーと高い音を立てて指笛を鳴らすと急いで街の門を閉めた。
少し遅れて門のそばにある見張り台に別の男が現れる。すかさず双眼鏡らしきものでこちらを窺う。双眼鏡から一度目を離し、信じられないような顔をして当惑したあと、再度双眼鏡を目に当てる。
「ゴブリン来襲ー。ゴブリン来襲ー。総員、警戒態勢に入れー」
双眼鏡を構えながら、見張り台の男が声を張り上げた。
遠方から、かんかんかんと鐘の音が鳴り響く。門の中でどやどやと人が集まる音と、がちゃがちゃと金属が擦れ合う音が聞こえてくる。明らかに門の中で異変が起こっている。
何事かと思い、固く扉が閉じられた街の門へと近づこうとした。
俺が一歩踏み出すと、足元にぶすりと矢が突き刺さった。
「馬鹿者! 先に手を出すな! 街を壊滅させる気か!」
「も、申し訳ありません!」
怒声が響く。見ると塀の上には弓を構えた兵が数人、顔を出している。あそこから弓矢が放たれたようだ。
「ゴブリンに告ぐ。私はこの街の警備隊長代理だ。われわれはゴブリンと交戦する意志はない。来訪の目的を尋ねる。ゴブリンに問う。なにゆえこの街を訪れたのだ。なにゆえ我々の統治するこの領域へ足を踏み入れるのだ」
門の中から隊長代理らしき男が力強く叫んだ。いつのまにか無数の弓兵が高い塀の上から俺とフィーネをいつでも射られるように身構えている。門の中の喧騒はやまず、大勢の兵士が次々と集まってきている気配がある。
塀の上の弓兵が次々と増えていく。門の中の足音も大きくなり、兵が増えていることが分かる。あの門の中はどうなっているのだろうか? 兵で溢れかえっているのだろうか? 隊長代理以外は誰も声を上げない。雑踏はやがて統率の取れた足並みを思わせる音に変わり、兵の配置が完了しつつあることを予見させる。
いったいなんなんだ、この警戒態勢は? 当のゴブリン娘は両手のひらを上に向けて、困ったね、のポーズを決めている。顔はまったく困ったという表情を浮かべていない。逃げ出そうとする様子もない。
「マヒロ、どうする? あの扉を蹴破って中に入ってもいいけどさ。マヒロってなんか弱そうだよね? この弓矢で射られたりしたら怪我しちゃうんじゃない?」
軽い口調でそう言いながらフィーネは地面に刺さった弓矢を抜いて手に取る。
「わたしにはこの弓矢は刺さらないんだよね」
そう言いながら自分の肌に矢尻をカンカンと突き刺すように当てている。フィーネの肌は矢尻をはね返す。その肌は鋼鉄のように固そうだった。
「ちょとマヒロに刺さるか試してみていい?」
矢を手に握って矢尻を俺の方に向け、フィーネがそんな怖いことを言う。俺はぶんぶんと首を振り、フィーネの腕を門から遠ざかるように引っ張った。
「すいませーん、でしたー。でなおして、きまーす」
叫びながら、俺はフィーネを引きずりながら門を離れた。
門が見えなくなるまで弓兵は俺たちを照準から外すことはなかった。
「ああ、もうあの街へは入れそうもない」
落ち込んだ俺にフィーネが優しく声をかける。
「どうする? 街へ入るの、諦める?」
「そうだな、諦めて別の街を探そう。フィーネは近くに別の街があるか知らないかな?」
「知ってるよ」
「ほんとか! 助かる。どのあたりなんだ?」
「えっとね、あっちに五日ほど歩いたところ」
「い、五日……」
「ちょっと遠いかな?」
「遠いね……」
「じゃあやっぱりあの街に入っちゃおうよ。門でも塀でもわたしなら壊せるよ」
「いや、なるべく穏便にすませたいので……」
「そうか……うーん。どうしよう。何かいい方法がないかな……。えーと、そうだ。こんなのはどう?」
俺はフィーネの提案を聞いた。フィーネはこれなら見つからずに入れるでしょ? と得意顔だ。
次の街まで五日歩くか、フィーネの提案を受け入れるか。俺はフィーネの提案に従うことにした。
フィーネの提案はこうだ。まず、街の裏手の警備が薄そうなところへ回る。
「じゃあ、いくね」
俺は街の裏手でフィーネの小脇に抱えられた。目の前には二メートルほどの高さで街をぐるっと囲む塀。
「お、お願いします」
小さいフィーネの脇に抱えられたまま、俺はか細い声で答える。
フィーネは俺を抱えたまま跳躍する。
フィーネと俺は上空高く舞い上がる。
高い。
高すぎる。
ちょっとここまで高く飛ぶ必要はなかったんじゃないか?
街の全貌が見渡せる。街の周囲は高い塀で囲まれている。入り口の門はふたつ。太陽の位置からちょうどそれが南北にあたるのだろう。中央には芝生が貼られた広場らしき場所に大きな時計台がある。広場を囲むように石造りの家々が点在し、放射線上に外周に向かって道が伸びている。
かなり規模の大きい街だ。外周を一周回るだけで一日はかかりそうだ。その大きい街がまるでジオラマのように小さく見える。いったいどれだけ高く飛んだんだ?
最高点に到達したあと、二人は落下を始める。ぐんぐん地面が近づく。遊園地の乗り物でもこんな強いGを経験したことはない。やばい、死ぬ。どう考えても死ぬ。体が受ける強い加速度に意識を失いかけた寸前、地面に到達した。
衝撃はフィーネの足がすべて吸収していた。地面がえぐられることもなかった。俺への衝撃は軽いものだった。
「到着っと、あれ? マヒロなんで涙目なの? スキル使ってるから大丈夫だって」
フィーネは衝撃を吸収するスキルを使ったと言う。先に言ってくれ。本当に死ぬかと思った。
降り立ったのは暗い路地裏だ。二階建ての家で挟まれている。
俺を下ろしたフィーネは再び一人で軽く跳躍する。今度は少し飛び上がるだけ。着地したフィーネが手にしたのは大きな白い布だった。軒下に干されていたシーツを拝借したようだ。
「これでわたしの姿を隠そうかと思って」
そう言ってフィーネは布を自分自身に巻きつけた。小さな体のフィーネを白い布がすっぽりと覆い、目だけを覗かせている。
「じゃあ行こうか。まずはギルドだっけ? ギルドを探そうよ」
フィーネは俺の手を引き、歩き出した。
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