第6話 ゴブリンとの遭遇

 おかしい。

 おかしい。

 なんか、おかしい。

 なぜだ。


 俺は蹴られた腹を押さえながら呻く。激しい痛みが治まるまで、しばらくのあいだは意識ももうろうとしていた。


 そうか、小説と少し違うんだ。少しだけ違うんだ。

 思い出せ、小説では何をしていた? 最初に何をしていた?

 ギルドへ言って冒険者登録して、最初の依頼をこなしていた。

 最初の依頼って?

 おつかい?

 ゴブリン退治?

 そうだゴブリンだ。ゴブリンを倒そう。

 まだ冒険者として登録できていないけど、ゴブリンを倒してみよう。きっと倒せるはずだ。

 女神様も知識より経験が大事だと言っていた。ギルドへ行く前にゴブリン討伐を経験しておけってことか。

 さすが女神様だ。この世界のことをそれとなく教えてくれていたのか。


 痛みが引くにつれ、わかってしまった。俺は悟りを開いた。俺の計画はこうだ。


 まず、ゴブリンを探す。

 ゴブリンをあっさり討伐する。

 ギルドへ行く。(街へ入る方法はあとで考える)

 初心者冒険者として冒険者登録する。

 すると、「え? すでにゴブリンを倒していたのですか? すごいですね!」みたいな感じに、美人の受付嬢に一目置かれる。(ギルドの受付嬢は美人と相場が決まっている)

 そして、「まあな。そんじょそこらの冒険者とは違うんだよ」と俺はどや顔をする。


 完璧だ。


 そうと決まったらゴブリン探しだ。

 どこにゴブリンがいるんだ? どうやって探したらいいんだ?


 俺は固く閉ざされた街の門の前であぐらをかき、腕組みをして悩んでいた。そこへ商人らしき馬車に乗った男が通りかかる。馬に乗り、後ろの荷台には果物を積んでいるようだ。門の近くで馬車を止める。


「あれ? 珍しく門が閉まってるな。ラノキアの街になんかあったのか?」


 男は呟いて、門の前であぐらをかく俺を一瞥する。


「なあキミ、門が閉まっているようだが何か知らないかな? ラノキアに聖女様が来られるから警備が厳しいのか?」


 男が声をかけてくる。俺はその質問には答えず逆に聞き返した。


「ちょっと聞きたいのですが、ここらへんでゴブリンがいる場所って知らないでしょうか?」


 男は自分の質問に答えない俺に少しむっとした様子だったが、


「ゴブリン? 最近はめったに見ないな。西のゴブリン帝国、あ、エラント帝国のことな、そこにでも行かないと会えないだろうけど、あそこはかなり危険だからな……。そうだ、この先の丘を超えた向こうに木々に囲まれた沼があるんだけど、その沼のほとりにリトルゴブリンが住み着いたって噂を聞いたな」


「リトルゴブリン?」


「知らないのか? ゴブリン種の中でも最弱で、身長も一メートルに満たないゴブリンだよ。まあ最弱って言っても凶悪なことには変わりはなく、……」


「ありがとう!」


 俺は最後まで聞かずに叫んで立ち上がり、その男が指差す沼の方角へと走りだした。


「リトルゴブリン一匹でこの国の軍隊の一個師団に相当し、小さな街や村程度は壊滅できる……っておい、最後まで聞けよ!」


 男がなにか叫んでいたが俺の耳には入らなかった。


 沼まではそれほど遠くなかった。丘を超えた先に雑木林があり、その雑木林をしばらく歩くとちいさな沼があった。沼のほとりには掘っ立て小屋のような丸太が粗雑に組まれた建物。そしてその傍らには緑色の肌をした生物が沼に釣り竿をさして座っていた。釣りをしているようだが、座りながら居眠りをしているようにも思える。


 俺は背後から音を立てないようにその生物に近づく。こいつがリトルゴブリンか……。


 近づきながら、俺は攻撃する武器を持っていないことに気がついた。


 あたりを見回すと、小屋に立てかけてある太い木の棒が目に入った。割に太くて、握ってみると手にしっくりと来る。音を立てないように剣道の要領で振ってみた。これでリトルゴブリンの頭をかち割ってやろう。


 でも、大丈夫か? 一メートル弱とはいえ、あんな大きな生物を殺したことはない。頭が割れて脳みそが飛び出てくるんじゃないか? 猫ですら殺せない俺が本当にリトルゴブリンを殺せるのだろうか。


 しかし異世界生活に慣れるためには仕方ないのかもしれない。これからヴァンパイアだったり、いずれはドラゴンとも対峙しなければならないのだ。


 どこかで生殺与奪に徹しなければならない。これがその一歩なのか。


 俺は覚悟を決めて、居眠りをしているらしきリトルゴブリンの背後に迫り、木の棒を勢い良く振り上げる。


「きええええぇぇ」


 ちょっと妙な奇声を上げながら俺は木の棒を渾身の力でリトルゴブリンの頭に振り下ろした。ごちん、と鈍い音を立てて木の棒が弾き返された。まるで鋼鉄に向かって棒を打ち付けたかのように、両手には強い衝撃が加わり、激しい痛みが襲った。強烈に弾かれたはずみで、思わず木の棒を落としてしまった。


「い、いてええぇぇ!」


 十九年間生きてきた中で初めて経験したほどの、あまりの痛さに顔が激しく歪む。手がじんじんして、感覚が無くなる。


 リトルゴブリンがゆっくりと顔だけをこちらに向けた。そして緊張感のない声で話しかけてくる。


「ん? 何? わたしのあたま叩いた? あんた誰?」


 リトルゴブリンが眠りから覚めたようだ。


 まだ寝ぼけている感じに声を出した。ちょっと高い声で幼さを感じるかわいい声だった。まるで少女の声だ。リトルゴブリンが手にしている釣り竿がピクピクっと震える。


「あ! 三日ぶりに竿が引いてる! かかった!」


 リトルゴブリンは叫ぶと、器用にあわせをおこなう。獲物に引かれた釣り糸は浮きとともにぐぐっと水底へ沈む。釣り糸はぴんと張り、釣り竿が大きくしなる。


「う、ぜったい、絶対に逃さない……今日こそは……」


 急に覚醒した声に変わる。眠りから覚めたリトルゴブリンが見えない敵と格闘する。張られた釣り糸は左右に激しく動く。水面にできた波紋が乱れる。獲物は水面下で釣り針から逃れようと右往左往しているようだ。リトルゴブリンは慎重に釣り竿を持ち上げる。徐々に水面下の魚が姿を現す。


「よし! いける!」


 釣り竿が高く引き上げられ、ばしゃっという音とともに魚が跳びはねる。竿を陸側にまわし、暴れまわる魚がべちゃりと地面に落ちた。


「やった。久しぶりの釣果だ。うれしい! っと、あ、あんた誰? そうか。わたし眠っちゃってたんだ。魚がかかっているのを教えてくれたんだ。ありがとう」


 釣り針から魚を外して生のままかぶりつくリトルゴブリンの様子を呆然と見ていた俺の口から出た言葉は「……ゴブリンってしゃべれる……のか?」だった。

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