生きていく

多川慶直

勇気を持って

僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る (光太郎)

歩いてみなければ道は出来ません

止まっていては前に進めません

何かをなさなければなりません

何かを探さなければなりまません

迷うのは若さです

その先はなかなか見えません

それでも歩くのです

自分の道を


自分の未来を拓くのは自分です

親は只応援してやるだけ

自分の未来を決めるのは自分です

親は只見守ってやるだけ


自分の未来に希望を持ちましょう

持てるか持てないかは君次第です


今日があるから明日があります

明日のために今日があります

今日を懸命に生きなくて明日は生きられません

自分を信じましょう

又信じられる自分でなければなりません

未来を拓くのは自分です


人生にはどうにもならないことがあります

必ず辛く哀しいことに出会うことがあります

それは誰でもが出会うことなのです

その出会いは

まさにに神との出会いなのです

摂理なのです

それに潰されないように

そして人生を投げ出さないように

何かを成そうとします

一つでは出来ません

色々なことを成さなければ

一つの形として成せません

そして神は君を見捨てません


勉強は何故しなければならないのでしょうか

金は人生を応援してくれますが

知識は自分を助けてくれます

将来自分の希望を達成したいと思うのでしたら

勉強をしなさい

自分の望む就職先に進むことを許してくれるかどうかの

世の中の最初の資格審査が勉強の出来不出来であります

この場合の出来不出来は学力だけをいいます

これは何故かと云えば

世の中の一人一人を評価するのに

その個人の人間性、性格など

本来最も重要と思われることで評価するには

あまりにも情報が不足であり

時間が無いため 

足切りとしてその人の学力学歴等

本来あまり重要ではないと考えられる基準で

第一番目の評価をするわけであります

その方法が簡単だから


しかしこの方法は植物栽培に似ています

淘汰する条件を一つにして淘汰するとします

そしてある決めた優性を条件とします

特別優勢を示す方がほとんどの場合弱いのです

あまり淘汰してしまうと

ひ弱なものしか残りません

つまり雑草は強いのです

雑草が勉強をすればもっと強いのです

では勉強とは何でしょうか

数学や難しい漢字を覚えて使いこなすことでしょうか

外国語をマスターすることでしょうか

妙な字体の化学式を理解することでしょうか

そうです

それだけが勉強ではありません

しかしそれも勉強のうちなのです


最初に世の中へでるときに測られる基準の勉強は学力なのです

ですからその意味での勉強は数学や国語、理科などを理解することなのです

しかしその勉強は本当の勉強の内のごく一部でしかありません

その勉強だけで全てが決まるのではこの世は成り立ちません

つまり神により存在することを与えられ

その存在のためにする勉強が本当の勉強なのです

その基本的な勉強は先ず自分を信じることです

人の痛みを我がものとして優しくしてあげることです

犯罪を犯さないことです

そして生きる意志を持つことです


その先に職業など生きるための行為がついてまわるのです

その基本的な勉強を身につけた上で

職業など生きるための行為に必要な勉強も又勉強の内なのです

例えばフランス料理のコックになるために必要なフランス語などのように

画家になるためにデッサンや色彩を覚えるように

コンピュータ技術者のなるために必要な数学などのように

事務員になるためにワープロを習うように

学者になるために専門的に高度な知識を身につけるように

機械技術者になるためにNCマシンの操作に熟練するように


自分の歩いたところに道が出来ます

それはまさに君の道なのです

ハッキリした道を造りましょう

迷うことはあります

でも勇気を持って歩きましょう

くじけてはいけません

立ち向かわなければなりません


その娘はやせっぽちで

ちいさくて

目だけキョロッとしていました

思い詰めたような顔をしたその娘は

生きていました

自分の目的に向かい

しかし その歩みは遅く

歯ぎしりをしながら

唇をかみしめながら

生きていました

そして挫折しました

その時初めて神を恨みました

こんなの人生じゃ無いと

私は嘘では生きていなかったと

神は私を裏切ったと


自分は自分でありたい

自分は自分であり続けたい

自分は自分であり続けるために何を成すべきでしょうか

しかし成せるのでしょうか


全ては摂理です

神の摂理です

神は裏切りません

その挫折こそ摂理なのです

つまりそれは挫折ではないのです

そこから又生きるのです


自分に嘘をついて生きています

自分に怒っています

何のために

自分のやりたい事はあります

しかし それが成せません

何故でしょうか

制約があります

家庭の制約があります

家族との時間を守り

仕事上も地位も守ることを実行すれば

自分にとって本来進むべき道を捨てなければなりません

それによってバランスを取ります

その行き方を悪いといえるでしょうか

それも人生です

自分が納得すればいいのです

それも摂理です


痛みとは何でしょうか

何が痛いのでしょうか

何に対して痛いのでしょうか

痛みに対する対価はあるのでしょうか

ありません

痛みは

ただ痛いのです

痛みから逃れる術はありません

痛みを台として

喜びを見つけるしかありません


裏切られることを恐れて

生きることは出来ません

最初は絶対を信じます

でも絶対はありません


そう思っていても裏切られると痛みを感じます

時には憎しみさえ感じます

何故でしょう

それは許せないと思うからです

では神はどうでしょう

私たち人間は

常に神を裏切り続けてはいませんか


裏切られることを恐れないようにしましょう

そうしたら痛みも少なくなるでしょう

そして許すのです

そうしたら楽になります

それから生きられるのです

そうしたら裏切られることはなくなります

全てを許すのですから

そして今を生きるのです

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生きていく 多川慶直 @keicyoku

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